よんわ

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よんわ

 ざあん、と竹の葉が鳴る道に、黒い羽根が舞う。 「おいおい、そんな急ぐなよ。慌てなくても団子はなくならねえって。どうせ、おいらたちしか客はいないんだから」  頭上にはばたく鴉に声をかけながら、弥太郎はゆったりと歩く。背中の荷物をゆさゆさ揺らし、懐に差し込んだ手で先日もらった駄賃をつついては、にんまりと笑う。 「有り金はたいて、団子食うからな。鴉も食うからには、のんびりしても文句言わせねえぞ」  小声でつぶやいた弥太郎は、ふと、立ち止まって竹林のなかを見回した。朝のさわやかな光が射しこんできらめく緑の空間に、ときおりはらり、はらりと枝を離れた葉が舞い落ちる。  耳に届くのは、風でこすれた竹の葉の音と、ときおり強く吹く風の音ばかり。  弥太郎が立ち止まってしまえば、他に音はない。 「……子狸、今日はまだ寝てんのかね?」  いつもであれば出迎えてくれるちいさな毛むくじゃらを探して、弥太郎はあたりを見回した。  気配を探ろうにも、あの子狸の気配はいつもつかめない。いまも、やはり何の気配も見つけられないまま、空から「グゥア! グア」と急かす声が降ってきて、弥太郎はあきらめて歩き出す。帰りには会えるだろうか、と思いながら竹林のなかにある広場に出た弥太郎は、見慣れた団子屋に見慣れぬ姿を見て足を止めた。 「あら、弥太郎さん。いらっしゃい」 「お、おみよちゃん……そいつぁ……」  にこやかに出迎えてくれたおみよは、目を見開いた弥太郎が指さした先に目をやって、ああ、とうなずいた。 「お客さまよ。先日から、毎日通ってくださってるの」  おみよがそういったところで、縁台に腰かけていた先客は弥太郎に気が付いて顔を上げた。  くちにほおばった団子をむぐむぐと咀嚼してごくりと飲み込むと、きりりと顔を引き締めてうなずく。 「んむ、我は明星(あけぼし)。陰陽師! になるべくして、陰陽寮にて陰陽史生(おんみょうのししょう)を務めておる! この店は珍妙な場所にあるが、団子がうまいのでな。忙しいなか時間を作って通ってやっておるのだ」  常日頃、触れ合う機会のない相手に弥太郎はまじまじとその姿をながめた。  尊大な態度の明星は、青年というより少年といった風情だが、まとう狩衣は弥太郎やおみよの衣服に比べれば、たしかに上等な布で織られているようだった。 「はああ、陰陽師さまかい……」  陰陽史生の仕事は陰陽寮において書類を届けてまわることであり、ようは下っ端も下っ端だ。しかし、幕府の内部に興味のない弥太郎にとっては、陰陽寮に所属するものはみな陰陽師である。その雑なくくりによってもれたつぶやきは、明星を機嫌よくさせた。 「うむ! 民草にとっては我も陰陽師という認識で問題なかろう。ほれ、お前も団子を食いに来たのであろう。我は心が広いでな、同じ席につくことを許そう!」 「はあ、ありがたき幸せ……?」 「はいはい、それじゃあ、お団子焼いてくるわね」  あれよあれよと縁台に座らせられた弥太郎は、そろりと背中の行李を下ろすと隣合って座る明星に気づかれないように空を見上げて、鴉に手を合わせた。  ―――すまん、鴉。陰陽師がおるから、お前は降りてくるな。団子は土産に包んでもらうから、気づかれんうちに去ね。 「グアーオ! アーオアーオ!!」 「んむ? なんだ、やかましい鴉だな」  抗議の鳴き声を上げる鴉に、眉をひそめた明星が空を見上げた。どこにでもいる鴉とはいえ、弥太郎のそばにあって長い鴉だ。陰陽師の目で見れば何か常と違うものを見出されてしまうかもしれない、と弥太郎はあわてて話を振った。 「はは、団子のにおいにつられて来たんでしょうかね。困った鴉だ。ところで陰陽師さまは、どうやってこの店をお知りになったんで?」  陰陽師さま、という呼び名に明星の耳がぴくりと動く。  空では鴉がなおも恨みがましい鳴き声を響かせているが、そんなことはすっぱり忘れた明星が弥太郎に向き直る。 「おお、それよな。言うてしまえば、偶然なのだ。我はあやしの気配を追っているうち、この一帯に広がる竹林へとたどり着いてな。陰陽師たるもの、放ってはおけぬとあやしの気配を探るうち、不覚にも意識を奪われておったのだ。そして、気が付くと、この団子屋でおみよに介抱されておった、というわけだ」  「我に気付かれず意識を刈り取るとは、たいしたあやかしよ」などと機嫌よく語る陰陽師の話を聞いていた弥太郎は、ひたりと動きを止めて寸の間、考えた。そして、にっかりと笑い返す。 「そうでしたか、そうでしたか。