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 トレーいっぱいに乗せた化粧品と、買い上げ金額の桁が六に届きそうな数字が印字されたレシートを持った五条未来彦(ごじょう みきひこ)は、揚々と店舗に設置してあるドレッサーへと戻るところだった。そこには、五条が仕上げたメイクに、うっとりとした顔で鏡を見つめている女性が座っている。  その様子を見て、ますます五条は表情が緩みそうになった。美人になれてよかっただろう、オレのメイク技術のおかげだぞと、ドヤ顔したいのを抑えるのに集中していると、客の横で五条の同僚、三澤期(みさわ とき)が笑みを浮かべて立っているのを見つけ、ドヤ顔の代わりに右眉が上がってしまった。  今日も五条は売り上げを出そうと、店舗前の通路を行き来する客たちに声をかけては、素どおりされたり断りの言葉を入れられたりを繰り返していた。そんなことはもう、長年のルーティーンだから慣れている。  不貞腐れるでもなく声をかけ続け、ようやく応じてくれた女性をドレッサーまで連れてゆき、メイクを施し、商品を気に入ってくれ、新会員にまでなってくれた。その客と初対面であるはずの三澤とが、なぜ和気藹々としているのだ。 「お待たせしました」  怪訝な気持ちは営業用の笑顔の裏に隠し、クレジットカードとレシートを渡す。しかし客はレシートだけを受けとり、これもお願い、とドレッサー前に置いてある基礎化粧品一式を指さした。はい、と、曖昧な返事をしてしまった五条に対し、三澤はそうなるのが当然であるかのような態度で、綺麗なメイクをキープするにはお肌の手入れも大切ですからと、にこやかな表情を崩さずにいる。  警戒心を持って毛を逆立てている猫ですら容易に腹を見せてしまいそうな、三澤の優しげで蕩ける笑顔が、実は恐ろしいほどに危険なことは五条が誰よりもよく知っていた。頬が引きつりそうになるのを堪えて三澤と交代すると、今度は新たに基礎化粧品五点を追加した三澤が恭しくトレーとクレジットカードを持ち、会計へと向かう。その間五条は客と雑談をしながら、一番大きなアミーバッグに商品を詰めこんだ。 「ありがとうございます」  客を三澤と二人で見送ったあと、営業スマイルのままで、ほぼ無意識に歩きながら三澤のふくらはぎを蹴る。 「おま、なに人の客取ってんだ」 「別に、取ってないでしょう。俺は彼女にメイクのりを上げるなら、肌のキメを整えるのが近道だって言っただけですよ」  三澤は怪しすぎる笑顔のままカウンターへ戻り、五条が使用していたドレッサー上の試用品(テスター)群を片づけはじめる。確かに三澤の言い分も間違いではない。けれどせっかく苦労をして声かけした客を横から攫われてしまったようで、五条はむかっ腹が立つのを抑えられなかった。  この六本木にあるビルテナントで、ビューティカウンセラーとして働いて五年が経った。化粧品と聞けば女性のものというイメージが強い。しかし今は男性も肌の手入れやメイクをするのが当たり前な時代になった。五条はこの店舗で、もはやこれも珍しくなくなった男性カウンセラーの三澤と売り上げを競い合っている。 「あのお客さま、貴方のことをカッコいいって言ってましたよ」 「……ふん、お前が言うな」  美を提案する仕事柄、五条も三澤も見目には気を使っている。五条は自分の中性的な顔立ちを活用して、軽くメイクをしている。三澤のようなモデル並みの顔と身長ではないので、男でもこのブランドを使用すると、このくらいには綺麗になれることを売りにしている。  まだ女性客が多い化粧品業界で、男性カウンセラーに対する緊張感を低めるのも目的ではあるが、自身が楽しんでいる節もある。メイク技術には特に自信があって、コンテストで何度も優秀賞を取るほどの腕前だ。そのおかげか、若い客からの指名率が高い。 「あのお客さん、最終的にはお前しか見てなかったぜ?」 「そうでしたか? 気づきませんでした」  五条が鼻頭に皺を寄せて嫌味を言うと、三澤は意外そうに軽く肩を竦めて笑う。  三澤はノーメイクにもかかわらず、美肌の持ち主だ。精悍な顔立ちで大きな体格でありながら、髭の青々しさや毛穴の開きがないため、見る者によっては五条よりも異質な存在に感じるかもしれない。しかしその笑顔が武器になるのを知っているのか、はじめは三澤の男前ぶりに戦々恐々としていた客も、いつの間にか打ち解けさせてしまっている。五条の一年後輩ながら指名率は全カウンセラー中でも上位になり、特に子育て世代から年配客中心に人気だ。  五条がメイク品を販売するのが得意なら、三澤はスキンケア販売を得意としている。先の客のように、技術を駆使せずとも簡単に綺麗は作れると五条がタッチアップをすれば、美人を作るコツはトータルケアだからと、三澤が高価な美容液やクリームを手の甲に塗りながらデモンストレーションをする。反対に三澤が捕まえた客を、五条がメイク施術でさらにプラスして購入してもらうことも多い。