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日付が変わった深夜。アタシは旅装を調え、家で仮眠もとれないまま伯爵の迎えを待っていた。
2日の間に、村へ顔を出し、おばばにいつ帰って来れるかは分からないが、王に呼ばれて村を離れることとその間の自宅と薬草園の管理を村の人たちに頼みたいことを告げた。
伯爵が「話を通してある」と言った通り、おばばは事情をすぐに理解してくれ、村の若衆に交代制で管理を任せることを約束し、アタシは前もって書いておいた、薬草園に蔓延るであろう雑草と薬草の見分け方と肥料を与える時期についての書類を託してきた。全ての用事を終えておばばの家を出ると、広場には村の人たちが集まっていて、「餞別だ」と大きめの革袋を一つ、アタシに寄越した。中身は村の共同倉に納めてある備蓄食料だ。
「記憶のない両親の能力を引き継いで、この村を支えてくれたお礼だ。持って行け」
雑貨屋のおじさんがそう言って笑う。
「……いいのか?」
アタシは呟いた。村外れでしか暮らせないようなよそ者のアタシに、大事な備蓄食料を分けるなんて。
「トーコたち一家が来てくれたおかげで、みんなこの10年以上大きな病気も怪我もしていないんだ」
「昔は病気になっても怪我をしても誰も手を出せなくて、老若男女問わず死人が出たもんさ」
「領主様が代わりの薬草師と祈祷師を探してくれてるとも聞いてる。だから、俺たちは大丈夫だ」
「トーコねえちゃん、早く帰ってきてね!」
「ねえちゃんがいないと寂しいよ」
「この村はお前の村だ。いつかちゃんと帰ってこい」
みんなが笑う。
……そうか、アタシは両親をなくして、顔も覚えていないけれど、ここに「家族」がいるんだ。そう思ったら何だか泣けてきた。
「……おねえちゃん、どうしたの?」
7歳くらいの女の子が駆け寄ってくる。この子は……ああ、宿屋の2番目の子だ。
「んん……。なんでもない」
アタシは泣き笑いの顔で応じてやり、革袋を胸元に抱え込んだ。
「ありがとな。……行ってきます!」
行ってきますなんて挨拶、何年振りだろう。でも、村のみんなが送り出してくれるのが嬉しかった。
うっすらと空が白みはじめるころ、家の前に馬車の音が止まった。
「来たね」
アタシは大きなリュックと外套を手に、座っていた椅子から立ち上がると、一つ深呼吸をした。玄関を開け、外に出ると夜明けの空気が澄んでいるのを感じる。
道の先に目をやると、目立たぬよう伯爵家の持ち物の中でも特に地味な箱馬車が停まっている。近づくと窓から顔が覗いていた。
「お前……、ギル?!」
同行者は伯爵ではなかった。アタシより3つほど年上のはずのその嫡男、ギルバートだ。
「やあ、トーコ。父上から同道を命じられてね」
ギルは父親譲りの温和な笑みを浮かべ、馬車に乗り込むよう促した。
「あまり荷物はないんだね」
「まあな。服を少しと薬を少し、それから村のみんなが分けてくれた食料くらいしか入ってない。……王都まではどれくらいかかる?」
「小さな町や村に立ち寄って補給しながらだから、だいたい10日くらいかな。この馬車じゃ野宿はできないだろう?」
「それもそうか。だとすると、どこかで薬草も採るか買うかしないと」
いきなりの難題だ。
「どうした? 早々に考え込んで」
「あ、いや。薬は持ってきたんだが、いざという時のために極力残しておきたいんだ。でも素材の薬草類を使うとなると、何かあった時に大変だからな」
そう答えると、ギルは嫌な予感がする、と言わんばかりに口を開いた。
「まさか、薬の調合道具は持ってきてないよね?」
「旅行用の簡易版は父さんのだったらしい奴があったから、こいつに入れて持ってきたけど?」
やっぱりか、と呟いたギルは呆れ半分、怒り半分といった表情で言い出した。
「あのねぇ、そんなものくらい、言ってくれればうちで用意してあげられるんだよ?」
その言い草にちょっとムッときて、言い返す。
「もともとうちにあったものを使って何が悪い」
このリュックは父さんの遺品のはずだ。行商をやってたという父さんは、定住した後もこれを手放さなかったみたいだ。時々珍しい薬草を探すために家を空けていたらしいから、その時にも使っていたのだろう。
「確かに君の父上は優秀な薬草師だったけれど、今じゃもっと上質な道具もリュックも売ってるはずだよ。父上ならそれを近くの町で調達するくらい、わけないはずだ」
「だけど、これはたぶん父さんのだ。今は記憶もないけれど、アタシから父さんの物を奪う権利はお前にあるのか?」
言われて初めて、ギルも気づいたらしい。ごめん、と小さく謝ってきた。
「僕が言い過ぎたね」
「……わかってくれればいい」
それからアタシたちはあまりしゃべらずに馬車に揺られていた。
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