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第1章 ガーゴイルのまなざし 2.騎士の身長
境一有は子供のころから「綺麗」「可愛い」「美人」といわれていた。
十六歳になったいま、一有はこの三つの言葉は似ていても指している方向がちがうと思っている。とはいえいまだにこの系統の言葉で呼ばれることに変わりはない。身長は低めで髪は薄い栗色、色白小顔ではっきりした左右対称の目鼻立ちのためだ。たしかに顔の作りは整っているほうだ。
幼児の頃はよく女の子に間違えられていたらしい。らしい、というのは一有にそのころの記憶がまったくないからだ。小学校にあがると「オメガ」といわれることが増えた。ベータである一有をオメガだと間違えるのは、たいていベータの大人だった。
アルファ、オメガ、ベータ。男性と女性という性のほか、この世には三つの性がある。
主としてリーダーシップの能力に恵まれるアルファに引っ張られてこの世界は動いている。引っ張られるのはもちろん、一有のような一般人で、一学年の七割強を占めるありふれた存在である。そのアルファと〈つがい〉になり、ときにアルファの行き過ぎをなだめられるのがオメガだ。
オメガの大半は、子供の頃の外見はベータとたいして変わらない。でもオメガ性には他の二性とは異なる第三次性徴がある。これは十五歳から十八歳ごろにあらわれ、これと同時にはじまるのが〈発情〉だ。男でも妊娠できるようになるのはこのあとから。オメガがはっきり「オメガらしい」柔らかい綺麗な外見になるのもこの前後から。
アルファとオメガは匂いでお互いを判別する。とくにオメガはとても匂いに敏感だ。でもベータはオメガのよう三性を嗅ぎわけることはできないし、アルファのようにオメガを匂いから見出すこともできない。
もっともアルファだって、オメガが匂いでそれとわかるのは中学生くらいかららしいが、ベータは何歳になろうともオメガを嗅ぎ分けるなんてできないのだ。そう、だから一有はベータにオメガと間違われることになる。アルファは一有がオメガでないことなんて、みなくともわかるのだから。
アルファやベータとちがって、オメガは潜在因子によって突然変異的に生まれる。一方、アルファが生まれる確率は両親がアルファとオメガである場合が一番高いとされていて、だからアルファはオメガとつがいになりたがる。
オメガ性は歴史上長いあいだ、差別されたり、奴隷にされたり、人権を侵害されてきた。アルファはオメガの発情を利用して、彼らの意思を無視して強引にセックスしたり、子供を産ませたりしてきた。
こんな不平等はよろしくない、オメガにも権利を――という社会運動がはじまったのは一有が生まれるずっとずっと前のことだ。今の世の中ではオメガ性はいろいろな法律で保護されている。学校では第三次性徴がはじまる年齢になるとアルファとおなじクラスにはしない。
そうはいっても、圧倒的に数の少ないオメガだけを隔離しては、別の差別が生まれるのでは? などといった調整の結果、高校になるとオメガはベータとおなじクラスに編入される。つまり、アルファとベータがいるクラス、オメガとベータがいるクラス、に分かれるわけだ。
外見ですぐにわかる男性、女性よりも三性の扱いはデリケートだった。中学でも高校でもクラス名簿に三性は書かれていない。アルファとオメガが同じクラスにならないことは全員知っているし、もちろん教師は把握しているが、生徒同士が性別による先入観を持たないために、あえて名簿に誰がベータで誰がオメガ、などと書かない。この学園でも、寮の区分けでアルファとオメガはおなじ棟にならないよう調整されている。
とはいえ中等部からおなじ学校、おなじ寮にいれば、だんだん自然にわかるんだろうな、と一有は思った。
聖騎士学園の騎士制度は、今のようなオメガ保護の法律ができる前に創設されたものらしい。横暴な君主から姫を守る騎士、というわけだ。
「こんなの、本当はどのくらい意味あるのって感じなんだけどさ」
教室の隣の席で西尾が消しゴムをお手玉しながらいった。入学式から十日たち、一有もやっと寮やクラスに慣れてきた。
「だってさ、子供のころから知り合いのアルファとオメガなんて、もうほとんどできあがってるしさ。誰がはじめたんだかしらないけど、どっちかといえばナイトじゃなくて姫に仕える奴隷って感じだろ」
「ナイトって何をするんだ」
一有がたずねると、西尾は指の間で消しゴムをくるくる回しながら首をひねる。