いや、陰陽師さまがそのように気を配ってくださるからこそ、おいらたち民は心安く暮らせるってえもんでさ。ありがてぇことです」 「うん、弥太郎といったか。お前はなかなか、わかっておるな! 見たところ薬売りのようだが、薬で治らんものも多くあるからな。何かあればこの明星、相談に乗ってやろう」 「そいつぁ、心強ぇこってすな! 本当にありがてぇや」  うれしそうに頭を下げた弥太郎に、明星は機嫌を良くする。  うんうん、とうなずいた明星は、ぱくぱくと団子を食べきってしまうと、やおら立ち上がって懐に手を差し入れた。 「おみよ、勘定だ。それとこの男に団子を一皿、馳走してやれ。なかなか見どころのある男だからな!」 「まあ、さすが陰陽師さま、太っ腹ですね。ただいまご用意いたしますね」  ぱたぱたと店から駆け出てきたおみよに銭を渡すと、明星はきりりと顔を引き締めて続けた。 「それはそれとして。妙なものを見たり、聞いたり、妙なことが起こったら、すぐ我に知らせよ。この付近にあやかしが潜んでおやるやもしれんからな。油断するな、おみよ」 「はい、いつもお気にかけてくださってありがとうございます」  ぺこり、と頭を下げるおみよにひとつうなずいて、明星はすたすたと歩き出す。慌てて立ち上がった弥太郎は、その背に向かって声をかけた。 「陰陽師さま! 遠慮なくご馳走になりますよ!」 「うむ! 我は忙しい身ゆえ行かねばならんが、お前はゆったり団子を楽しめ。お前も、あやかしに気をつけるのだぞ!」  尊大に言い放った明星の姿がすっかり見えなくなってから、弥太郎は縁台にどさりと腰を下ろした。横に立つおみよも、どこか疲れたように笑っている。 「……おみよちゃん、あの陰陽師が言ってたあやかしって……」  弥太郎の頭に浮かんでいたのは、いつも竹林のなかで出会う子狸だった。子狸にはこの団子屋に来るたび出会うが、羽織を着ているところを見るに妖怪変幻の類いだろうと考えておみよには話していなかった。  しかし、陰陽師があの子狸を狙っているとなると、黙っているわけにもいかないだろう。そう考えた弥太郎はおそるおそる問うてみる。  すると、おみよは「失礼しますね」と断って弥太郎のとなりに腰を下ろした。 「ああ、弥太郎さんは会ったことあるのね。そう、きっと殿ちゃんだわ」 「殿ちゃん?」  特に驚くこともなく子狸の存在を認めたおみよに、弥太郎のほうが目を丸くした。 「そう、あの赤い羽織を着た狸の子。赤殿中っていう妖怪なのよ。だから、殿ちゃん」 「ははぁ」 「妖怪だけど、殿ちゃんは悪いことなんてしないのよ。ただ、通りかかったひとの肩をとんとん、って叩いてあげるだけ。そのときに、おんぶしてもらえるのが嬉しいだけなのよ」  言って、おみよはほほに手を添えため息をつく。 「でもねえ。あの陰陽師さま、そんなこと言って納得してくれそうにないでしょう? ひとまず殿ちゃんにはこの店や竹林の道に近寄らないように言っておいたけど、どうしたものかしらね……」  おみよの話を聞いた弥太郎は、おみよが子狸を妖怪と知ってその存在を受け入れていることにおどろいた。  それと同時に、困っているおみよのため、そして隠れなくてはいけなくなった子狸の力になりたいと思った。  けれどそのためには、自分の生業を明かさねばならない、と弥太郎は逡巡した。恥じるような仕事はしていない。けれど、世間に誇れるような仕事とも言えない。 「……なあ、おみよちゃん」  迷って、くちを開いて、けれど迷いを捨てきれずに弥太郎はことばを切った。  ―――言って、もうここに来られなくなったら?  ためらう弥太郎の脳裏に、過去の記憶が蘇る。  弥太郎の背中に黒い羽があるのを知って、よそよそしくなった人びとの背中。ともに暮らす人びとから腫れものを扱うように距離を置かれる気持ち。  ―――おみよちゃんも、そうなったとしたら……。  子狸の妖怪を受け入れているおみよなら、もしかしたらと思う気持ちと、それでもやはりためらう気持ちとが弥太郎のなかでせめぎ合う。 「弥太郎さん?」 「……あのさ」  黙りこんだ弥太郎におみよが首をかしげる。長すぎた沈黙を埋めようと、弥太郎がゆるゆるくちを開いたとき。 「グゥアー!」  突き刺すような鴉の鳴き声が空から響き、弥太郎は意識を研ぎ澄ます。それと同時に竹林の道からざざざざ、と風よりも重たい音が聞こえる。  おみよの前に立ち、腰を低く構えた弥太郎が見据える先に、ざぱんっと竹の葉が舞い、黒い影が飛び出した。 「見つけたぞ、弥太郎!!」
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