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春乱
「あ、桜が舞っている…」
翔馬は電車の車窓から桜の舞を見つめた。
受験生にとって志望校合格の桜吹雪ほど美しいものはない。だれもが落ちるかもしれない不安な日々を過ごし、ようやく合格を果たした青天に舞う桜吹雪は殊の外に美しい。
この季節は新生活が始まりであり、新入生や新入社員あるいは人事異動などで春から新生活が始まる者が多い。それまで電車の中で見かけた者たちが新しい者たちと入れ替わり、新生活に不安な表情を露わにする者は珍しくない。そんな電車で気が向くまま風が向くまま然とした翔馬が乗り込んでいた。
翔馬は穏やかな整った顔立ちであり、時より風に揺られた前髪の隙間から傷が見え隠れする。その体格はスラリしながらも何かスポーツで鍛えた事をうかがわせ、傍に置いた古い旅のずた袋がどこか時代とズレた雰囲気を漂わせる。そんな翔馬は片手に最新のスマートフォンを持ちしきりに操作している。
たまたま翔馬の隣に居合わせた若きOLがちらりとその表情を見るのだが、翔馬は我関せずとばかりにスマートフォンに夢中である。ちょうど翔馬の指が萌えキャラアイコンをタップしたところであった。
画面にたくさんの星が煌めいて「アイドルラブビクトリーIII」とデコラなロゴが表示した。次にロマンチックな夜景を背景に立つバーチャルアイドルが登場して、瞳を潤ませた表情をうかべたり、にっこりと微笑みかけている。どうやら翔馬はバーチャルアイドルと会話を再開するらしい。
[みぐるちゃん、最近元気ないようだけど悩みがあったら相談にのるよ]
[プロデューサー……私のことをどう見てますか?]
[うちの大事なアイドルに決まっているじゃなか!]
[ううん、そうじゃなくて…私も年頃の女の子なんです……]
[みぐるちゃん、何を言い出すんだい…]
ムフフ!と目を輝かせて夢中になる翔馬である。どうやらこの展開は恋愛シーンである。翔馬は思わず片手のガッツポーズを決め、隣に立つOLがクスッと笑った。この翔馬を夢中にさせるもの。それは萌え系ゲームアプリ<アイドルラブビクトリーIII(禁断恋愛編)>である。
このゲーム内容はアプリのアイドルと恋愛を成就させることである。主要な恋愛シーンごとに入力フォームがポップアップされ、制限時間の60秒以内に決め台詞を入力しなければならない。入力した決めセリフはAIが分析し次の展開が決まる。もしその決めセリフが適切と判断されれば次の恋愛シーンに進み、それに応じてポイントが加算される。そしてプレーヤーは貯めたポイントをコンサートチケットやアイドルグッズと交換できる夢の仕組みなのである。だが、決めセリフを誤ると振り出しに戻る。あるいは酷いと判定されれば情け容赦なく課金され、最悪はアイドルとの恋愛関係が破綻するのである。そうして現実でモテない数多くのプレーヤー達がゲームの中で屠られるという悪魔な恋愛アプリなのである。翔馬はこのアプリにどっぷりハマり小遣いを毟られていた。
[私はアイドルという商品じゃない……]
[君はもうすぐトップアイドルなんだよ。それが君の夢じゃないか。ね、いっしょにがんばろうよ]
[どうしてわかってくれないの?私を女の子としてみてほしいの!]
[みぐるちゃん、い、いけないよ…]
[…私、プロデューサーのこと好き……]
スマホ画面にキラキラと星が輝く入力フォームが開いた。
「キターーーーーッ これぞ千載一遇のチャーンス!」
翔馬は高らかと拳を天に振り上げた。そして入力フォームに何度も文字を入力しては削除するを繰り返すのであるが、制限時間のカウントダウンされてゆき、翔馬を焦らせた。
そんな時である。スマホがブルっと震え、画面の中央にメール通知が現れた。翔馬はまじまじと送信者名を見つめると、そこには「坂上美津子」と表示されている。
(うぅ、母ちゃんだ!)
