結び

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 タコ掛けとはよく言ったものだ。目の前の金枠に等間隔で規則正しく並んだ上下一対の金属板の爪を引き寄せ、メッキをかける金属部品の二つの穴に差し込むと、適度な弾力で反発して部品を支える。金枠と爪は部品と一緒にメッキされ、鮮やかな金色や赤銅色に染まっている。一列に八対、五列並んだ金属の爪を蛸の足になぞらえた呼び名なのだろうが、私にはそれが小さな穴を押し広げて脱出しようとする蛸の足に思えた。  この春大学を卒業した私は直前に内定取り消しに遭い、このメッキ工場で働くことになった。理由をいくら訊いても、人事担当者は苦しそうに「すみません」と繰り返すばかりだった。不本意だったが撤回されたとしても何事もなかったかのように働けるとは思えないし、何より生活には金がいる。結局、小学生でもできるタコ掛けの作業に精神を埋没させて生きることを選んだのは私自身だった。  初任給の日、仕事上がりのロッカールームで先輩工員の平良(たいら)さんが大きな声で言った。 「大卒のおぼっちゃんはピンサロも行ったことねえだろ」  作業着を脱ぎながら背を向いて喋っているが、他には定年間近の坂本さんだけなので私に話しかけているのだろう。坂本さんは無言でYシャツのボタンを止めていた。 「連れてってやるよ」  着替えおわった私の腕を肉厚の手で叩く。部品に塗られている潤滑油の臭いがした。 「いや、ぼくはそういうのはちょっと」  本当に性風俗に明るくなかったのもあるが、初めて行くにしてもこの人と一緒はごめんだ。毎日工夫もない作業を繰り返し、毎月給料日に風俗に行き、大卒の人間を類型的なイメージで見る。働くとは型にはまった生活になんの疑問も抱かなくなることなのだろうか。父もそんな人間だった。平良さんは小さく舌打ちをすると、分厚いセカンドバッグを脇に抱えて出ていった。
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