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 担当している医師にも、同じことを伝えたことがある。医師は丁寧に聞いてくれたが、解決策を教えてはくれなかった。それは当然だ。彼女にできることは私の状態を確かめ、症状の医学的な緩和方法を教授し、的確な薬を出すだけである。私の存在意義を作り出すことなどできはしない。 「恋人を作ればいい」  医師から一度だけ、そうアドバイスを受けたことがある。しかし、私は恋人というものの必要性を感じていなかった。いや、違う。恋愛というものを重きものとして考え過ぎているのだった。軽薄に誰かと付き合うくらいであるなら、ひとりで眠れない夜を過ごすほうがよっぽどマシだと考えていた。  小学生の頃から、恋というものへの理想が高かった。他の女子たちが恋話に色めきたっているのを聞いているのは快かったが、いざ、自分が男子に告白されても、その気持ちを汲むことができなかった。なぜなら、私は、告白してきた男子を恋愛の意味において好きではなかったからだ。どうして、好きでもない相手と恋に落ちるのであろうか。付き合ってから恋に落ちるというのも私には理解できなかった。恋愛というものは、もっと晴天の霹靂のように突如として現れるものではないのか。キューピッドの矢に貫かれたアポロンのように、その瞬間から恋だと確信できるものでないといけない。その少女の歯痒くなるようなロマンティックな空想は、いつしか澱のように私の胸に頑固に固まり、恋愛への興味の湧溢を塞いでしまっていた。母からはよく「早く孫の顔が見たい」と結婚を急かされる。それは当然な意見かもしれないが、私の中に、異性との交際に向ける気力というものがもはや存在していないように思える。毎日同じような生活を繰り返し、薬と煙草と酒で無理に眠っている私には、人並みの幸せなど訪れない。そして、女性としての価値のない、人間としての存在意義もない私は、早く死んでしまえばいいのではないか。そのように考えることもあるが、祖母の顔が浮かび、自殺することなどできない。実家の仏壇に両親を差し置いて、先に祖父母の横に遺影が並ぶことは、なによりの不孝だと思える冷静な自分がまだ存在している。
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