翔馬は頬を引きつらせた。震える指で画面の通知をタップして、画面はゲームアプリからメールアプリに切り替わった。メールを読む翔馬である。
<<翔馬、ちゃんと大学へ行く電車に乗りましたか?母はおまえが羽目を外して他に行っているのではと心配です。あなたは今日から大学生ですが、世の中には大学で学びたくても、それができない方々がおられるのです。だからくれぐれも浮かれることなく、心を入れ替えて学業に励んでください。>>
翔馬の名は坂上翔馬といい、メールの送り主は母親の坂上美津子という。翔馬はどうにか大学進学を果たし、上京の途にあったのである。
(かあちゃんは俺の行動を見越しているんだよなぁ…)
翔馬はやれやれとばかりに「ちゃんと大学へ行く電車に乗りました。心配しないで!」とポチりと返信し、スマホの画面をアイドルラブビクトリーIIIに戻したが時すでに遅し。制限時間は終了し、アイドルは涙をキララと流し切ない表情となっていた。ゲームは振り出しである。
翔馬はすっかり興醒めした表情になった。スマホをポケットに入れ、電車の窓から流れてゆく風景を眺めた。
電窓から見える都会の風景、上京者にとっては巨大な立方体がひしめき合う世界に見える。大小様々な立方体の中で数多くの人々がセパレートされた空間に住み、快適で広々とした空間に住めるのは裕福層だけである。それ以外は手狭な空間に住むしかなく、そのベランダや出窓が電車からよく見える。
都会にはたくさんの窮屈な場所があり、その最たるものは通勤通学の電車である。混み合った電車内では乗客はわずかな空間を見出し、胸の高さスマホをじっと見つめ、あるいは新聞を縦に折って読んでいる。また座席には寸暇の眠りを貪る者がおり、隣の乗客にもたれずに眠るスキルが必要であるのだ。
「来ちゃったものはしゃあない…」
翔馬は思わず独り言を漏らし、隣のOLは「は?」とキョトンとした。上京したばかりの翔馬はそんな都会の息苦しさを感じてしまうのだが、電車は乗客の思いなどお構いなく定刻通りに走ってゆく……
「やめてください!」
女性の声が電車内に響き、
「なにを〜 この小娘がぁ!」
という男の罵りが続いた。
ざわめきつ車内。乗客らは一斉に声がした方を向き、翔馬は身を乗り出すように声の主を探した。
視線の先に若い二人の女性と中年男が対峙し、その周りを顔をしかめる乗客が取り囲んでいる。
(お!バトルだぁ〜)
翔馬はニンマリとした表情で乗客を掻き分け諍いの渦中へ移動した。
学生と思しき二人の女性が隣り合って立っている。二人に向かって立つのはヨレヨレのスーツを着た小太り中年の男性である。三人はそれぞれ手にスマホを持ち、申し合わせていたかのように同じ対戦ゲームが起動させていた。
「対戦中に他からパワーもらってんじゃねぇぞ!」
「それってOKルールだもん!」
「そうよ!おじさんねぇ〜 ホゲラーGOはチーム対戦ゲームでもあること知らないわけ?」
「な、なに〜!」
中年男のイチャモンは二人の正論でバッサリ切り捨てられて、返す言葉がなく怒りで顔が真っ赤になってゆく。翔馬は三人の近くに立ちニンマリとなりゆきを見ている。
「あは!ひょっとして図星ィ〜 ゲームのルールを知らないほうがおかしいのよ。もしかして自宅警備の方ですか?」
「な、なんでそうだとわかるんだ!」
「スーツ着てサンダル履いてるサラリーがどこにいるよ」
プッ!と吹き出す周囲の者たち。翔馬はご満悦の表情である。
「ちょっと冴子ったら、それ言い過ぎ…」
「幸恵ったら優しいね。でも良いのよ。がつんと言わなきゃ」
これまで順調に走り続けていた電車がガクン!っと大きく揺れた。
「痛い!」
突然、冴子は後方のドアにぶつかりその反動で前に倒れた。それまでニンマリと三人を眺めていた翔馬は眉を細めた。
「今、突き飛ばしたわね!」
キッと中年男を睨む冴子である。
「なんのこと〜 電車が揺れてお前がよろけただけだろう〜」
