文章を書く、文章を読んだせいで。[忘備録]

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5e1b5ee7-4a6a-41da-b537-d81fbd6a3b5a 2021/02/09  火曜日。モヤッとすることに対して考えを巡らせていた。他人を題にこういったをやってるとどうにも 「でもそれ私が嫌なだけ、つまり私のエゴやん。私のエゴとか醜いものだし、他人に強制する必要なし!閉廷!」 ってなって、論理的に原因まで追求できないんだけど、 今日になってようやく「その言動・事・人のどこが嫌なのかではなく、私が嫌なことをその人・物・事はやってるから、(私は)に苛まれるんだな」と気がついた。 つまりは私なら私自身が忌避するような言動も、その内容自体の嫌悪(しているのはからの学習なので、他人が人生で何を感じ何を学びどう行動しているかは当然私とは全く別だろうし、だからこそ考慮したい気持ちもそれなりにある。なので嫌悪)感までは否定する気はなく、しかしその言動をしてしまうからその言動の主のことを好きになれない。私の嫌悪感を規準に制限を強いることはしたくないが、私の嫌悪感を共有できない人に対してはしてしまっても仕方がない。 というエゴを逆手に取ったような結果を出せた。 この段落は私自身が理解できれば良い。 とか書きつつ読者にも理解してもらえるよう似たようなことを違う例えで何回も書いているところがダサい。とてもダサい。  私はいつもそうだ。自分の思い通りにならないことに憤慨する。私の感情を共有してくれない人に失望する。でも私以外の人間はすべて頭も心も体も私じゃない「他人」なのだ。解りあえなくて当然。違うことが正常なのだ。 どこかでマスターしていたと思ってた「違い」を、私はまだ身についていない。それどころかいちいち連日考え抜かないと見えてこない。まったく呆れてしまう。 「私が嫌いなXくんのことを私の友達であるあなたも嫌って!」って無茶言ってきちんと断られたことがあり、とてもいい教訓になっています。 ただソースは忘れたけれど、女性って「嫌い」を共有することで仲間意識が生まれるらしい。 当時中学生か高校生くらいだったけどコミュニケーション能力が未熟だとこういう馬鹿でわがままな子に育つんです。  あと当面で一番問題なのはこれを「題」にした当人に言うべきか言わないべきか。ぐるぐる考えたのは私の勝手だけど向こうも変に察してしまって、あーーーーーーーもうコミュニケーションめんどくさい。言葉で思い合おうとかまじで無理。そこまでしたい仲じゃないのが一番辛辣。私にとっても彼(彼女)にとっても。残酷。
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