Ep.1 負けず嫌いな者達

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Ep.1 負けず嫌いな者達

 乙女ゲームの舞台ともなる学院の中等科。彼女が廊下を歩けば男子生徒達は見惚れ、女生徒達からは黄色い声が上がる。 「見て、バーナード公爵家のカナリア様よ!」 「お名前の由来となった金糸雀色の御髪が今日もお美しいですわ……」 「あら、カナリア様の魅力は容姿だけではなくてよ!学院に入学してから成績はずっとリヒト殿下に次いで二位!この快挙は女生徒では初のことだそうよ」 「優秀なだけでなくお優しいのよね。私、この間のお茶会で粗相をして指を切ってしまった際にカナリア様手ずから手当てをして頂きましたの!」  きゃあきゃあとはしゃぐご令嬢達からの評価は上々だ。カナリアは堂々と胸を張って歩きながらも内心ほっとしていた。  あの決意の日から10年、カナリアはそれはもう頑張った。本来女には重視されない学問も未来の王妃となるなら必須だと教本が刷りきれるまで隈無く学び、貴族令嬢として、何より“社交界の天使”から“社交界に舞い降りた精霊”に評価が格上げされるほど美しい王子に成長した婚約者(リヒト)の相手として不足が無いよう容姿も磨き、食生活にも気を配って出るべきところを育てかつ引き締めるべき部分は鍛えて豊満な体型を作り上げ、見た目に伴うよう楽器や美術の全般の知識と技術も身につけた。ゲームでヒロインが得意だったから、わざわざプロの菓子職人に付いてお菓子作りの腕まで磨くと言う“完璧な淑女”になるには明後日な方向の努力もした。  前世では大人しく(ゲーム好きを除けば)委員長キャラだったので人付き合いは割りと苦手な方だったが、そこは転生者としてあった大人である知識を存分に活かし、決して嫌味にならぬよう相手を立てすぎず立てなさすぎずを心がけていたお陰で幸い周りからの心証も高いようである。自覚はないが、元々相手の魅力的な面を見定めて然り気無く褒めたり、困っている人間に敏感で救いの手を差し出すのが早いある穏やかな彼女の気質も幸いした。  他にももちろん、活字だけではとても表現し得ないほどカナリアは様々な方向の努力をしたわけだが、まぁその辺りは割愛するとして。  ゲームの開始まであと約一年となった15歳、カナリアは無事に立派な“完璧な淑女”へと成長したのである。 「やぁ僕のカナリア、今日も君の髪は朝焼けのように煌めいて美しいね」 「まぁ殿下ったらお上手ですわね」  もちろん、婚約者であり最大の破滅フラグでもあるリヒトとの仲も良好だ。毎月決められた会う日には必ず贈り物を持ってに訪れ、優しい言葉をかけてくれる。互いに知識も深く共通の趣味があるので会話も弾むし、学院で昼食に誘われ二人で仲睦まじくランチになる日も珍しくない。端から見れば実に似合いの婚約者同士であり、今や誰から見ても憧れになるほどだ。  実際、今も王宮の中庭で同じテーブルで談笑している二人を若い侍女達が素晴らしい舞台でも見るような輝いた目で見守っている。 「本気にしないなんて酷いなぁ、本心なのに。あぁそうだ、先日の君が好きそうな紅茶をいただいたから持ってきたから是非感想を聞かせて欲しい」 「嬉しい、ありがとうございます。早速頂きますわ!」 「喜んでくれて何よりだけど、あわてて飲んで昔みたいに火傷しないようにね?」 「まぁ失礼な!いくつの時の話をしていらっしゃいますの、流石にもうそんな粗相はいたしませんわ!(またそうやって子供扱いして……!)」  ぷいっとリヒトから顔を背けつつ、カナリアは内心でむくれた。  リヒトは幼馴染みであるカナリアを妹のように扱う節がある。嫌われては居ないと思うが、まだ恋心は芽生えていないのだろう。対しカナリアは、常に優しく紳士で大人びていて、ここ数年で大分体も男性として成長し始めたリヒトに心惹かれつつあった。まだまだ淡い想いなので、憧れ以上恋未満といった感じだろうか。残念ながら、つまりまだヒロインに付け入られない程のラブラブな関係にはなれていないことだけが少し不安なカナリアだった。  しかし月に一度、渋々リヒトがカナリアにお義理の手紙を送り、半年に一度学院の夜会でのみしかエスコートをしていなかったゲームの冷めきった関係よりはずっと良好なのだ。  だから絶対負けない!と、カナリアは心のなかで誓う。実はこう見えて、彼女は負けず嫌いなのである。   「(ふふん、ゲームのシナリオなんかに負けないんだから。来年入学のヒロインさん、いつでもかかってらっしゃい!)……熱っ!」 「あーあー、だから言ったのに……大丈夫かい?」  内心でまだ見ぬヒロインに啖呵を切った勢いでついまだ熱々の紅茶に口をつけてしまったカナリアにリヒトがやれやれと苦笑を浮かべる。 