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まだ慣れない指輪をぼんやりと眺めて、杏奈は物思いにふけっていた。
――本当に、結婚……しちゃった。
あんな、私の理想が服を着て歩いているような人だったなんて!
譲ってくれてありがとう、クリスティーナ!
話せばそこそこ長くなる。
あの日――杏奈が「佐藤杏奈」でいられた最後の日は、いつもと変わらないアルバイトの最中だった。
杏奈のバイト先は、結婚式場のウエディングチャペルだ。
子どもの頃から歌うのが好きな杏奈は、それだけの理由で近所の教会の聖歌隊に参加していたほど。
大学に入って地元を離れてからは、それまでの経験を活かして、チャペル挙式の時に讃美歌やゴスペルなどを歌う、ウエディングバイトをしていた。
大安の土曜日、式場はフル回転で大忙し。
とはいえ、無礼講になりがちな披露宴とは違い、おごそかに進められる式は何度立ち会ってもそれぞれに感動的で、杏奈は結婚というものへの希望を失わずに済んでいた。
特にこの日最後のカップルは、結婚に至るまで波乱万丈、艱難辛苦があったらしい。
困難を乗り越えて見つめ合う二人の瞳にはお互いしか映っておらず、感極まった相思相愛が遠くからも見て取れる。
純白のドレスに降り注ぐステンドグラス越しの光、響くパイプオルガン、祝福の拍手、ほろりと零れる新婦の涙……。
――私にも、そんな日が来るかな。
理想の男性像を思い浮かべて小さく首を振り、きっといつか、と心に願う。
憧れを形にするのは難しいかもしれない。
けれど、式に立ち会うたび、自分も素敵な相手と結ばれますように、と祈らずにいられない。
寿ぎの聖歌を歌いあげ、他のメンバーたちとともに退場した――はずなのに。
なにかに躓いた杏奈が顔を上げると、そこはバックヤードの廊下ではなく、知らない異国の町へと変わっていた。
驚いて言葉を失くし立ち尽くす杏奈の前には、濃いブルネットの髪をふんわりと結い上げて、式場でよく見るようなドレス――白ではなく、カラードレスのほう――の令嬢が、同じように目を丸くしていたのだった。
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