バースデイ・バース

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 思いつめた眼差しが向かう先は、俺だった。予想外も予想外の言葉に、思わず声を詰まらせ、開いた口も何と言葉を紡げばいいのか分からないまま、開いたままになってしまう。  ――恭平が、俺を。俺の事が好き?  言葉が上手く頭の中で処理できず、ただただ痛い程に真っ直ぐと見詰めてくる幼馴染の、いつもとは違う表情に戸惑う。 「司君が大人になるまで我慢したんだ」  そう言いながら、恭平の大きな両手が俺の左手を握り込んだ。 「司君は純粋だから、大事に大事に育てて、大人になるまで守り抜いて行こうって」  ――うん?  俺は年下の幼馴染の顔に、微かに浮かんでいる笑顔を見つめた。 「もう我慢しないでいい。司君、やっと大人になってくれたね! お誕生日おめでとう!」  そう言うと恭平は熱くなった両手で、俺の手を握り締めて、感無量とばかりに喜びを噛締めている。俺は山ほど聞きたい事があるというのに、一つも、一言も、一文字すら声にならず、ただ握られた手と恭平の喜びに溢れて、涙すら流すのではないかと思う程の表情を交互に見比べた。戸惑いが心臓を急かして、現状を飲み込めない事にすら畏怖を感じる。  恭平は、一体何を言っているんだ? 「俺、幼稚園と小学校一年生の時、司君と結婚するって誓ったよね? 覚えてる?」 「え、覚えてるけどあれは……」 「良かった、忘れられたらどうしようと思ってたんだ! 司君も頷いてくれてたから、俺、それを支えに今まで頑張ってきたんだ」  そう言いながら恭平は、本当は同じ大学に行きたかったけれど、将来を考え志望校のレベルを落とせなかった事を謝罪してきた。俺はけなされているのか、本気で謝罪されているのか分からないまま、 「恭平、待ってくれ!」  と、取りあえず彼の言葉の隙に、言葉を滑り込ませた。 「あの、えっと……あの結婚という話は……」 「うん」  ――冗談だと思っていた。  と言うには恭平の顔があまりにも希望と期待に満ち満ちと輝いていて、心がぎゅうっと握り込まれるような苦しさに見舞われた。俺は言葉を探すように一旦口を閉じると、いつの間にかどくどくと脈打ち始めている心臓を、胸の上からトントンと叩いた。  しっかりしろ。相手は恭平だ。 「ええっと、恭平の中で俺は二十歳になったらどうするつもりだったんだ?」  単刀直入であり、もっとも簡素な答えが戻ってくるだろう、割と良い質問ができた気がする。そんな自画自賛を思いつつも、彼の言葉の端々に感じる狂気じみたものに、俺の肌が粟立っている事を感じた。  いつも通りの笑顔は、変わらずここにあるのに、何かが違うという異質感が、背筋をざわつかせていた。 「司君は二十歳になったら、俺の物になるんだよ」  あっけらかんと放つ恭平に、俺はぐっと奥歯を噛締めてから、 「……ええっと、そんな約束した?」  と、彼の表情を伺いながら、聞いてみた。 「……してないね」  恭平はしばし考えてから、見る見る内に眉尻を下げ、ぽつりと零す。先ほどまでぶんぶんと振り回していただろう彼の尻尾が、あからさまに垂れるのを感じた。その垂れ下がった眉やない尻尾が、俺は大の苦手なのだ。  ここで畳みかけてしまいたいのを、罪悪感から躊躇っていると、 「付き合って下さい!」  と、前向きな声が突拍子もなく飛んでくるので、彼のその空気を読まない真っ直ぐな眼差しに、いっそ関心すらしてしまう。 「俺、男同士でどうのって考えた事ないんだけど」  そう言うと、握られたままの手に、微かな力がこもるのを感じた。良心の首を絞められるような感覚に、思わず視線を落とす。  何もかもが突然で、恭平が俺を好きだという事実すらまだあまり実感がない。ましてや弟の様に接してきた彼とどうこうなど、考えた事もないのも事実だ。  恭平にとっては突然ではないかもしれないけれど、俺にとっては全てが唐突過ぎる。俺は握られたままの骨ばった彼の白い手を見つめた。小さい頃は何処もかしこも丸みを帯びていた少年の手が、今は角ばって男らしくなっている。俺はその成長に、喜びを感じる事は出来るけれど、ときめきを感じる事はできない。  恋を始められる気がしない。  俺はそれをどう伝えるべきかと、口の中で言葉を捏ね繰り返して考えた。頭は混乱していたが、恭平が俺を好きだという事は分かった。  その真っ直ぐとした思いには、きちんと応えてやりたい。 「恭平」 「結婚はできるけど、付き合えない……?」  ――どうしよう、言葉と思いがなかなか伝わらない。  真顔で考え込んでいるその横顔に、俺は失望に似たものを感じた。 「いや、あのな。そうじゃなくて、普通に考えてくれ」 「大丈夫、俺ちゃんと司君の為に色々勉強もしてきたし、ちゃんと幸せにできる自信もある」  そう言い手が離れると、その大きな掌が俺の両肩を包むように掴み、勢いに任せたままベッドに押し倒された。一度バウンドして身体が布団に沈み込むと、俺は身体の上にある恭平を凝視した。流石にこの体制は不味い気がするという、本能的な警鐘が頭の中で鳴り響き、緊張しているかのように身体が強張る。  けれど、それも一瞬だった。 「だからお願い……っ」  幼い頃から真っ直ぐだった眼差しが、降り注ぐ矢の如く、身体や心に突き刺さる。  責める言葉、彼を拒絶する事、それら彼を否定する全てが悪であるかのように思わせる、彼の嘘偽りのない眼差しが、一番弱いところに的確に突き刺さる。 「俺の事、嫌いにならないで。司君」  こんな状況ですら、脊髄反射みたいに、そんな事なるわけないなんて、言いそうになってしまう。俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、彼の手を振り払う力も失いながら、受け入れる気もないのに、彼を昔からしているように「もういいよ」と慰めたくなってしまう。 「司君」  俺の名前を呼んで、恭平の顔が影を濃くしながら降りてくる。 「ごめんね」  そう呟いた薄い唇が、微かに微笑んでいるのは俺の気のせいだろうか。
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