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悲しくなって、に続く言葉がなかった。ひたすら言い淀むわたしに佐野さんが肩を竦める。
「はいはい分かった。何があったかは聞かない。聞いたら私、あなたを軽蔑しそうな予感がするの。この手の予感、冴えてるタイプでね」
ハンカチが差し出された。きちんと折り目がつけられた清潔なそれは佐野さんの気質を表す。恐る恐る受け取ろうとすると、次の言葉が添えられる。
「近いうちにあなたに辞令がでると思う」
「……」
「心当たり、あるわよね?」
佐野さんの顔を直視できなくなり、ハンカチを握って視線を落とす。
「……はい」
「泣くぐらい後悔してるたらやり直せるって、私は信じてるから」
「はは、佐野さんには敵わないですね。いつも正しくて真っ直ぐで……」
こちらは泥まみれなのに。いつだってキレイな理想を見せつけられれば、場違いな怒りを佐野さんへ向けてしまいそうになる。
ぐっと堪え、飲み込む。
「ねぇ橘さん、なにか言いたいことがあれば言えばいいじゃない? 言いたいことがあるのに我慢してるって顔するのは、結局言っているのと同じ。察して欲しい、構って欲しいって受け取られるよ」
「そんな、わたしは別にーー」
「“わたしは別にそういうつもりで不倫した訳ではありません”とか言うの?」
「!」
「何のつもりがあろうと、無かろうと、不倫するなんて最低以外ななにものでもないから」
佐野さんは言い切ると退出の準備をはじめる。佐野さんの正論がぐさりと刺さったものの、それ以上に堪えるのは正論とはいえ、わたしを傷付けたと後悔しているであろう横顔だ。
机上の仕事道具をしまいおえると、佐野さんが深呼吸する。
「経験則で一方的に話してごめんなさい」
「いえ、当然の言葉です。でも、わ、わたし、佐野さんのそういう潔さが嫌いかもしれません」
佐野さんは一瞬目を丸くしてから吹き出す。
「何よ、ちゃんと言い返せるじゃない」
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