彼女のこと

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偶然の出逢いから、僕は『21時のピアノ弾き』本人と知り合いになったわけだが、何度か会っているうちに、彼女の事情をより詳しく知る事になった。 数年前、彼女が高3の時、コンクール入賞がきっかけで音大へ特別奨学生として推薦入学が決まったらしい。彼女の音を知る立場からすれば、それはごく当然のことに思えた。 そんなある日のレッスンからの帰り道、状況が大きく変わる。 信号無視の車が別の車と衝突し、はずみで歩道に乗り上げ、彼女を轢いたのだ。 死亡者こそなかったが重軽傷者を多数出す大きな事故となり、新聞やニュースでも取り上げられたそうだ。 特に彼女は将来有望なピアニストの卵だったのに、失明という後遺症が残ってしまい、随分マスコミにも追われたらしい。 結局大学は、コンクール入賞時と同等の演奏が不可能になったという理由で推薦入学を取り消した。 目が不自由な学生も受け入れてる大学に一般受験するという選択肢もあったけれど、突然光を奪われたばかりののぞみさんは、絶望のあまり、ピアノのことを考えることも拒否してしまったのだという。 僕は最初にそれを聞いた時、とんでもなく腹立たしさを覚えた。 だって目が見えなくなったのは彼女のせいじゃない。 1㎜の落ち度も彼女にはないのだ。 なのにそんな結論しか出せなかった大学側を僕は心の底から軽蔑した。 幸いな事に、彼女のコンクールでの演奏に注目していた音楽関係者が事態解決に名乗りをあげてくれたとかで、彼女も徐々にピアノに向き合えるようになったそうだ。 そしてその人の口利きもあって一年遅れで別の音大を受験できることになり、彼女が大学でピアノを学ぶために必要な諸経費…バリアフリー工事やサポートするための人件費などもその人がすべて請け負ってくれたので、現在、彼女は大学でピアノを続けられているのだ。 まるで ”あしながおじさん” の話そっくりだが、事実らしい。 当時はまだ未成年だった事もあり、のぞみさん本人にその人物の素性は知らされていないそうだが…… けれどその ”あしながおじさん” は、小説同様にある条件を出したのだ。 小説の中では手紙を書く事だったが、こちらの ”あしながおじさん” の出した条件は、『21時のピアノ弾き』だった。 それは、失明して音大への道を閉ざされてからピアノに触れる事ができなくなっていたのぞみさんの、リハビリ的な意味もあったようだ。 卒業するまで毎晩21時に、ピアノを弾いている動画をアップする――――― そのために、わざわざピアノも贈ってくれたそうだ。 そのピアノが、あのカフェにある外国のピアノだ。 ”あしながおじさん” がその動画で、毎日のぞみさんのピアノをチェックする…という事らしいが、彼女は「まるで毎日オーディションされてる気分」と笑って話した。 でも僕は、彼はただ単純に、のぞみさんのピアノを聞きたかっただけなんじゃないかと思った。 どちらにせよ、のぞみさんのピアノのファンという点では、僕はその人に共感して、だけどちょっとした嫉妬も感じた。 なぜなら、その人の話をする時、彼女はとても楽しそうだったから。 のぞみさんはいつも明るいけれど、”あしながおじさん” の話題を出すときは、いつもの数割増しに見えたのだ。
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