文章を書く、文章を読んだせいで。[忘備録]

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6e15e899-7e38-4456-9cec-a8e168d1bc6d 2021/05/13  チェックボックス見えなさすぎやろ!!!!!!!!!!  「永い言い訳」っていう映画を見た。まあ内容は端折るけど、後半グッと来たね、後半。まあ私の評価は良いとして。ちょっと今書きたいことの前提としてこの作品のさわりだけ説明させていただくと、主人公の奥さんが友人と旅行のために乗ってたバスが事故にあって、奥さんも友人も亡くなっちゃって、でもひょんなことから奥さんの友人の旦那さんと、その息子さん娘さんと交流が生まれ、主人公の心にも変化が表れて・・・みたいな話なんだけどさ。 言い方悪いけど、奥さんが亡くなった事がきっかけで出来た「縁」なわけじゃん。不幸から生まれたものを「幸」って呼んでしまっていいのか、と、私は思ったりする。した。 なぜなら、私は祖母を亡くしてから初めて伯父が流暢に語ってる姿を見た経験があるからだ。誰かを亡くしてから生まれる「縁」に、実体験が重なる。 伯父とは、子供の頃年に2~3回祖母の家に遊びに行っても、伯父は私達の前に顔を出し挨拶することもなく、直接お年玉をもらった記憶もなく、なによりも家にいるのかいないのかもわからないくらい、会ったことがなかった。唯一記憶にあるのは、祖母の家では猫を飼っていて、私はいつもその猫たちを追いかけて遊んでいたのだが、伯父が珍しく姿を見せたかと思いきや、猫の首の後ろをひっつかんだまま連れてきて「ほい」と私のそばに降ろした衝撃的な出来事だけだった(猫はすぐさま逃げた)。猫ってそういう持ち方していいのか・・・と当時小学生の私はびっくりして声も出せなかった。 そんななので、大人になるまで伯父と話をしたことがなかった。祖母の月命日、仏間で母と伯父と私3人で、少しの間だけ世間話をする。母が伯父のことを「あんちゃん」と呼んでいるのを初めて知った。伯父の話し方と私の兄の話し方があまりにも似すぎていて、兄は父方の家の誰にも似てないのでずっと不思議がってたけれど、ここの遺伝だったのかと大笑いした。母と伯父が私の知らない映画の話をしているのを聞くのが楽しかった。仏間の壁にずっと立て掛けられている謎の板が実は家宝の屏風だということを教えてくれた。話題作の映画のDVDを貸してくれた。今までの20年以上の空白を埋めるような、濃い出来事が、祖母を亡くしてからたった数年でいっぱいになった。けれども、どうしても、祖母が亡くなったことと伯父と仲良くなったことが、直接的に繋がっていることだと素直に受け止められない。祖母が亡くなる前にでも、伯父と仲良く出来たかもしれない。もしくは祖母は、私と伯父が仲良くなってくれて喜んでいるかもしれない。そう思える自分もいる。でも自分でもよくわからないけれど、伯父と仲良くなれたきっかけを肯定的に捉えてしまうと、祖母の死にさえも前向きな出来事だったと肯定してしまうようで、死は慎ましく悲しむ出来事でいたいはずなのに・・・。だからまだ、上手く受け止められない。 不幸(相対的な精神的満足度の話ではなく、人の肉体的な生死の意味で)と幸(相対的な精神的満足度の話)が、一緒になって、いいものなのだろうか。この人と仲良くなれてよかった、って、心から言えるようになる日が来るんだろうか。「あなたが亡くなったから生まれた縁ですよ」なんて、ほんと、失礼だし、でも感覚的にはそれに近い。どうしても、亡き人に負い目を感じてしまう。
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