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ろくわ
ばさり。
羽を広げて見せた弥太郎は、目を見開き驚きの表情で自分を見ているおみよの視線を受けて、悲しげにほほえんだ。
「おいら、鴉との混じりものでね。赤児のときにこいつ、限の親に拾われて育てられたんだ」
「弥太はおさないころから足は速いし、身は軽く、目もよかった。そのうえ、羽まであって飛べるのだからいくら頑張ってもかなわなくて、おれは悔しい思いをしたものだ」
懐かしむように目を閉じた限が、うなずきながら言う。けれど、同じ記憶を持つはずの弥太郎は、苦笑した。
「そんなこと思うのは、お前さんだけさ。里のみんなはおいらのこと、鴉天狗の捨て子だっていって気味悪がった」
「だが、弥太郎! お前の実力はみな認めていた! 忍者働きするときには、いつだってお前が作戦の中心だったではないか!」
「ああ、お前の親父さまの道具としての、実力をな」
声を荒らげた限だったが、弥太郎の静かなひとことでぐっとことばに詰まる。
「里の連中は、おいらのことなんて認めちゃいなかった。おいらが作戦の中心だったのは、いちばん捨て駒にしやすいからだ。血濡れになっても使い物にならなくなっても、誰も困らないからさ。お前とお前の家族だけだったんだよ、あの里でおいらにふつうに接してくれるのは」
淡々と語る弥太郎に限は何も言えなくなった。
くちをつぐんだ限から視線をそらしておみよの見開かれた目を見た弥太郎は、さみしそうに笑うとふたりに背を向け、行李を片手に去っていこうとする。
けれど、一歩二歩と進んだところで、弥太郎の足は進めなくなった。
おみよが、弥太郎の腕を抱きしめて引き留めていた。
「おみよちゃん……」
おみよがやさしさゆえに手を伸ばしてくれたのだろう、と思った弥太郎は、自分の腕に絡まるその手をやさしくどけようとした。
けれど、しっかりと腕をつかむ手の持ち主の顔を見て、ぎょっと動きを止める。
「うれしい……」
おみよは、ほほを桃色に染めて瞳をきらきらと輝かせ、興奮していた。その顔に浮かぶのは、あきらかな喜色だ。
「弥太郎さんがあやかしだったなんて! うれしい!」
「……は?」
はずんだ声で告げられたことばの意味が、弥太郎にはわからなかった。思わずぽかんと口を開けた弥太郎に構わず、おみよは腕をつかんだままぴょんぴょんと跳ねる。
「弥太郎さんは鴉天狗のお子さんだったんですね! 道理ですてきな濡れ羽色の髪をしてると思ったわ。弥太郎さん、幼なじみに居場所がばれてこのあたりに居辛いというなら、任せてください!」
「え、なにを……」
任せろと言っておみよがぎゅう、と目をつむる。すると。
ぽん。
なんとも、軽く間抜けた音を立てて、団子屋が消えた。
「は?」
ぽん、ぽぽん。
続いて、店の前に並んでいた縁台も消え失せる。
瞬きののち、竹林の広場に残ったのは弥太郎たち三人と、かまどがあったはずの場所にゆるく立ち上る煙、そして地面のうえに番重がひとつきり。店があったはずの場所にぽつりと残された番重には、焼く前の団子が串にささって並んでいた。
「へ?」
「ええ?」
突然の事態に、弥太郎と限はそろってあたりをきょろきょろと見回しては、素っ頓狂な声を上げる。
「げ、幻術か? いや、そんな気配はなかったが……」
「おいらも気づかなかった。それに、店の幻術なんて見せてどうするってんだ」
「それは、うちが弥太郎さんのための団子屋だからですよ」
慌てるふたりを楽しそうに見て、おみよが言う。
「おいらのための……?」
「そうです」
首をかしげる弥太郎にひとつうなずいてから、おみよは再びぎゅう、と目をつむる。
すると。
ぽん、と軽い音とともに、おみよの姿が消えた。
いや、消えたのではない。ちいさくなった。
目をぱちくりとさせた弥太郎と限の目のまえで、おみよが姿を変えていた。
丸い顔にふさふさの尻尾。茶色い毛皮に包まれたたれ目の生き物、狸が、そこにいた。
「たぬ、き……?」
「きゅふん」
そうだ、とでも言うようにひとこえ鳴いた狸の頭には、葉っぱが一枚、乗っている。
そういや狸は化けるんだったか、と弥太郎がぼんやりとその愛らしい姿を眺めていると、狸が丸い目をきゅうとつむる。
ぽふん、という音とともに、狸のいた場所におみよが立っていた。
度重なる不思議な光景に、限もくちを利くのを忘れてぼんやりと見入っている。
ただひとりおみよだけが、瞳を輝かせて声を弾ませる。
