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第1の門を抜けてすぐのところに馬車の待機所と仮設っぽい厩舎があった。
アタシとギルはそこで降りて、1キリムほどの道を歩く。
「なんで正面から行かないんだ?」
「そういう指示が来ているんだよ」
たどり着いたのは小さな通用門。ギルが奇妙なリズムでそこをノックすると、中堅どころと思しき女官がドアを開けて、アタシたちを通してくれた。
「伯爵家のギルバート子爵ですね? お連れの方とこちらへ」
メイドがアタシたちを城の裏側へと誘導する。そこは下働きや下位の女官たちが利用する通路らしかった。
表側を行き交う大臣や衛兵を回避しながら、ひたすら上階を目指して進む。そして女官が石造りの殺風景な通路の途中で立ち止まった。
「ここは?」
声を落として女官に問うも、お静かに願います、の一言で黙らされる。
「陛下」
女官が静かに壁に向かって呼びかける。すると、石壁の一部が動き出し、外れはじめた。
「なるほど、緊急用の隠し通路ってところか」
ギルが一人納得しているうちに、人間が一人入れるくらいの幅で石が外れた。
「急ぎ入られよ」
重々しい声がアタシたちを呼ぶ。まずアタシがそこをくぐり、ついでギルが、最後に女官が入ってきた。通過するときに何か重い織物の角が首筋に触れた気がしたから振り返ってみたら、そこには厚手のタペストリーを持ち上げて通路を開いた人間がいた。
壁を組み直し、タペストリーを元に戻したその人物は、アタシたちに向き直ると女官へ言った。
「出迎えご苦労だった、エレノア」
「いいえ、楽しゅうございましたわ、あなた」
「ならよかった。お前の悪い遊びもたまには役に立つということか、王妃よ」
そしてアタシたちに向けてこう言った。
「妙な出迎え方をして悪かった。だがこの顔合わせは極秘に行いたかったのでな」
「陛下……。衷心から申し上げますが、王妃様のお遊びを度々許すようなことはなさらないでください。女官たちや下働きの者たちが泡を食ってしまいます」
なるほど、この恰幅の割に動きが素早そうな壮年男性が『王様』か。アタシはギルの言葉で納得した。で、アタシたちをここまで導いてきた女官が王妃の変装だったってことか。
やべっ。あまりのことに頭が働かなくて、雲の上の人をまじまじと見ちまってる!
「お呼びにより参上いたしました、薬草師のトーコと申します」
その場に片膝を立てる形でしゃがみ込み、慌てて名乗る。
「そんな固くならずともよい。ワシがこのダンタリア国の王、エドモンド・レオニール・ダンタリアだ。ギルバート・ファビオン子爵もよく来てくれた」
「本当は父が参上すべきところですが、出立直前にトラブルが持ち上がりまして、名代を言いつかりました」
なるほど、伯爵はトラブルの対処に追われて身動き取れなくなったってことか。
「さて、堅い話はここまでにしようかの。ギル坊もトーコさんも楽にするといい」
王はいきなりそう言ってアタシたちに室内のソファーを勧めてくる。なんつーか、切り替えが早い。
「これから、ワシが知りうるトーコさんのことを全て話してしんぜよう」
「アタシの?」
アタシは薬草師と祈祷師の夫婦の間に生まれた一人娘で、両親が死んでから、両方のスキルを少しずつ習得してきて今に至る……んじゃないのか?
「まず、君は今、10歳以前の記憶を全く持っていないはずだ。違うか?」
「陛下、彼女はその後2年分の記憶も……」
ギルが割り込む。コトはアタシの記憶障害も絡んでるっていうのか?
「ふむ。10歳の頃の事故で両親を失い、そのあと精神的に不安定になったのが原因だったか?」
「そうです。両親の顔も覚えていないと」
「は? ちょっと待て、それどういうことだ?」
話がよく呑み込めない。王はそんなアタシを見て、テーブルの上に水晶球を載せた。
「覗いてみるといい。これが本来の君の記憶だ」
こわごわと水晶を覗く。そこに次々と浮かび上がってくるのは、見覚えがないはずなのに何だか懐かしい顔。
「父さん、母さん、それに姉さん……。学校のみんなも……」
「その日、ワシらは次元召喚装置の試験運転をしていた。それは次元の狭間を開く試験で、異界との境を貫くつもりはなかったのだ。しかし……」
「装置の暴走、ですか?」
察したギルが割り込む。
「そんなところだ。その結果、異界――地球との境目が一時的に薄くなり、1人の子供が召喚装置によって転送されてきてしまった」
「それが、アタシ……?」
「そうだ、樫輪 桐子さん。すぐに戻そうとしたのだが、その際に装置が故障してしまったことが原因でそうもいかなくなり、ワシはとっさに君の記憶を封印し、仮の記憶を植え付けたうえで、当時教会に身を寄せていた薬草師と祈祷師の夫婦に君を託したのだよ」
「じゃあ、村のおばばや伯爵がアタシに言ってた話は……?」
「おそらく善意のウソ、というやつだろう。違うか、ギル坊」
「ええ。ですが、夫婦が私を治療したのは確かです」
「アタシの本当の家族は、今は……?」
「わからぬ。少なくとも、あちらの世界では誘拐されたか、と届を出され、君は失踪者リストに入れられているはず」
たとえそうだとしても、地球とこっちの時間の流れ方が同じなら10年近く経つ。運よくあっちに戻れても居場所があるかどうか……。
「とりあえず、その水晶球を割るといい。ワシが封印した記憶が君の元に返るから」
アタシは再び水晶球に目を戻し、逡巡した後で言った。
「いや、この記憶は要らない。このまま封印しておいてくれ。その10年前の地球の知識が必要になることはたぶんないし、アタシにはこっちでの生き方が染み付いちまってる。あっちで暮らすのは無理だと思う」
それに、とアタシは続ける。
「今は村のみんながアタシの家族で、伯爵がアタシの後見人だ」
「わかった、そうしよう。だが、必要を感じた時のために、君にこれを預けておくよ」
アタシの言葉に王も納得したらしかった。それでも水晶球はアタシの手に渡ったけれど。
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