中年男はヘラヘラと冴子の主張をはぐらかした。
「うそ!絶対に突き飛ばした!みんな見てたでしょう?ね、みんな…」
冴子は哀願の表情で周囲の者に発言を求めた。だが、皆は口をつぐんで沈黙したままである。電車が大きく揺れた時、皆は自分の体制を気にして中年男から視線を外したのである。
「そうだろう〜 俺は何もしていない。大の大人がそんなことをするわけがない。それよりお前は大人に対する敬意ってものがないんだよ」
「何が敬意よ!どうせおじさんは無職で収入がなく、女性に相手にされない寂しい人生でしょう!敬意を求める資格ないわよ!」
「お…俺が気にしていることを〜 もう許さなぇ!」
男は怒りの形相で拳を振り上げた。
「キャア!」
冴子は思わず両手で自分の顔を庇った。しかし中年男の拳は放たれず。恐る恐る両手を開けると、翔馬が中年男のその手首を掴んで静止させていた。
「おっさん、それやっちゃ人生のゲームオーバー!」
「このガキ!お前も仲間か!?」
中年男は翔馬の手を振り解き、翔馬の胸ぐらを掴み上げた。
「おろ?おれとやるっての?」
翔馬は胸ぐら掴まれた姿勢のまま眠たそうに男を見つめた。冴子と幸恵は固唾をのんで翔馬を見つめた。
「ぐわぁ!う、腕がぁぁ…」
男は一転して翔馬を捻じ上げた手を離し、その腕を庇うようにその場にうずくまった。そして苦悶の表情を浮かべたままに動かなくなった。
「じきに痛みは収まるからそのままじっとしてろ」
翔馬は何も起きていなかったかのような口ぶりである。冴子と幸恵はその一瞬の出来事に唖然と翔馬を見つめた。電車は駅のフォームに停車して扉が開いた。
「冴子、今の隙に降りよう」
「そうね!」
二人はそそくさと脱兎の如く電車からホームへ飛び出した。
「あ!俺もここで降りるんだわ。じゃね!」
翔馬は旅のずた袋を背負ってホームに降りた。電車は扉が閉まり再び発車し、ドアの窓に悔しがる中年男の姿が遠ざかってゆく。
「べぇ〜だ!」
安心した幸恵は電車に向かって舌を出した。
「いい気味よ。それにしても災難だったね」
「たかがゲームでおじさんから絡まれるとは思わなった…」
「そうね。世の中おかしいヤツばっかりだわよ」
翔馬は二人にお構いなく出口を求めて歩き出した。幸恵は翔馬に気づいて走り寄った。
「助けてくれてありがとうございました」
「…いや、どうって事ねぇよ。俺としては面白かったし」
「は?」
幸恵は感謝のお辞儀が一転してキョトンとした。
「あ〜 そういえばあんたは楽しそうに見てたよね!」
冴子は翔馬に突っ掛かった。
「えへへ 東京はおもしれって思ってさ」
翔馬はにっこりしながら頭を掻いた。
「はぁ?女の子が困っているのを見ていたわけ?あんたねぇ男として最低よ!」
「冴子たら、いいじゃない。結果的に助けてくれたんだし」
「それはそうだけど…」
かみつく冴子をなだえる幸恵である。
「この人はわかっていらっしゃる。ん〜 君…カワイイかも!」
翔馬はまじまじと幸恵を見つめ、幸恵はポッと頬が赤くなった。冴子はポカンと口を開けて二人を見つめた。
「そんじゃね!」
翔馬は二人に背を向け歩き出した。
「あ、もしかして同じ行き先ですか?」
「ん?オレ至誠大に行くんだけど。入学式、出なきゃ」
唐突な幸恵の問いに翔馬は振り向いてそう告げた。
「わぁ!そうですかぁ 私たちもその至誠義塾に行くんです!」
「俺たちは同じ大学なわけ?」
「はい。私たちも入学式に出るんです。一緒にいきましょう!近道知っているの」
「ああ… 構わないけど」
「うふ。そうと決まれば一緒にいきましょう」
「もう、幸恵ったら調子がいいんだから」
幸恵は翔馬に寄り添うように歩き、翔馬は上京早々に思いがげない展開となり困惑気味である。冴子は呆れながら二人の後についてゆき、三人は駅の出口に向かって歩き出した。
銀杏並木の大通りを挟んで高層ビルが立ち並んでいる。銀杏はたくさんの若葉を茂らせ、遊歩道には初々しい会社員や学生達が歩いている。三人はそんな遊歩道を歩いている。
