バースデイ・バース

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 律儀に恋をする事を願っていた俺は、お堅いのだろうか。  二十歳を迎えて、ようやく大学の仲間とビールのジョッキを掲げる事が、素直に嬉しかった矢先、生まれてこの方彼女という存在が居ない事がバレると、皆は口々に、それは勿体ないと言い放った。  何が勿体ないのかと言えば、皆からすると、俺は青春を謳歌していないらしい。 彼女について憧れる事は全くなかったわけではない。けれど、好きな人ができた事がない場合はどうしたらいいのか。  興味本位で付き合ったとして、やっぱり合わないと分かった時、好きじゃありませんでした。なんて言える訳がない。  そう俺が言うと、嘘も方便だと皆は言う。 「適当にできるのは若い内だけなんだから、遊ばないと。これも経験だぞ」  三か月ばかり早く二十歳を迎えた友人が言うと、周りは深くそれに同調し、俺は「そういうもんか?」と首を捻りながらも、とりあえずその場を収める為に頷いて見せた。  ――けれど、皆の言い分が頭から抜けない。恋をする事というのは、そんなに蔑ろにされて良いものだろうか。  それとも俺の考え方が、古いだけだろうか。  俺は首を捻り、一向に出ない答え探しながら、脚にある多少の浮遊感に捕らわれ、帰路に就いた。  初めて飲むアルコールに、身体が弄ばれているように、脚も手も頭もふわふわと心地良い。けれど、頭の芯の部分だけははっきりと覚めている妙な感覚。  たかがビール二杯と言えども、初回にしては飲み過ぎてしまったのだろうか。俺は明日の授業が二限からである事にほっとしながら、ようやく辿り着いた家の玄関口の門に手を掛けた。 「あ、やっと帰ってきた!」  不意に背後から声が聞こえて振り返るが、誰もいない。あれ? 気のせい? と首を傾げていると、 「司君、こっちだよ!」  そう声がして、視線を上げると、向かいの一軒家の二階のベランダに、人影が見えた。部屋の灯りを背負って、顔は影になっているが、声だけでその人物が、誰であるか、すぐに予測が付いた。 「おー、恭平。まだ寝てないのかぁ」  俺は右手を上げて応えると、一つ年下の幼馴染である、水戸恭平に声をかけた。彼は、ちょっと待ってて、と言うと、そのまま部屋に引っ込んでしまう。部屋の灯りが消えて、一分もしない内に、恭平はドアから出てくると、俺の元へと駆け寄ってきた。 「あはは、お酒飲んできたんだ」 「うん、初めて飲んだ」 「司君、真面目だからね」  美味しかった? と聞かれて、苦いと答えると、恭平はまた笑った。 「俺もお祝いがしたかったんだ。司君の二十歳の記念日」 「え、今から?」 「そう、今から」  そう言いながら背中を押されて、エントランスの門をくぐると、急かされるままに家の鍵を開ける。玄関口の灯りは点いたままではあるが、家の中はしん、と静寂が下りていて、いつも点いているリビングの灯りの漏れすらもない。気になって時計を見れば、午前十二時を回っていた。 「お前、明日大学は?」 「三限目からなんだ」  ほらほら、どうでもいいでしょ? そう言いながら、恭平は形の良いアーモンド形の眼差しを細めて、大きな掌で俺の背中を尚も押し続ける。  一つ年下と言えども、百七十センチの俺に対して十センチも大きく成長した彼は、外見に関して言えば、俺より年上に見えてしまう。しかし、昔から「司君」と呼んでくれるその声音だけは、幼いままで、俺の中では守ってやる弟のような存在なのは、今も変わらない。 彼のじゃれ付き方も、昔から変わらない。 「はいはい、ちょい待って」  スニーカーを脱ぎ捨て、二人で階段を上がると、俺達は二階の隅にある自室へと向かった。 「初めての飲み会はどうだった?」  後ろ手に恭平が部屋の扉を閉めると、そんな質問が飛んで来て、俺はベッドに勢いよく倒れ込みながら、友人に遊べと言われた一部始終を再び思い出していた。  しかし、そんな話を恭平に話しても、彼も反応に困るだろう。俺は曖昧にお茶を濁すように唸ってから、 「まだ酒って慣れないかも」  と呟いた。 「どのくらい飲んだ?」 「ビールジョッキ二杯」 「意外と飲んでるね。でも結構意識はっきりしてるみたいだし、弱いってことはないんだね」  何だか褒められている気がして「そうか?」なんて、笑うと、恭平は俺の隣に腰を下ろした。ベッドが軋んで、青い布団に影が落ちると、彼の匂いがした。 「恭平はまだ飲んだら駄目だからな」 「大丈夫、飲んでないよ」  どこか慰めるような声音で言われて、内心悟られるのではないかと、俺は余計な事を言わないように口を閉じて、目を閉じた。 「明日頭痛くならないといいね、水は飲んだ?」 「ん、飲んだ」  背中を支えていた手が、ゆっくりと髪の間に指を差しいれてきて、撫でられる。優しい指先の腹が心地良くて、酒の酔いもあり、瞼が少しずつ重くなってくる。 「司君、あのさ」 「うん」 「司君、もう二十歳じゃん?」  そうなんだ、もう二十歳。大人になったんだ。来年には成人式だってあるんだ。  そう饒舌に頭の中で言いながら、肯くと、 「俺、大人になった司君に言いたい事があるんだ」  言いたい事?  珍しく改まった低い声音に、瞼を押し上げて恭平を見上げた。先月初めて染めたと言っていたダークブラウンの髪が、蛍光灯の灯りに当たって、ライトブラウンに見える。 「恭平?」  見下ろしてくる眼差しがあまりにも真っ直ぐで、俺は上半身を起こすと、彼の隣に座り直した。 「どうした?」 「司君。俺、小さい頃からこの日を待ってたんだ」  この日? 俺の二十歳の誕生日?  両膝に拳を置いて、床を見つめる様に俯き加減の恭平に、いつもの子犬のような笑顔はなく、真剣な眼差しだけがそこにあった。 「俺、小さい頃から、司君の事が好きだったんだ」
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