さんば

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さんば

 かさり、かさかさ。  落ちた竹の葉を踏み鳴らし、町のそばの竹林をさぐる少年の姿があった。  少年は頭の後ろでひとつにくくった総髪をひらひら揺らしながら竹林のまわりを歩きまわり、真っ白い狩衣に土がつくのもかまわず地にひざをついて竹藪のなかに頭を突っ込んだ。 「ううむ、このあたりから匂うのだがな……」  ぶつぶつとつぶやきながら、両腕で藪のなかをかき混ぜているのだろう。枯れ葉がこすれる音を派手にさせている。  そのさまをじっと見つめ、いまもなお竹藪から突き出た袴を履いた尻を眺めていたおみよは、意を決して声をかけた。 「……あのう、どうかしましたか」 「ぴゃっ!?」  おそるおそるかけた声に、狩衣の尻ががさりと揺れる。ついでにごん、と鈍い音。  おどろかせてしまったか、頭を打ったのだろうかとおろおろするおみよの足元で、狩衣の主は沈黙している。 「ええと、失礼いたします、ね」  ちいさく断ったおみよは、少年の足首をつかんで引っ張った。重さ以上の抵抗はなく引きずり出された少年は、おでこを赤くして目を回している。  おみよが少年の額を診ていると、少年が頭を突っ込んでいた竹藪からひょこりと茶色い頭がのぞいた。 「殿ちゃん」  呼ばれてちょこちょこと姿を見せたのは、赤い袖なしの羽織を着た子狸だ。子狸は倒れた少年を避けるようにぐるりと歩いて、おみよの脚のうしろにそっと身を寄せた。 「ちゃんと隠れててえらかったわね。このひと、殿ちゃんのこと狙ってきたのかしら」 「きゅうう……」  こげ茶色の毛並みをなでながらおみよが言えば、子狸はまるで返事をするように鳴いて尻尾をふくらませる。 「このひとはわたしがなんとかしておくから、殿ちゃんはもう寝床に帰りなさいな。しばらくは隠れてなきゃだめよ、見つかったら、何されるかわからないんだから」 「きゅふん」  子狸はひと声鳴いたかと思うと、やわらかな毛皮をふるりとゆすり、姿を消した。  目の前で忽然といなくなった子狸を見ていたおみよだったが、驚くでもなく倒れたままの少年に目をやった。 「なんとか、しなきゃダメよねえ……」  少年はおみよの声に驚いて、竹藪のなかで頭をどこかにぶつけたのだろう。驚かせてしまった自分のせいだろうか、と責任を感じたおみよは、すこし考えてひとつうなずくと、少年の上半身を抱き起して両脇に腕を差し入れた。   「うっ、重たい……! こんなときに弥太郎さんが来てくれればいいのに……」  おみよが叶わぬ願いをこぼしているころ。  弥太郎は、遠い田舎の松の枝に身を寄せていた。 「っくし」  高い木のうえから眼下の屋敷を見張っていた弥太郎は、不意にむずがゆさを覚えてちいさなくしゃみをする。黒い上下に身を包んだ体を丸めれば、いつも背負っている行李のない小柄な体は松の枝がつくる影に容易に溶け込んだ。  身を縮めた弥太郎が鼻をこすりながらこっそり様子をうかがうが、くしゃみの音は足下の家のものの耳まで届かなかったのだろう。日暮れ間もないうす暗がりに包まれた家からひとが出てくる様子はなかった。 「はあ、まいったね。誰かおいらのうわさ話でもしてんのかねえ。それにしてもあいつ、遅いなあ」  ちいさくぼやいた弥太郎は「さて、先に行っちまうぞ、と」と立ち上がる。立派な瓦葺きの屋敷の屋根を見下ろせる木の上で、細い枝に危なげなく立った弥太郎はひょい、と気軽に足を踏み出した。  身ひとつで宙に踊り出せば、当然その身は地に向かう。  そして固い土に叩きつけられるもの、と思いきや。  枝からわずかに落下した弥太郎が、ふわりと空に舞い上がった。その背には、弥太郎の髪の毛と同じく濡れ羽色をした翼が生えている。  ばさりばさり、と羽音を立てた弥太郎は、難なく屋敷の屋根に足をつけると翼をしまい、ひたひたと瓦のうえを移動していく。 「まーったく。鴉どもが鳥目でさえなければ、こんな仕事おいらがやるまでもないってのに」  弥太郎はぶつくさとつぶやきながら、たどりついた屋根の端にしゃがんだ。下にあるのは屋敷の端にある、ひと気のない小部屋のあたる箇所だ。   「……んん、誰もいないな」  しばし、耳をすましていた弥太郎は、周囲で物音がしないことを確かめると屋根から跳んだ。くるり、と宙がえりして、音もなく縁側に着地する。  誰もいない小部屋を目にして、弥太郎はするりと部屋のなかに身を滑らせた。使われている気配はないが、きれいに整えられた部屋だ。広くはないながらも、小さな床には趣味の良い掛け軸が飾られ、細かな細工のされた違い棚のうえには一輪挿しの花瓶が置かれている。主人が長く不在にしているこの部屋のなかで、花瓶に飾られた花がちいさな明かりのようだった。    ―――なんだい、主人のいない書き物部屋に花まで飾られてら。こんなに気にかけてもらってるてえのに、とうの主人は都で浮気かい。まったく、こんな依頼、受けなきゃよかったかね。  