「大きなバックですね」
幸恵は翔馬が肩に担いているずた袋を指差した。
「まさかうかっているは知らなかったから、慌てて荷物をまとめて上京したんだよ」
翔馬はフフと笑った。
「自己紹介がまだでした。私、加藤幸恵といいます」
「俺は翔馬、坂上翔馬っていうんだ」
「私は遠藤冴子。私たち至誠大に合格したのよね。考えてみれば同じ時間帯で最寄駅で降りるんだから、確率的に同じ大学の学生が出会うことになるよね」
冴子はドヤ顔である。
「ところであのおじさんになにやったの?」
幸恵の問いに、翔馬は口をへの字にして返答をためらった。
「…ちょいと腕にある痛みのツボをガツンとさ」
「武道やってるの?何も見えなかったけど」
「…見せるわけないさ。本来技ってそういうものさ」
「そっかぁ 武道の心得があるから動じなかったわけね。合点がいったわ」
「どうやったかやってみせてよ」
「いやだよ。人にみせるもんじゃないし……あ、おまわりだ!あのまま揉めなくてラッキー」
三人が歩く反対車線で警察官が駐車違反を取り締まっていた。
「あのおじさん怖かったし、最近若い女性を狙った犯罪が増えているそうよ。嫌だわ…」
「事が起これば周りのみんな見て見ぬふり。そんでもって警察呼んでる間にぶすりと刺されてあの世行き…法律は万能じゃないね」
「翔馬くんがいてくれて本当によかった!」
「幸恵ったら舞い上がっちゃって大丈夫?」
そんなやりとりの最中、幸恵はあるビルの正門の前で止まった。
「この会社のエントランスをまっすぐに抜けるのが近道よ」
「へ?会社の敷地じゃないか!グーグラマップに出てこないよ」
スマホで検索し始める翔馬である。
「当たり前よ!道じゃないもん。正門は中庭に通じてその先に裏門があるの。裏門を出て左へ曲がりまっすぐ歩けば、大学にたどりつけるのよ」
「それが近道ってわけだね。グーグラ大明神で検索しても見つからないわけだ」
「それはそうよ。私が知っている近道だもん」
翔馬と幸恵は笑った。
三人はその会社の正門を抜け、中庭の先にある裏門から通りへ出た。そこには飲食店の看板が立ち並ぶ飲食店街であった。通りには調理人や配達業者が忙しそうに行き交っている。
「本当だ!すんごいな!東京ってどこも店がいっぱいあるね」
「学生街でもあるんだよね〜」
「ねぇ、入学式がすんだらここで何か食べよう」
昼食の算段をする冴子と幸恵である。翔馬は二人の会話が耳に入らずキョロキョロと辺りを見ている。
「やっぱ田舎もんでやんの」
冴子はクスクスと笑った。
「あ、聞こえたぞ。まださっきのこと根にもってんのかよ?」
「根にもってないわよ。やっぱお上りさんだなぁと思ってさ」
「なんかしゃくにさわるよね。君の友達いつもこうなの?」
翔馬は冴子に指差した。
「ちがうわよ。本当は優しい子なのぉ!」
「ふーん。まあいいや。しかしやっぱ東京だよな。面白い店がたくさんあんじゃん!」
三人は飲食店街を歩き、翔馬はまだキョロキョロと見渡している。
「ウォ!あの店よくね?居酒屋『酔ってけ』だって!もつ鍋『勃っちゃん』にガールズバー『パヨパヨ』……」
通行人達は三人を見てはクスクスと笑って通り過ぎる。
「あ〜ッ!もう恥ずかしいじゃないのよ!いちいち声に出さないでよ!」
冴子はイラッとして翔馬に抗議したが、お構いなしの翔馬である。
「おおッ!あれスゲェ!覗いてみようぜ!」
翔馬は脇道の奥に何かを見つけそこへ歩き出した。二人は何事かと翔馬の後に続いた。翔馬の足が止まり、二人は翔馬が見上げる先を見つめた……
二人の目に飛び込んだのは、黒のハイレグ姿の女王様が鞭を構える写真である。看板に「官能倶楽部『ビートミー・フォーエバー』」と書かれている。
「キャアアアッ!」
冴子と幸恵は顔を真っ赤に悲鳴を上げた。
「うほほ〜! こういう店、田舎にないんだよぁ〜」
