彼女のこと

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「――――移植?」 「そう。角膜移植。スポンサーになってくださってる方のお知り合いに専門のドクターがいらっしゃるみたいでね。以前から、いつでも紹介できるとは言われてるんだよ」 客と店員というよりも親しい友人同士になっていた僕達は、閉店後のひととき、二人で、時にはのぞみさんや他の店員も加わったりして、他愛ない会話をして過ごしていた。今日は他愛ないものではなかったけれど。 「スポンサーって、例の ”あしながおじさん” の事ですよね?以前から言われてるのに、受けてないんですか?」 僕は疑問に思ったことをそのままぶつけた。 角膜移植をした患者は、その後視力も回復するんじゃないのか?だったらなぜ、彼女はまだ手術してないんだ? もちろん、移植を望んだところで、ドナーが見つからなければやりようもないけれど、それでも、光を取り戻せる可能性があるというのに、なぜのぞみさんは手術を受けないのだろう。 だが一番近くで彼女を見守っていたお兄さんは、少し寂しげに困った表情を浮かべた。 「角膜を移植するという事は、誰かが亡くなったという事になるからね。のぞみは、誰かの ”命” を感じずにはいられないんだと思う。あの事故で亡くなった人はいなかったけど、死ぬか生きるかの境目だった人もいたし、被害者の中にはのぞみより小さい子供もいたんだ。なのにのぞみは失明して音大に行けなくなった時、どうせなら事故で死んでればよかったとよく口にしていた。今は当時の自分を恥ずかしいと思ってるみたいだけど、そうやって “命” を粗末にするような態度をとってた自分が、誰かの ”命” を受け継ぐわけにはいかないと思ってるらしい」 「のぞみさんがそう言ったんですか?」 「そうだよ」 「……そうなんですか」 僕は溜め息こぼしながらテーブルに肘をついた。 のぞみさんらしいな…、そう思いながら。 彼女は当時の自分を情けないとさえ言っていたから、その頃のことは、今も重たい影となって彼女にのしかかっているのだろう。 大きな事故に巻き込まれたのだから、そういうのは当たり前かもしれないけれど。 「……目が見えなくてもピアノは弾けるのに」 お兄さんが、慰めるように言った。
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