「わたし、化けられる狸なんです。ところでさっきの姿、見覚えありませんか?」
「え? いやあ、狸の見分けはおいらちょっと……」
弥太郎が申し訳なさそうに頭をかくと、おみよはぷっくりほほを膨らせた。
「半年前に、弥太郎さんに助けていただいた狸です! この近くで倒れていたところに、お団子をわけてくださったじゃありませんか」
言われて、弥太郎は記憶をさぐる。忍としての修行の一環で、意図した記憶を引き出せるように訓練されているのだ。
そして、おみよの言う記憶は、たしかに弥太郎のなかにあった。
「あー、はいはい。あったあった。里を抜けて、居所を探してぷらぷらしてたころだなあ。そうかあ、あのときの狸かあ」
「はい。おかげさまで命がつながりました」
なるほどなあ、と納得する弥太郎に、おみよが深々と頭を下げる。
そこへ、限が疑問をくちにした。
「しかし、なぜ狸が団子屋を?」
「弥太郎さんのためです」
もっともな問いに、おみよは間髪入れずに答える。まるで、他の理由などあるはずがない、と言いたげな勢いだ。
けれど、名を出された当の本人ははて、と首をかしげている。
「おいらのため?」
「そうです。あのとき、お団子をくださったとき、弥太郎さんはおっしゃいました。おいしいものを食べて穏やかにのんびり暮らしたい、と」
「ああー、言ったような気がするなあ」
「確かに、弥太なら言いそうだ」
弥太郎と限の両方から同意を得たおみよは、ぐっとこぶしをにぎって力強く言う。
「なので、弥太郎さんの憩いの場になれるよう、団子の作り方を覚えたのです。だからうちは、弥太郎さんのための団子屋なのです!」
「はあ。そいつは……なんだ、へへ。なんか、うれしいねえ」
戸惑っていた弥太郎だったが、自分のための居場所があったと知って相好を崩す。胸に湧き上がるむずがゆいような温かさに、鼻のしたを親指でこすった。
「弥太……」
抑えきれない喜びをにじませる幼なじみを見て、限もまたことばにできない気持ちを覚えていた。喜ぶ弥太郎の姿がうれしいような、それをもたらしたのが自分でないことが寂しいような、奇妙な心持ちだ。
そんな男たちに構わずに、おみよは笑顔で告げた。
「というわけで。弥太郎さんが住みよい場所に、店を移しましょう! 殿ちゃん、おいで!」
おみよが呼ぶが早いか、そばの竹林からちいさな影が飛び出して、ころころと転がるように駆けてきて弥太郎の背中に飛び乗った。
「殿坊!」
「きゅうう」
弥太郎に呼ばれて、背中の塊がうれしそうに鳴く。いつから覗いていたのか、赤い袖なしの羽織を着た子狸が弥太郎にほおずりをした。
子狸の登場に驚いている弥太郎を置いて、おみよはいそいそと番重の中身を木の葉に包み、どこから出したのかふろしきにくるんでよいしょ、と背負う。
「では、行きましょう、弥太郎さん! お気に召す場所まで、ひとっ飛びです!」
言って、ぽふりと狸に姿を変えたおみよも弥太郎の肩に飛び乗った。
「お、おお?」
その勢いに押されて思わず羽を広げた弥太郎は、行李を手にぶらさげて空に舞う。
限がはっと我に返ったときには、すでに弥太郎たちは竹林のうえ。限はひとり、地上に取り残されていた。
「おい、弥太! どこへ行く気だ!」
頭上をくるくると飛ぶ弥太郎に叫べば、返事の代わりに何かがひゅるる、と落ちてきた。
ぱしり、と受け止めたのは両手に収まる程度の包み。たいした重みもなく、落ちてきた衝撃もほとんど無かったその包みは、干した筍の皮でできていた。
「これは……団子?」
なぜそんな物が落ちてきたのか。まさかうっかり落としたのだろうか。
そう思って空をあおいだ限に、弥太郎の声が降ってくる。
「その団子でも食って、お前もちっとゆるく生きてみろよ! じゃあな、またどこかで会おう!」
言うが早いか、弥太郎は羽ばたいて飛んでいく。行李に狸二匹を連れているせいか、その速度はいつもより遅い。限の足で駆ければ、きっと追いつけるだろう。
けれど、限は立ち尽くしたままその黒い羽を見上げた。
「弥太のあれほどはずんだ声、聞いたことがなかった……」
遠ざかる幼なじみの姿を見つめながらぼんやりとつぶやいた限は、まだ温かい包みを開いて団子をひとつかじる。
やわらかく香ばしいその味を噛みしめて、限はちいさくなってしまった背中にぽつりとつぶやいた。
「元気でやれよ」
ちいさな声に応える者はなく、竹の葉だけがざあん、ざんと波のように鳴いていた。
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