「場合によりけりかな。たまに女王様なオメガがいて、ナイト連中に課題までやってもらってるって噂があるけど」
「そんなの、いいのかよ」
「さあね。寮の当番くらいはたまにやってもらうこともあるんじゃね? 早乙女は外で買い物を頼むのはよくやってるみたい」
西尾は黒板のすぐ前の席に座るオメガにちらっと目をやった。小柄ですらっとした体つき、平凡な顔立ちなのにどこか目を惹く。ということはもう、第三次性徴を迎えているのかもしれない。
「あいつ外に彼氏がいるらしいけど、ここ田舎だし、オメガだと危ないこともあるかもしんないし」
ふうん、と一有は気ののらない相槌をうつ。
聖騎士学園は初等部から高等部まであり、中等部高等部は一貫制で、高校からの入学者はめったにいなかった。一有は数年ぶりの例外なのだ。入学式といっても高等部の学生は全員が顔見知りだ。おなじ顔ばっかりで飽き飽きした、という西尾は、一有が隣の席になって嬉しいという。初等部から蓄積された学園知識のあれこれを聞く前から披露してくれる。
「世界史の廣野センセがいってたけど、なんとか騎士物語? アーサー王だっけ? 結婚してる女王様にセックス抜きの純愛を捧げるのがロマンだ、みたいな話があってさ、オメガの騎士制ってそこから来てるみたいよ。アルファはアルファで親衛隊いるし」
「親衛隊?」
「あ、それは俺が勝手に呼んでるだけ。なんていうか、ファンクラブ、みたいな? 隣のクラスの鷲尾崎知らない? あいつとかさ」
鷲尾崎。一有は中庭で出会った一八五センチを思い浮かべる。そういえば西尾の身長はいくつなのか。
「西尾君、立って」
「え?」
「いいから」
西尾は怪訝な顔で立ち上がり、一有は目で測る。一六五センチか。ちっ。
綺麗、可愛いといった言葉をかけられることや、オメガに間違われることは、一有にとっては災難の方が多い。中学生のころはおかしな大人につきまとわれたり、ショッピングセンターのトイレで追いつめられたり、もっと子供のうちは誘拐されそうになったこともある(らしい――一有は覚えていない)。
とはいえこの学園にはそんな大人はいないと思いたいし、あのガーゴイルがみおろす庭で出会った鷲尾崎叶のおかげか、オメガと間違われることもなくなった。
一有が他人に知られたくないこと――おなじクラスの他の生徒より一歳上であることは、教師はともかく生徒には知られていない。海外で調査旅行にあけくれていた両親が海で遭難し、そろって死んでしまってから、一有がいまの後見人に引き取られるまでひきこもりだったことも、誰も知らない。
一有にしてみれば、三性の区分がどうという話より、こちらの方が気がかりだった。一有は大多数のひとり、よくいるベータにすぎないのだ。鷲尾崎叶のようなエリート一族のアルファとも、早乙女のようなオメガともちがう。
その鷲尾崎叶と次に話したのは選択授業のときだった。美術か音楽か書道かという選択で、書道を選んだ一有が教室をのぞくと、背筋をぴんとのばした鷲尾崎叶がひとりで机に向かい、しずかに墨を摺っていた。一有は教室の入口で立ち止まった。なんだか、邪魔をしてはいけないような気がしたのだ。
ところが鷲尾崎は手をとめて、一有のほうをみた。
「イチウ。書道にしたんだ」
「あ、うん」
名前を呼ばれたことに驚きながら一有は教室に入った。
「イチウも書道やっていたのか?」
鷲尾崎はまた硯の上で手を動かしはじめた。教師の姿もみえないし、他の生徒も来ていない。
「いや、小学校のとき習字教室へいったくらい。でも美術は苦手だし、音楽はとる人数が多かったから……」
「そっか。俺は初等部からずっとやってる」
「へえ。すごいな」
「テレビドラマで」鷲尾崎は手を動かしながら淡々と話を続ける。「連続殺人事件捜査対策本部、とか、墨で書くだろう?」
「ああ、うん」
「大きくなったらああいうのを書きたい」
「え?」
「初等部のとき親にそういったんだ。そしたら習うことになって、以来ずるずると」
「それもすごいな。そういえば鷲尾崎君って」
「叶だよ」
「え?」
「名前。キョウって呼んでほしい」
「あ……」
一有はあっけにとられたが、相手は墨を片手に持ち、まっすぐ一有をみていた。奇妙におもえるほど真剣な目つきだった。心の中に何か投げ入れられたような気がして一有は目を瞬いた。一有の心の底にたまっている、誰もしらない深い水に落ち、水面を揺らしつづける小石の一投。
「うん、わかった」
一有はこたえた。ふたりが友人になったのは、たぶんこのときからだった。
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