五条と三澤の間で自然にできた連携は不服ながら店舗の業績に繋がっている。五条は三澤にこれ以上の文句をつけるのはやめにした。 「ふん、また三澤に惚れた奴ができちまったというわけか」 「でも俺らにはどうにもできないですけど」  そうでしょう? と三澤が五条を横目にする。くいと口角を上げて同意を求められるが、五条は小さく息を吐き、先の新客の台帳を書いて閉じておいてくれと三澤に丸投げし、バックヤードに引っこんだ。  五条は、三澤にあまりいい思いを持ってない。あの男とは仕事でも、恋愛でもライバルなのだ。仕事では五条が辛勝しているといったところだが、恋愛に関しては八割向こうに勝ちを持っていかれている。 「……どうにもできない、ね」  例えば目を見張るような美人客が来店したとする。五条も三澤も綺麗な人だとは認めるだろうが、それ以上に感情は動かないだろう。なにしろ、二人で同一人物を落とそうと追いかけている最中なのだから。  五条と付き合っていた恋人は、いつの間にか三澤へ心変わりをしてしまう。理由はいつも「あの笑顔にやられた」だ。聞かされるたび頭を抱えるのもうんざりする。高校時代はただの人懐こい後輩程度にしか思っていなかったけれど、好きになるタイプが似ているのか、高確率で三澤と恋のさや当てをしていた。専門学校時代もちょくちょく三澤と奪い合いになり、大抵は五条が先に告白に成功して付き合いはじめるものの、いつのまにか三澤のほうに心変わりをされ、振られて終わることが多かった。  横恋慕をするなと三澤に釘を刺すこともあったが、相手が告白してくるので横恋慕ではないととぼけられる。まるで五条よりも三澤の魅力が勝っていると暗に言われた気がして、先のようによく後ろからふくらはぎに蹴りを入れたものだ。  しかしあの男の笑顔は、例えるなら悪魔が魂を吸いとる儀式のようなものだと五条は思っている。相手の魂を吸い尽くしたら、付き合う価値などないとばかりにあっさり別れてしまうあたり冷酷だとも感じる部分だ。そして五条が失恋の痛手から立ち直り、新たに誰かを好きになる同時期に、三澤も五条を振った元恋人と別れてしまっているという図式になってまた新たなバトルがはじまってしまう。人を舐めてるのかと啖呵を切ったこともあるが、そのたびに偶然が重なっただけでしょうと笑われてきた。  だからまた現在進行形で一人の人間を追いかけることになっているわけだ。三澤のような男には、嫌悪感しか湧かない。  そもそも性格はともかく人目を引く外見の三澤なら、自分が好きになる男を取り合いしなくとも引く手あまただろうに、つらつら考えごとをしていると、目の前にノンアルコールカクテルが置かれる。顔を上げると、柔らかな表情をしたバーのマスターがこちらを見ていた。 「ミキちゃん、心ここにあらずだねぇ」 「あっ、ごめん迅人さん」  早番の仕事を終え、近くのバーでたむろするのが五条の日課になりつつある。笑うと口元に八重歯が見える、のほほんとした雰囲気を持つバーのマスターに、五条は淡い思いを抱いている。  五条も三澤も同性を愛する性嗜好で、散々三澤に取られ続けるたび、その愚痴をマスターの江里口迅人(えりぐち はやと)に零していた。五条は迅人から、名前を覚えられないとのことで未来彦をもじって可愛らしく呼ばれている。男から「ちゃん」づけで呼ばれるのは嬉しくない。しかし五条より五歳も年上の、三十路には見えない童顔の迅人から呼ばれると、心がくすぐったくなって幸福感が増した。年上を好きになるのは初めてだが、綿菓子のようなふわふわとした迅人は、二か月前から五条の癒しになっている。 「今日はあいつがいなくて清々するな」 「おやぁ? そんなことを言うと来ちゃうよ、トキちゃんが」  今の愛称は三澤のことだ。マスターの口からあの男の名を出してほしくなかったが、話題を振ったのは自分だから仕方ない。むくれながら出されたカクテルグラスを手に取った。三澤は今日遅番だから、来るとしてもあと一時間は迅人を独占できる、と安心してもいられなかった。  迅人はゲイバーのマスターをしているだけあって人気者だ。人を癒す雰囲気と、五条よりも中性的な容姿でありながら、男らしい包容力を持っているとあっては当然だろう。五条の隣にいる全身ピアスだらけの常連客も、迅人の隣でシェイカーを振っているスタッフも、きっと五条のライバルに違いない。  男同士で恋愛をするのは、今はそうでもなくなっているようだけれど、それでも大変なのは異性愛と比べて母数が圧倒的に小さいからだと思う。  それだけじゃなく、五条には小さな心の傷がある。高校時代、親友と呼べる男に恋してしまったため、手痛い思いをしていた。冗談めかして告白したら、掌を返したように気持ち悪いと言われ、ホモだと言いふらされ、クラス中からハブられて不登校にまでなった。  