第一章

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 3  今より九十年ほど前、UE二〇三五年にワールド・ユニオンという統一国家を目指す枠組みが誕生した。当初より参画した国は百二十カ国を超え、地球総人口の三分の二を占めた。  統一政府は『世界をひとつに』をスローガンに世界統一を目標に掲げており、現在では百七十カ国が加盟するまでに増えていた。  統一国家の考え方は以前より幾つも存在した。中でも多くに広まっていたのが、一九六〇年代に提唱されたホワイト教授夫妻の人類存続に関する研究論文の一部を元にしたものであった。一部とは、地球創成から第四の歴史終焉までのシミュレーションと、人類が恒久的に存続するための解を提示した部分だった。  論文が発表された当時は一部の間で大きな衝撃を与えていたが、膨大で難解な内容に民衆が興味を抱くことはなかった。しかし、後に論文を要約した書籍が世界中で多数出版され、徐々にではあるが一般に知れ渡っていったのである。そして、誰もが予想をしていたことではあったが、それらの考えを踏襲した新興宗教などの団体が多数生まれたのである。  しかしながら基盤を持たない新参の宗教団体が根付くわけもなく、数多の団体が降って湧いては消え去っていくのを繰り返すだけだった。ただ、その過程で論文のとある一部分のみが誇張され人々に知れ渡っていったのだ。それは、ホワイト教授夫妻の考えとは裏腹に、次第に遠く掛け離れたものへと変貌を遂げていったのである。世間ではそれら宗教に皮肉を込めて『スノー・ユニオニズム』と揶揄するようになっていた。そして、次第に忘れ去られていったのである。  UE二〇ニ〇年、史上最悪となったウィルス災害が地球全土を襲った。  人は周囲の危険な物事や不快に思うものを遠ざける。真の解決を先送りにして遠ざけることで解決をしたかのような錯覚に陥るのである。その結果、闇の中で進化成長を続けていたウィルスは世界中の人々を理不尽に蝕んでいったのである。  ウィルスは人類が構築した豊富な交通網を駆使して瞬く間に世界に広がっていった。全体的に免疫力が低下していた人類に対して、生き残るために進化したウィルスは非常に殺人的なものになっていた。完全に対抗できるワクチンも認められないままに、死者は最初の一年間で一億人を超えるほどになっていた。  メディアでは人類滅亡と不安を煽る謎の専門家たちが重宝され、逆にお偉い先生たちは硬く口を閉ざしていた。当時は、兵器目的などの規制を無視した遺伝子組換え生物などが原因ではないかとも噂されていたが、現在に至っても発生原因は未だに謎とされたままだった。  このような状況下で決まって出没するのが、押し売りの如く教えを説く様々な団体だった。再びホワイト教授夫妻の研究が取り沙汰され始めると、老舗は自分たちだと言わんばかりにわずかに生き残っていたスノー・ユニオニズム教団が再び席巻してきたのだった。  スノー・ユニオニズム教団が唱えることは、一般市民にとっては単純で明快だったことも大きかった。    人類繁栄のため世界をひとつにしましょう    ……………………    国家が存在するから争いが起こる    争いを無くすには世界はひとつに成らねばならない    ……………………    ……………………    ……………………    疾病は日々進化して人類を侵そうと狙っている    ……………………    強い身体を作るため人類はより良き進化を続けなければならない    人類の進化を妨げているのは国家という垣根である    より良き遺伝子を自由に受け継ぐために世界はひとつに成らねばならない    ……………………    …………    ……  どのスノー・ユニオニズム教団も、このような文言を挙って書き連ねていた。  誰もが無謀な考えだと承知しているが、誰もが単純に理解することができ、且つ誰もが願うことだった。そして、それら教えも突き詰めてみれば、『皆仲良く子作りをしましょう』と行き着くだけなのであった。  偉い先生に言わせれば、種のオリジナルを守ることも重要だが、それによって進化の途を閉ざすことは人類滅亡を促進させるかもしれないということだった。人類がより先へ進むためにはより強い人類を完成させることであり、より多くの人種間で交配を繰り返すことが必要不可欠なのだということだった。  死を間近に感じた人々はこれらの考えに縋るように徐々に耳を貸すようになっていった。そしてウィルス騒ぎも沈静化に向かい始めた頃にはスノー・ユニオニズムが世界中に広まっていたのである。  その後、世界では図ったように統一国家を作るというプロジェクトが表舞台に登場していた。そして僅か十年という短い期間でワールド・ユニオンが正式に誕生したのだった。これには、以前より考えられてきた各地域ごとの連合国家構想や裏舞台で長年に渡って話し合われてきた大きな枠組での統一国家構想がこの結果を生んだとも言われていた。  しかし、これらを素晴らしいことだと思う人もいればそうは思わない人もいるのだ。見識者の中には、宗教団体や民衆はプロパガンダに利用されただけに過ぎず、これら一連の出来事は各国政府の企みによるものだといった政府暗躍説を唱える者もいた。  また、民族同士の争いには根深いものがあり、国がひとつになったからといって対立が立ち所に消えるものではなかった。一部では早々に独立を掲げての内戦が勃発したり、テロリズムの格好のターゲットとなっていた。しかし、そのような反政府勢力も巨大に成長した軍隊組織にとっては脅威と成り得ず、次第にそれらの機運は失われていったのだった。  統一国家という考え方で何より都合が良かったのが、世界規模での事業を勧めやすくなったことだった。  ワールド・ユニオンが誕生した時点で地球上の人口は百五十億を超えていた。また、平均寿命の上昇や若年層死亡率の低下により人口増加率は年々ペースを上げており、今後の対策が急務となっていたのだ。新たな月面都市やスペースコロニーの建設、そして宇宙への移住がスムーズに着々と進められていったのだった。  また、以前より話し合われていた火星テラフォーミング・プロジェクトも、ワールド・ユニオン主導の元、UE二〇三六年に正式に発足されていた。そして、UE二〇六一年より始まった現地でのテラフォーミング作業も第二段階へと進み、地球より運ばれたドライアイスの大量投入も始まっていた。火星両極のドライアイスと、加えて人類が過剰に作り出してしまった二酸化炭素を併用することで、より早く濃い大気を作ることを可能としていたのだ。  このように、ワールド・ユニオン誕生以降は大規模な事業が着々と進められ、見た目には大きな発展を遂げていた。  しかし、それは良いことばかりではなかった。ワールド・ユニオンに賛同しない他国家との間には大きな軋轢が生じていたのだ。国境となる地域では、小競り合いではあったが常に争いが絶えなかった。また、地球と宇宙との間にも深い溝ができ始めていた。中でも火星の統治を巡ってはコロニー連合と地球との間で戦争へと発展し、戦いは未だに続いていたのだった。
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