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結局、終業式の1週間前、マスオさんから須崎君が転校することがみんなにも伝えられた。里佳子やみちるちゃんは、本当に涙を浮かべてショックを受けていた。男子も、みんな"えー!"と、残念そうにしている。たった2カ月ちょっとクラスにいただけなのに、須崎君は水槽の中のみんなと仲良く泳ぐ、熱帯魚になっていたのがわかった。
私は、机の隅を見て視線を動かさなかった。そうしないと、何かが溢れてきそうな気がした。
「私、生きる気力が失われた」
里佳子が完全に暗い影を引きずってピアノの傍にやってくる。大袈裟なセリフだけど、確かに全く気力がなさそうだった。
どうしてか、私はいつもみたいに、里佳子を嗜める気になれない。
「なに、マジレス?…お別れの歌なんて、やだよ、私」
レスしてる訳じゃなくて、里佳子と同じ気持ちだと言えないだけだった。それを、認めたくないのかもしれない。
合唱大会にも出たかったと言った須崎君の言葉を、マスオさんに伝えると、”最後の音楽の時間にみんなで歌いましょう”と、音楽の先生に時間をもらってくれた。
「須崎君がこのクラスに来てくれて、とても楽しい1学期になった気がします。おじいさんの家に来ることがあったら、また遊びに来てくださいね」
優しい声で、マスオさんはそうあいさつをした。
私はみんなから少し離れて、屋根が明けられたグランドピアノの前に座っている。ずっとピアノを習っているので、クラスの合唱曲に選んだ『BELIEVE』の伴奏をすることになっていた。
ちょうど真ん中に立っている須崎君は、私からもよく見える。
「はい。…正直、むこうの学校よりこのクラスは、居心地が良かった気がします。みんなありがとう」
そう言った須崎君と目が合ったけれど、私はすぐに逸らして楽譜を見つめた。
指揮をする琴葉ちゃんの、腕が上がる。
静かに、丁寧に前奏を弾き始めると、みちるちゃんや女子の何人かは俯いてしまった。
『たえば君が傷ついて くじけそうになったときは…』
私は、この歌詞が苦手だった。嫌いなんじゃなくて言葉の意味が、心の奥の何かを持ち上げるように響く気がして、歌っているといつも涙声になってしまう。
だから、今日はピアノで良かった。
みちるちゃんたちみたいに、俯きたくなかった。
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