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とはいえ、将軍閣下には既に妻子がいる。
一定以上の身分の者には複数人の妻帯が認められているため、クリスティーナは第二夫人――要は側室の扱いだ。
既婚者である将軍と、他に婚約者がいるクリスティーナという、本当に形ばかりの婚姻。
それでも縁組による派閥の締結が必要になるのが、貴族社会というものなのだろう。
これがまだ、自領を救うためにとかいう話ならば、クリスティーナも泣く泣く承諾しただろうが、そうではない。
中央の政権バランスの必要上というのだから、地方に住む伯爵令嬢の乙女心には始末が悪かった。
初恋の相手でもある同い年のアイドル系イケメンとの婚約を破棄して、十歳以上も年上の武骨な軍人の側室に、なんて話に反発せずにはいられない。
姉妹か従姉でもいればよかったのだが、あいにく伯爵家に結婚可能年齢の女性はクリスティーナただ一人。
輿入れは半月後と時間がないため、平民として暮らしている遠い縁戚を連れてきて淑女教育を施すのも現実的ではなかった。
「失礼ながら、旦那様」
昼だというのに重苦しい空気の室内で、伯爵家の家令が、クリスティーナの嗚咽の合間に声をあげた。
壮年の彼は、ちらりと杏奈を見て、思いもよらないことを口にする。
「クリスティーナお嬢様の代わりに、アンナ様はいかがでしょう。髪色もお顔立ちも、親戚と言って通るかと」
「え」
いきなり名指しされて、杏奈は言葉に詰まった。
杏奈は日本人の母のもと、日本で生まれ育ったが、父は外国の人だ。
髪色こそ黒だが、瞳は薄茶色。標準色のファンデーションが合わない白い肌、はっきりした目鼻立ちで、約二十年の間日本ではやや浮いて過ごしてきたのも事実。
クリスティーナやその母親と、似ていると言えなくもない。
「お相手は、一族の者であればクリスティーナ様ご本人でなくても構わないとのお話。さすがに平民を召し上げるのは問題ですが、アンナ様ならその点も大丈夫かと」
「……ふむ、たしかに」
伯爵家の後見が約束できるならば、養子でも婚姻は可能だ。
異世界からきたアンナは、血縁のしがらみもなく逆に好都合というもの。
その家令の言葉に杏奈は引きつり、クリスティーナはばっと顔を上げた。
「……そ、そうね、そうよね」
「く、クリスティーナ様?」
「一生のお願い! アンナ、私の代わりに将軍と結婚して!!」
――そういうわけだった。
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