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「わかりました。でも、その前にご飯食べちゃってください。今日はグラタンにしたんですよ。今から焼きますので、先にシャワー浴びちゃってください」  優衣さんが背中を向けてキッチンへと向かった。私はその背中をやけに遠くに感じていた。  シャワーを浴びている。それは確かなことだ。頭からかぶさったお湯が細い私の体を幾多もの蛇のようにすべっていく。それなのに、私は温度を感じなかった。心に穴が開いた気がした。こうして、シャワーを浴びている間、優衣さんはオーブンでグラタンを焼いている。それも確かなこと。それなのに、私は現実だと思えなかった。あのとき、優衣さんを胸に抱きしめた日から、私は夢を見ていたのではないか。夢の中であるから、彼女は私に微笑んだ。彼女の横で、安らかな眠りにつくことができた。そう思えてしかたない。髪を洗うシャンプーは、ボタニカルの高価なものだ。優衣さんのおすすめで使っているものだが、これも夢の一角に過ぎない気がした。立つ泡もほのかに香る花の匂いもすべては夢である気がした。そんな幻想をお湯をかぶって洗い流す。今度は熱を感じた。熱いくらいの熱を。  火照った体に下着を見に纏う。それからさびれたスウェットも。鏡に映る顔は優衣さんと出会う前のように生気がなかった。それでよかった。なにもなかったときに戻るだけなのだと思えたから。  テーブルにはチーズが香ばしく焼かれたマカロニグラタンが置かれていた。優衣さんはにこにこしながらテーブルの脇に座っている。「ホワイトソースから作ったんですよ」と嬉しそうに言う。私は絨毯に直に座って、いただきますと力ない声で言った。焼けたチーズの香ばしさが口に広がった。その味は、優衣さんと初めて食べたクワトロ・フォルマッジの味を思い出させた。泣きそうになったが、私の目から涙が溢れることはなかった。
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