やる気を削がれながらも弥太郎は素早く部屋の端に寄ると、違い棚の上にある低い天井に手をやった。  かたかた、かこん。  天井板をすこしゆすると、簡単に外れた。頭をつっこんでみると、暗い空間が広がっている。依頼主が言っていたとおり、ここから屋根裏に入れそうだ。 「……だれか、いますの?」 「!!」  女の声が聞こえて、弥太郎は慌てて暗い空間に飛び込むと同時、外した天井板を元に戻した。  さりさりさり、と衣擦れの音が近づいてきて、きしりとすぐそばの畳がきしむ。 「気のせいね。……旦那さま、年の暮れには帰ってきてくださるかしら」  切なげな声に弥太郎がつい天井板のすき間から下をのぞけば、若い女が美しい顔に憂いをのせて花瓶の花に手を伸ばしているのが見えた。この屋敷の奥方だろう。 「商いに出かけたきり、もう一年……。このごろは文のお返事もくださらないなんて、そんなにお忙しいのかしら」  ―――あんたの旦那はつい先日まで、都で評判の遊女に入れあげてたから帰ってこなかったんだよ、って教えてやりてえなあ。  一途に旦那の帰りを待って家を守る女に、弥太郎はつい自身が請け負った仕事も忘れて飛び出したくなった。けれども、ぐっとこらえて機を待った。代わりに、頭のなかで計画を練り直す。  ―――この文は枕元に置いて帰ろうと思ったけど、作戦変更だ。鴉に伝える暇は……。  弥太郎がそう思ったとき、ばさばさっという羽音と「グ、グアァ?」という間抜けた鳴き声が聞こえた。 「きゃあ!?」  それと時を同じくして、小部屋のなかで女の悲鳴があがったのを耳にして、弥太郎は慌てて天井板のすき間から部屋の様子をうかがう。  夕暮れも消え去った薄闇のなか、闇よりなお黒い体をした鴉が部屋のなかをばさばさと飛び回っている。黒い羽根とともに部屋に舞うのは、弥太郎が雇い主から聞きだした奥方の好む花、桔梗だ。   「この、花は……」  突然、舞い込んだ鴉に驚きながらも奥方は鴉が運んできた花に意識を奪われている。それを見て取った弥太郎は、天井板のすき間からするり出ると奥方の背後をすり抜けて、部屋の上をくるくる飛び回る鴉をつかんで飛んだ。  ばさり、大きな羽音を立てて、一目散に屋敷から遠ざかる。この暗がりのなか、地上からでは少し大柄な鴉が飛んでいるようにしか見えない。突然、飛び込んできて花を散らし、再び飛び去って行った鴉を見送った奥方は呆然とその姿を見送った。 「なんだったのかしら……あら?」 「奥さま、先ほどの声は!?」  奥方の悲鳴を聞きつけた家人が燭台を持って駆け付けたときには、奥方は桔梗の散らばる部屋の真ん中で文を胸に抱き、座り込んでいた。 「奥さま、どうなさいました」  心配する家人に、奥方は抱えていた文を見せて涙を浮かべながら笑った。 「旦那さまからの文が届きました。この花が枯れる前には、お戻りになられるそうよ。商いも、うまくいった、と」  ほろり、ほろりとこぼれた涙が足元に散らばる桔梗に落ちる。  奥方の久々の笑顔を目にした家人は、つられたように微笑んで桔梗を拾い集めはじめる。 「ようございましたね、奥様。ああ、花を集めたらさっそく旦那さまを迎えする支度をいたしましょう。それにしても、急なお便り。いつの間に届けに来たやら、気が付きませんでしたが」  うれしそうな奥方のそばで花を拾いながら家人がこぼしたとき、弥太郎はすでにとっぷりと暗くなった空を飛んでいた。 「この、鳥目の鳥頭! 花を摘んだら屋根に運べと言ったろう! まったく、大失敗するところだったじゃあねえか」 「グ、グアアァ……」  鳥目の鴉にはもうあたりが見えないのだろう。弥太郎に言いたい放題に言われながらも、おとなしくその手のなかに収まって弱弱しく鳴くばかり。  申し訳なさそうな鴉の様子を目にして、ようやく弥太郎の興奮も冷めてきたらしい。  ふん、と鼻を鳴らすとすでにはるか遠くなった屋敷に視線をやってぼやきだした。 「それにしても、あんな浮気男にあの奥方はもったいないねえ。商いは大成功したし、浮気も途中で目を覚ましたとはいえ、おいらが危ない橋渡って大急ぎで来るまでもなかったような気が……」 「グアー」 「お前もそう思うかい。依頼の期日が短いからって、お前にも無理言ったね。よくあれだけの花を集めてくれたねえ。駄賃を多めにもらってあるから、お前のぶんの団子も買おう。ゆっくり味わおう」  早くも意識を団子に飛ばした弥太郎と鴉は、暗い夜空を山に向かって飛んでいく。山の鴉のねぐらに、商売道具の行李を置いてあるのだ。    「ああ、早くおみよちゃんのお団子が食いたいねえ」 「グアゥ。グアゥ」  ひとりと一匹は幸せなひとときに思いをはせながら、空を行く。  その大きな黒い翼を見上げる人影が、ひとり。 「あれは……」  つぶやいた人影は、黒い翼が消えていった山へ向かって駆け出した。ひゅるりと風を巻いて駆け出す人影は、頭の上で結んだ長い髪を尾のように引いて、暗闇に溶けていった。
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