それでもどうにか卒業したが、その経験則からノンケを二度と好きにならないと決めているし、こういう同族が集まる場所で、運命の相手を物色するしかないとも思っている五条は、ふと自分が「運命の相手」を探していることに気づいて苦笑した。 「ミキちゃんはお酒、飲めないんだっけ」  迅人が話しかけてきた。黙っていたのを気遣われ、慌てて胸の前で小さく手を振る。 「いや、飲めるよ。オレはこう見えて美を売る仕事をしているからさ、休日前にだけ飲むようにしてる」  迅人がへぇ、といった様子で五条の話に興味を持ったようだ。五条は自慢げに、度を過ぎたアルコールは肌の乾燥に直結するから、酒量を加減できるならそれに越したことはないと、仕事柄酒をよく飲むであろう迅人にうんちくを垂らす。感心したように相槌を打ち、迅人はゴブレットに大きな氷をひとつ入れ、ウーロン茶を注いだ。マドラーでくるくる掻きまわす音が耳に心地いい。 「まだ週中だからねぇ。ミキちゃんがそういうなら、今日は僕もアルコールは控えよう。はい、乾杯」  かろん、とグラスを上げ、外見に似合わず迅人がグラスを一気に呷った。そのギャップが男らしさと可愛らしさとを演出していて、五条は頬が緩みそうになる。 「あー迅人さんってほんと、いいね」 「そうかな? ふふ、ありがとう」  嬉しそうにする迅人のはにかむような笑顔は、五条の胸をきゅんとさせる。このまま迅人をちやほやして口説こうかと思ったが、ボックス席にいる客が注文をしてきた。スタッフが取りに行こうとしたところ、迅人を指名してきたので、じゃあ行ってくると迅人が場を離れてしまう。また口説くタイミングを外してしまったと肩をすくめていると、スタッフが向こうでなにかされないかと、洗ったグラスを拭きながら迅人を見つめていた。隣のピアス男も、迅人の様子を気配で察しようと横目にしている。 「こんばんは」  聞こえてきた声にがっかりした。三澤が来店してしまったのだ。五条はあからさまに舌打ちし、それでも仕事仲間なので労いの言葉をかけ、気持ちを切り替えた。 「おつかれ」 「お疲れさまです、五条さん」  当然のように五条の隣に三澤が座り、スタッフに焼酎のソーダ割を注文する。 「今日はどうだった。平日だから仕事帰りのお客さんも結構いただろ?」  スタッフからもらったおしぼりで手を拭きながら、三澤がいいえと首を振った。給料日前だからか数はあっても単価が低かったと溜息をつく。 「仕方ないさ。そういう日もある」 「ですが……」  五条は軽く三澤のふくらはぎを蹴った。 「お前って自信家のくせに妙なとこで肝が小さいんだよなぁ。今日のマイナス分は給料日以降で稼げばいいだろ」  ほら取りあえず乾杯しようぜと三澤にグラスを持たせると、ふっと笑顔を見せてきた。 「そのポジ思考が羨ましいですね」 「そうだろう」 「なにも悩みとかなさそうで」 「あ? おま、ケンカ売ってんのか」  無理やりグラスを合わせたあと小突いてやると、嘘くさかった笑顔の中に安堵したかのような、本来の三澤が見えた気がした。五条もまた似た気持ちになり、歯を見せる。  化粧品販売なんて売れる日もあれば売れない日もある。今日が後者だったなら、明日取りかえすように動けばいいだろう。自分も思うようにいかず落ちこんだことがあるから、例え三澤が自分のライバルだとしても、それくらいで悩まないでほしかった。 「あ、いらっしゃいトキちゃん」  迅人がカウンターに戻ると、三澤がさっそく迅人にチャーハンを注文する。 「迅人さんの料理はなんでもプロ級で美味しいから、毎日なににしようか迷っちゃうんですよね」 「ふふ、そう? ありがとう」  ちゃっかり迅人の手を握って言う辺り、さすがというべきか。それとも先の落ち込みは演技だったのか。五条は三澤の身のひるがえしの早さに呆れてしまった。 「三澤……お前も相当なポジ思考だと思うけどな」 「五条さんには負けますよ」 「……それがどういう意味かは聞かないでおいてやる」  五条はカウンターに肘をついて三澤から視線を外した。どうせなにも考えてなくて、へらへら笑ってばかりのお調子者だと思っているのだろう。今度こそは三澤と真っ向勝負してでも迅人を自分の恋人にしなくては。あとからまたこの男に掠め取られるなんて冗談じゃない。  迅人が厨房から顔を出してなにか食べないのか訊いてきたので、三澤と同じものを頼む。迅人は調理師免許も持っていて、五条も三澤も、大抵の仕事帰りはここで飲みながら夕食をとっている。 「ふふ、そうだと思って二人分作ってるよ。君たちなんだかんだ言って、仲いいもんねぇ」 「よくない!」 「よくないです」  同時に言ってしまい、迅人にゲラゲラと笑われてしまった。迅人に接近したくともこんな調子では、相手の眼中に自分が存在できないではないか。思わず五条は三澤のふくらはぎをまた蹴った。 ********************
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