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それは、驚嘆に近かったかもしれない。
少し開いたままになっている唇がその証拠のようにも見えた。
けれどその表情に、驚き以外の感情は見当たらない。
僕は彼女の様子を微塵も見逃さぬように凝視しながら、でも恐々と尋ねた。
「怒ってないのかい?」
「怒る?どうして?」
「だって僕はずっと隠してたんだよ?この店に来たのは本当に偶然だったけど、きみの立場から考えたら、嫌な気分になったりしないのかい?」
「別にならないけど?そりゃ、びっくりはしたけど、動画をアップしてる時点でそういう事も予想はしてたし、実際、あの動画を見てここに来た人もいたみたいだから」
私がいない時だったんだけど。
のぞみさんはフフッと息で笑った。
僕は彼女の反応が意外すぎて、いくつか考えていた言い訳を全部どこかに落としてきたような感覚になっていた。
「……つまり、僕以外にも『21時のピアノ弾き』のファンが訪れていた、ということ?」
狼狽えるなという方が難しいだろう。僕があんなに迷って悩んでいたのに、僕以外にもここに来た『21時のピアノ弾き』のファンがいてただなんて、想定外だ。
だが確かに、動画のコメントにはこのカフェの名前も登場していたわけで、あり得ない話でもなかった。
ただ僕が考えに至らなかっただけで。
「ファンというわけでもなかったみたいだけど……。でも、それが、宗さんの秘密だったの?」
いつもの調子を取り戻して訊いてきた彼女に、僕は妙な気恥ずかしさに襲われた。
「…そうだよ。きみの秘密を聞かせてもらう交換条件には、足りなかったのかな」
自虐ではないがそれに寄せた物言いをすると、彼女は「そうね…」と、また一つの鍵盤を軽く叩いた。さっきよりも高い音だ。音階をのぼった分だけ、彼女の心も上がっていると思いたい僕がいた。
「思ったより驚きはなかったけど、それだけ宗さんが私のピアノを好きでいてくれてるんだとしたら、今から私が話す内容を聞いても、軽蔑したり、離れていく事はないのかもしれないわよね……。それが分かったのだから、交換条件としては成立したと思うわ」
そう言って僕を安堵させたのぞみさんは、続け様に、
「私ね、死のうと思ってしまったの」
淡々と、打ち明けた。
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