ご満悦の翔馬である。さらに営業前の店に隙間を探して、店内を覗こうとした。
「い、いやらしいわね!君はここに入学しなさいッ!」
冴子を翔馬にそう言い放つと、幸恵を手を引っ張って元の道へ走り出した。
「あ、待って!置いていくなよ!」
翔馬は二人を追うであるが、冴子は全速力で突き放そうするのであった。
「あいつやっぱり変人だわ!」
「でも、あの人ってすごい楽しいね」
「ありゃ真っ先に退学になるタイプね」
二人は息を弾ませながら笑った。
三人は飲食店街を抜け大通りに出た。
「急に走るなよ!もっと見ていたかったのに!」
「あんたはもうそのまま大学に来なくていいから」
自動車の交通量が盛んな道路を挟んで、その向こうには小高い樹木を囲う煉瓦の塀が広がっている。
三人は信号を渡り、古い煉瓦造りの塀に沿って遊歩道を歩き、ちょうど他の学生達も同じ方向へ歩いている。しばらくして三人は正門に辿り着き、存在感を放つ門柱を見上げた。
時代が刻まれたゴシック様式の門柱、その上部を唐草模様の金属アーチが繋がっている。門柱の石板には楷書体で至誠義塾大学と刻まれている。
至誠義塾大学はJR「田丸駅」から徒歩10分、学生数は国内外に4万人を誇る屈指の私立大学である。1839年に上津藩士であった福日諭本が藩命により開校した蘭学塾を起源に持つ大学である。開講した当時は「安政の大獄」の頃であり、江戸幕府が尊王攘夷派に対して過酷な弾圧を行い、また薩英戦争を勃発させた「生麦事件」などが起きて、日本は明治維新の動乱期であった。
福日は西欧事情に明るく、翻訳方として斜陽の幕府に仕えていたが、日本の動乱に乗じた諸外国に危機感を抱いていた。そして新政府樹立後に誠の心で新時代を担うリーダーを育成すべく、蘭学塾を至誠義塾大学と改名したのである。時は流れて、至誠義塾大学は政財界に人材を輩出するほどの規模となり、翔馬は奇跡的に入学を果たしたのである。
感慨深く正門を見つめる三人。正門の脇に植樹された桜は満開を迎え、花弁が入学生らの周りに舞っている。そんな祝福ムードを自動車のエンジン音が打ち消した。正門前の道路に高級スポーツ車が停まったのである。
正門の守衛がすかさず車に運転席に歩み寄った。ちょうど車の窓からサングラスの若い男が頭を出して、二人はいくつか言葉を交わした後、若い男は嫌悪な表情をあらわにクラクションを鳴らして守衛は狼狽した。
「もめてるのかしら?」
「さあ、何かしら」
「それにしてもスンゲェ車だな。これレクズスっての?」
「LEXUS(レクサス)って読むよ!あんたよく至誠大に合格できたわね」
「えへへ、俺悪運強いし」
「それを言うなら『まぐれ』っていうのよ!」
天然ボケの翔馬とツッコミの冴子、二人は出会って早々に夫婦漫才か!幸恵はそのやりとりにクスクスと笑うのであった。
「何度も説明しますように、新入生によるお車でのご来場はお断りしておりまして…」
守衛は謙虚に腰を低くしてサングラスの男を説得を続けた。
「いいじゃないか!僕のパパは毎年多額の寄付をしているんだ」
「そう言われましても、ご来校は入学手続要綱にしたがっていただかなくては…」
「パパは来賓客として車で来場してるんだぞ。僕の車もそのまま駐車場に停めればいいじゃないか!」
「い、いや…あの…なんといいますか…」
「じゃぁなに!僕は駐車場を探せってか!」
サングラスの男はあたふたする守衛に威圧的態度にでた。
「ねぇ、まだ入れないのぉ〜 やっぱりお父様がいなければダメなのかしら」
助手席にキャバ嬢風の若い女が座っている。手鏡を片手に化粧をしながら、サングラスの男にチクチクと言葉を刺す言い草である。
「ご、ごめんねぇ マミちゃん。必ずねじこむからもうちょっと待っててね」
サングラスの男は女に拝む手をすりすりしながら宥めた。
「おい!守衛ッ!車を通せって言っているだろうが!」
自分の面子のためならば 強引な手段に訴えるくそクレーマぶりである。
