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鎖骨の近くに残る傷痕に触れられるにいたっては、指先から憐憫と愛おしさが直接流れ込んでくるようで――そんな、まさか、とは思うが。
「アンナとお呼びください」
「……アンナ」
我ながら、甘ったるい声が出た。
初めて口にする名前なのに、やけに馴染みがいい。
自分から呼べと言った杏奈は、いざ名前を呼ばれた途端にぱあっと首まで赤くして、初めて目を逸らした。
あられもない恰好で自ら肌を寄せるくせに、名前を呼ばれただけで急に恥ずかしがるとか。
――くそっ、そのギャップはいっそ卑怯だろうが!
ヒューゴの脳天になにかが突き刺さり、おまけに心臓のあたりを鋭く撃ち抜かれ……自覚のないまま、強面将軍が恋に落ちた瞬間であった。
あわあわと狼狽えるその様子がやけに可愛らしくて、思わず口の端が上がったのにも、ヒューゴは自分で気づかない。
現実感なく夢でも見ている気になりかけたが、手を包み込むようにされて、今もまだ赤い杏奈の頬へと当てられる。
熱くしっとりとした肌は、確かに杏奈がここに存在している証だ。
瞬きを重ねるヒューゴの目に、花がほころぶように輝く笑みを浮かべた杏奈が映る。
比喩でなく、光って見えた。
「一目惚れでした。私を貴方の妻にしてください、ヒューゴ・セレンディア様」
「……!」
潤んだ瞳で真っ直ぐに射抜かれたまま、細い両手が導く先は、杏奈の脈打つ鼓動がもっとも近くに感じられる場所。
薄い絹越しに触れる温度と、ふわりとした重量のある柔らかさ。
思わず力が加わった手のひらに、ん、と喉の奥で息を詰める音が伝わって――
陥落したはずの将軍が反撃を仕掛け、形勢逆転するのは、わりとすぐだった。
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