「たっ、大したことありませんわ!……っ!?」  気恥ずかしさを誤魔化すためにふいっと顔を背けた瞬間ゾクッと悪寒が走った。回廊に立ってこちらを睨み付けている一人の青年と目があったのだ。  穏やかで癒し系のリヒトとは真逆で、少し癖のある深紅の髪にキリッとした紫紺の瞳を持つ少々硬派な雰囲気のその美男子は、この国のもう一人の王子であり、リヒトの腹違いの兄・イグニスだった。兄、と言っても生まれ日が数日早いだけで、リヒトやカナリアと同い年で学年も一緒なのだが。  カナリアの視線を追ってそちらを見たリヒトが呟く。 「あぁ、また兄上か……。入学直後の試験で君に敗北して三位に落ちたことがよっぽど気に入らなかったのだろうね。負けず嫌いだし。カナリア、大丈夫かい?」 「えぇ。お話したこともございませんし、別に視線を向けられる以外は被害もありませんからもう慣れてしまいましたわ」  王宮に来た日はこうして睨まれることも頻繁なので、今さら臆することもなくにっこりと微笑む。イグニスが何事にも完璧なリヒトを嫌っていることは有名だ。だからきっと、弟の婚約者と言うこともあって自分が気に入らないだけに違いない。   (まぁ、元々ゲームでもカナリアとイグニスは接点無いし、ヒロインちゃんが現れれば彼女に夢中になって私を睨み付ける暇もなくなるでしょ)  だから別に気にすることもないだろうと結論付けて、カナリアはリヒトとの談笑に戻る。  仲睦まじく笑いあって近々開かれる夜会の段取りを決めるカナリアとリヒトの姿に舌を鳴らし、イグニスは一人その場を歩き去っていった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  翌週、カナリアはリヒトにエスコートされ王家主催の夜会に参加していた。  パーティー開始から数時間ぶっ続けでの挨拶回りを終えた後、リヒトが別の他国から留学してきているご令嬢達の相手に駆り出されてしまったので、仕方なくテラスに出たカナリアはそっとため息をついた。 (はぁ、仕方がないとは言え夜会の度こう毎回毎回挨拶回ってばっかだと気疲れしちゃうわね……。リヒト様とも最近、あんまり踊れてないなぁ)  とは言え、自分は他ならぬ王子の婚約者だ。疲れたから休みたいだなんてそんな甘えは許されないし、王子である彼を独り占めしたいだなんてわがままだ。  リヒトだって毎回『君は誰に対しても物怖じしないし一人にしても大丈夫だから安心だよ』と笑ってくれる。  だから自分が我慢すればいいだけだと、時々襲ってくる虚しさを噛み潰すようにそう自分に言い聞かせて会場に戻った。  さて、リヒトはどこだろうか。そろそろ夜会も終盤だし、婚約者として別れの挨拶をして帰りたいのに見当たらない。普段ならば帰り際までには大体戻ってきてくれるのにおかしいなと首を傾いだカナリアに、一人の侍女が声をかけてくる。 「カナリア様でいらっしゃいますね。お探ししておりました」 「え?(……じゃなかった。)あら、何かご用かしら?」 「はい、お帰りになられる前にカナリア様とゆっくりお話をされたいと殿下が来賓室にてお待ちしておりますので、ご案内に参りました」 「ーっ!」  咄嗟に素から令嬢モードに切り替え優雅に扇を開いて微笑んでいたカナリアは、侍女のまさかの言葉に驚きと喜びを顔に浮かべる。  リヒトの方から『ゆっくり話したい』だなんて誘われるのは初めてのことだ。浮き足立つ心のまま、『ご案内します』と歩き出した侍女について行く。  『こちらです』と案内されたのは、王宮内でもかなりの上位の客しか立ち入らせない来賓室だった。 (あら、てっきりリヒト様のお部屋に行くのかと思ってたけど、今日は来賓室なのね……)  『殿下、お連れいたしました』と侍女が声をかけ、扉を開いてくれる。  『ありがとう』と優雅に微笑んで入室するカナリアの背後で、ゆっくりと扉が閉まった直後、ガチャンと鍵のかかる音が響いた。 「えっ!?何故鍵をかけますの!?お開けなさい、ちょっと!」  突然のことに驚いて扉にかけ寄ったが、既に廊下に人の気配はない。一体何なのだと歯噛みした。 「そう騒ぎ立てるな、邪魔が入らないよう人払いをしただけだ」 「ーっ!」  突如背後から聞こえたのは、気だるさと嫌悪感を隠さない男の声。だが、耳に馴染みのない声だ。リヒトじゃない、と判断して振り返るカナリアの向かい側。  豪奢な客室の一番奥に当たる革製のソファーから待っていましたとばかりに立ち上がった男の、深紅の髪がふわりと揺れた。     
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