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「……ずっと言い出せなくて、騙したようなかたちになってしまって、申し訳ない」
僕はその場で頭を下げた。
のぞみさんからは見えなくても、そうせずにはいられなかった。
騙すつもりはなかったけれど、そんなの言い訳にもならない。彼女が ”あしながおじさん” の事を話しているのを、隣で何食わぬ顔して聞いていたのだから。
彼女から見れば、裏切られたと感じてしまったとしても不思議ではないだろうから。
ところが彼女はいきなり、
「ありがとうございました!」
大きな声で、はっきりと、そう言ったのだ。
こちらを向くなという指示を守ったまま、後ろにいる僕にまっすぐ伝わるように、爽爽と、明瞭に。
それは、さっきまでの困惑が嘘のようだった。
「私はあなたのおかげで、ピアノを取り戻せました。すべてが……もう何もかもが嫌になってた時、あなたは私にきっかけをくれました。コンクールで入賞した私に甘い言葉で近寄ってきてた人達が、事故の後一気に離れていって、人を信じられなくなって、ピアノに触れる事すらできなくなってたけど、あなたは無理矢理にでも私にピアノとの時間をくれました。『21時のピアノ弾き』があったから、私は苦しい現実から逃げずに、見えないままピアノを弾く事を身に付けられました。いくら感謝してもしきれません。大学の事だけじゃない、私に『21時のピアノ弾き』を与えてくれて、本当の本当に、本当に、ありがとうございました。それだけじゃない、あの時私が飛び降りるのを止めてくれて、本当に、……もう本当に、ありがとうしか言えない……」
そう告げるなり、のぞみさんは鍵盤すれすれにまで頭を下げた。
「のぞみ……」
彼女のお兄さんが小さく呼んで、母親は涙を堪えるのに必死で、父親はそんな母親の背中を擦って宥めていた。
互いが互いを思いやるいい家族だな。僕は心からそう思った。
「………ねえ、もう振り向いてもいい?直接宗さんの顔を見てお礼を言いたいの」
彼女が頭を上げて言った。けれど僕は、まだそれを許すことができなかった。
「もう少しだけ、待ってくれるかな。もう一つ、きみに話さなきゃいけないことがあるんだ」
僕の中の緊張感が、いっそう高まった。
「まだ秘密があるの?」
彼女はやや首を回しかけながら、いったいどれだけ秘密があるのかというように訊いてきた。
もう逃げられまい。
僕は心を決めるしかなかった。
いや、今日ここに来るまでに決心はしていたはずだった。そのための準備もしてきた。
だけどいざ彼女…自分の好きな人と向き合うとなると、固まったはずの気持ちがにわかに竦んでしまうのだ。
それでも僕は、この先の未来を、彼女と一緒に生きたいんだ。だから彼女に全て打ち明けると決めたのだから。
例え彼女が真実を知った後、僕から離れていったとしても。
「僕は………、僕はきみを、利用したんだ」
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