7人が本棚に入れています
本棚に追加
不意
時計を見ると、22時を回っていた。
2人はグラスに残るカクテルを飲み干して、席を立った。
入り口に近い席に座っていた未来が、先に部屋を出ようとして、創太は、思わず呼び止めた。
そして、ん?と眉を上げて振り返った未来を、じっと見つめた。
「綺麗だな。」
久しぶりに見る恋人のことを、創太は、本当に綺麗だと思った。
同時に、決して自分に会うためではなかったということに、やるせなさを感じた。
創太がそんな気持ちでいると思いもよらない未来は、拗ねたように言った。
「私って、普段よっぽど酷いのね。社長にも見違えるようだって言われちゃった。」
そう言って踵を返した未来の腕を、創太が掴んだ。
未来は驚いて、創太を見た。
「どうしたの?」
「あっ、いや。何でもない。」
「行こう。」
一瞬、鋭い表情を見せた創太だったが、すぐにいつもの表情に戻っていた。
2階のカウンターに差し掛かると、そこには田村がいて、タブレットを操作していた。
そして2人に気がつくと、手を止めて微笑んだ。
「時間が過ぎてしまって、すみません。」
創太がそう言うと、未来も神妙な面持ちで、頭を下げた。
「いえ、お気になさらずに。お帰りはタクシーでよろしければ、表に待機しておりますが、如何致しますか?」
「そうですね。お願いします。」
創太が答えると、ご案内します、と田村は階段を下り始めた。
エントランスに差し掛かった時、未来はおもむろに口を開いた。
「タクシーは、2台お願いします。」
前を歩いていた創太と田村が振り返った。
田村は返事をしようとしたが、すかさず創太が口を開いた。
「未来、送るよ。」
未来はぎこちなく笑って、首を振った。
「今、月の出町なの。反対方向だし、大丈夫だから。」
「大丈夫とか、そんなことじゃない。」
「今日は、ここで。また…。」
言い淀む未来に、創太が何か言おうとした時だった。
「お話し中に申し訳ございません、中西様。」
田村が恐縮した様子で、声を掛けてきた。
何とも間が悪く、未来と創太は田村を見た。
「お食事の前にお預かりしていた、書類をお返ししなければいけませんでした。大切な物だとお伺いしておりましたので、事務所にございます。
少しお待ち頂いても、よろしいでしょうか?」
それを聞いた未来は、創太の背中に向かって言った。
「そういうことだから、先に帰って。ね?」
まるで子どもを諭すかのような口調に、創太は憮然とした面持ちで、未来を見た。
「わかった。今日は帰るよ。」
落胆の色を隠せない創太は、それでも何かしら思い付いた様子で、呟いた。
「連絡先…」
「変わってない。」
創太の言葉を遮るように、用意していた答えを口にした。
「えっ?」
創太は、まさかと言った表情だ。
「変わってないの。ごめん。」
未来は、その表情が意味することを察し、言い訳のように言葉を続けた。
「引越しのどさくさで、充電器が探せなくて、携帯の電源が切れてたの。」
創太は呆気に取られてから、自嘲するかのように笑った。
「俺の知らない君が、まだいるんだな。」
「また連絡するよ。おやすみ。」
創太は未来に向かってそう言った後、田村に向かって一礼をした。
「みっともないところをお見せして、すみませんでした。ご馳走様でした。」
「いえ、こちらこそ失礼を致しまして。本日は、ありがとうございました。」
田村は、丁寧にお辞儀をした。
創太は頷くと、振り返ることなく店の外に向かった。
最初のコメントを投稿しよう!