382人が本棚に入れています
本棚に追加
本編・に
杏奈が現れたのはこの令嬢の一族が治める領地で、地元警察のトップでもあり判事でもある父伯爵の元へとそのまま連れて行かれ、身柄を拘束された。
が、なにもないところから杏奈が突然現れたのを伯爵家の令嬢その人が目撃していたこと。
そして杏奈の服装――黒いロングドレスにパールのネックレス、髪はアップスタイルというバイト用の恰好――は、かなり簡素ではあるが、この国の貴族の装いに類するものであったこと。
さらに、長く通った教会や式場で身についた礼儀作法が、そこそこ通じたことにより、牢屋に入れられることはなく、身元不明ながら客人扱いに収まった。
フォルテリア国はいわゆる、剣と魔法の世界だった。
中世というよりは近世だが、杏奈が暮らしていた生活とはだいぶ違う。
とまどいつつも正直に話したことは内密に確かめられ、ことごとく「真実である」と認められ……杏奈の異世界トリップが証明された。
そうして正式に伯爵家の客人となり、一年。
既に元の世界への帰還は無理だと諦め、こうなったらこの地で生きていくしかないと腹をくくっていた折も折、ついに養子の手続きが取られたのだった。
と、いうのも。
「わ、わたし、嫌よっ!」
「クリスティーナ様」
父伯爵が王都から持ち帰った報に、伯爵家の家族室は混乱を極めた。
わっと泣き崩れるクリスティーナは、隣にいる杏奈にしがみつく。
「クリスティーナ、落ち着きなさい」
「お父さま、無理よ、無理! 将軍と結婚なんてできないわ!」
杏奈を最初に見つけた伯爵家のご令嬢、クリスティーナに縁談が命じられたのだ。
貴族のお約束、政略での結婚だ。
「セレンディア将軍は立派な御方だぞ」
「そうよ、クリス。それに、お世継ぎはもういらっしゃるから、子どもも考えなくていいって仰ってくださって」
「お母様、そんなのできるわけないじゃない!」
おろおろと宥める両親も、この縁談がいいものとは決して思っているわけではなかった。なんといっても。
「わたしには、ジェレミー様がいるのにっ」
「クリスティーナ様……」
泣き声を高くしたクリスティーナの背を、杏奈はきゅっと抱きしめる。
もともとクリスティーナには、幼い頃からの婚約者がいた。
その相手、隣の領地の子爵家の次男ジェレミーが婿入りしてくる予定で、何年も過ごしてきたのだ。
ところが近頃、中央で政変があり、国内の政治的勢力図が大きく塗り替えられた。
諸々の事情によりこの度、由緒ある伯爵家と軍部との連合の必要性が指摘され、手っ取り早く縁組を――というのが、この縁談の背景である。
最初のコメントを投稿しよう!