「いやだわ。どういうことからしら?」
「要するに成金の息子がカッコいいところを見せたいんだろう」
「そうかぁ〜 親の七光ってわけね」
サングラスの男は呆れる幸恵と翔馬に向いた。
「あ〜 聞こえたぞ。そこの貧乏人どもが!」
「あらあら 下流国民はいやね〜」
「お前らには下民が出る幕じゃねぇんだよ!カップラーメンでもすすってな」
サングラスと男とキャバ風女は翔馬らの三人をヘラヘラと嘲笑した。
「うちはお金持ちじゃないけど貧乏じゃないわよ…」
「なにが下流だよ。俺そういうのムカつくんだけど」
むくれる幸恵と翔馬である。
「私、またもめ事になるの嫌だから!放っておいて会場に行きましょう」
冴子は幸恵と翔馬を宥めながら二人を正門に誘う。
「キャア!」
「どうした?ぐわ!」
「え?えぇぇぇ〜!何なのこの一団は…」
頭上にはためく英国旗と家紋旗。正装をまとうヨーロッパ人の一団が佇み、その中で燦然と現れたのは白馬に跨る若い英国男性である。その金髪を風になびかせて涼しい青い瞳で呆気にとられる翔馬ら三人を見下ろしている。
「レクズスの次は白馬かよぉ〜!」
「レクサスって言ったでしょうが!」
「こ、この派手な一団はなに?なんで白馬に乗って来るのよ?」
白馬の横にタキシードを着た初老の執事が佇んでいる。一団の先頭へ歩み出ると正門の方へ向いた。
「これ!係りの者のものは何処だ」
執事は正門に立つ職員に言葉をかけた。その言葉に中年の男性職員らがそそくさと低姿勢で執事の前に歩み寄った。
「これはこれは!アンドリュー卿とエドモンド様。この度は我が校に御入学いただき誠に光栄でございます。これより係りものが会場へご案内いたします」
「アンドリュー様、お聞きなられた通りにございます」
「よろしい。わがトランポリーノを預けよう」
アンドリューはひらりと白馬から降りて、手綱を職員に手渡した。そしておもむろに正門に立つ女性職員らを見つめた。女性職員らの入学式の晴れの日とあって、きっちりと黒のスーツで身を固めているだが、アンドリューの青い眼差しに頬を赤めと瞳を潤ませていた。
「英国の名門貴族でしかも大富豪…」
「それいてイケメン!超パーフェクトよぉ〜!」
ちゃっかり入学生の個人情報をチェック済みの女性職員達、アンドリューのイケメンに気持ちを堪えきれず黄色い歓声がわいた。もはや玉の輿を目当てとあっては個人情報保護法などあったものではない。
アンドリューは女性職員を横目にエドモンドに一言ささやいて、エドモンドはすかさず女性職員らに言葉を発した。
「アンドリュー様は、美しい貴婦人がおられる貴大学に入学でき、誠に光栄であると申しております」
「きゃああああ〜!」
「もうダメェ、キュンときたわ キュン死ィィィ〜」
エドモンドの言葉に女性職員たちは桃色ブルーミングな歓声が巻き起こし、バタバタと気が遠くなって失神した。その側の男性職員たちはコメツキバッタのようにオタオタとするばかりである。
「へぇぇ〜、スンゲェ社交辞令だな」
「外国の貴族みたいねぇ。はじめてみたわ」
「それだけ至誠大はグローバルな大学って事でしょう」
ポカンとする一団を眺める翔馬らをよそに、サングラスの男はけたたましくクラクションを鳴らした。
「守衛ッ!なんで馬が良くて僕の車がダメなんだーッ!」
「そ、それにつきましては我が国と英国の国際関係による事情によりまして…」
守衛はしどろもどろに説明した。
「あ、わかったぞ!海外に対して大学の知名度を上げて、留学生をガバガバ入学させようという魂胆だろう?きったねぇ!」
「そうだ。きたねぇぞ!」
サングラスの男と翔馬の意見が一致した瞬間である。それを垣間見たエドモンド様が歩み寄った。
「これ、日本の若者たちよ。私の言葉に耳を傾けるがよい。貴学の創立者は近代に我が国へ留学を果たし、当グロブナー家と睦まじい関係となったのだ。それはまさに英日親善の先駆けであり、そして今年は貴学創立150周年を迎えた。当グロブナー家はアンドリュー様を入学させ、古式にしたがって入学式に参上したのである。これは両国との変わらぬ友情の証である」
エドモンドは聞き分けのない子供に諭すようである。だが先日まで受験生であった二人にとっては勉強とは大学受験合格の方便に過ぎず、ましてや国の発展に諸外国との同盟関係が重要である自覚はない。
「とかなんとか言っちゃって、あんたらはこのカスと同じで権威を示したいんだろう?」
翔馬はサングラスの男を指差した。
「おい!貧乏人!俺様に対してカスとはなんだあ〜ッ!」
サングラスの男は車窓から乗り出し絶叫した。
トランポリーノはその声にブルッ!と鼻息荒く頭部を震わせた。
「図星だろうが!お前らは所詮、家柄とか親の威を借りているだけ自分の力を試そうとしない!俺はそういうの大っ嫌いなんだよ」
アンドリューは翔馬の言葉が胸に突き刺さったかのように顔を硬らせた。
「若者よ、口が過ぎるでないか。清濁を含めてこの世界を見つめるがよい」
エドモンドは首を振りため息をついた。
アンドリューが降りた後の名馬トランポリーノは落ち着きなさげにその大きな体を揺らし、しきりに蹄でアスファルトを引っ掻いた。アンドリューはまだそばにいるトランポリーノを触れて宥めようとした。
「なぁ、金髪のにいちゃん。馬なんか見てないでなんか言ったらどうなんだよ」
翔馬はアンドリューの方へ歩いた。
「Oh No! Don”t step behind it!」
アンドリューは翔馬の挙動に驚いて来るなという仕草をした。
トランポリーノは雄叫びをあげながら高らかに前足をバタつかせ、その前足が着地した瞬間!猛烈な後ろ蹴りを翔馬に放った。
「ぐわっ!!」
後ろ蹴りは翔馬の胸に直撃!翔馬はそのまま後方へ吹き飛ばされ、頭からレクサスのサイドガラスに激突した。サイドガラスはつんざくような音を発して粉々に割れ、周囲は翔馬の一点を見つめたまま、しんと静まり返りかえった。翔馬は上半身をサイドガラスに突っ込んだままピクリともしない……
「ぎゃぁああ!僕のレクサスが〜!」
静寂は破られ、サングラスの男は発狂した。
「出逢って早々死んじゃうなって…」
あまりのショックで抱きしめ合う冴子と幸恵である。
「嗚呼、記念すべきアンドリュー様の入学日になんとういうことが…」
エドモンドは終始冷静な態度を崩さない。だがアンドリューは心配気に翔馬に歩み寄った。
周囲に飛び散ったサイドガラス、醜く凹んだサイドドア…それらは翔馬がレクサスに激突した衝撃を物語っている。一刻も早く翔馬に救命措置をしなければならない。アンドリューは翔馬に触れようとしたその時である。翔馬の足がピクリと動いた。
「ううう、痛いぇ…」
翔馬は自力で這い出し、その場に座り込んだ。
「おおおおお!生きている〜」
どよめく周囲の者たち。あの凄まじい衝撃に関わらず翔馬がピンピンしている。通常なら重症であるはずが、その元気な姿に周囲は驚きを隠せない。
「キミ、本当に大丈夫なのか?精密検査を受けなければ…」
アンドリューは翔馬の肩にそっと手をかけた。
「俺の体はヤワじゃないんだよ。それより俺はどんな時だって権力や権威に絶対屈しないんだ!」
アンドリューはその言葉に一瞬たじろいた。
「とにかくお前の馬は絶対ゆるさん!馬刺しにでもしてやろうか!」
鼻息荒い翔馬である。トランポリーノは翔馬に怯えて後退りする始末である。
「トランポリーノについては私に責任である。それ相応のお詫びをいたすゆえ許してくれないか…」
気位が高いアンドリューが一転して謙虚な態度を示し、翔馬はそんなアンドリューを見つめた。
「アンドリュー様が自らお詫びの言葉をかけてられるとは…」
冷静なエドモンドが落ち着きなくアンドリューと翔馬を見つめる。
「詫びって…べつにわかってくれればいいんだよ。ああ、それにしても痛かったな〜」
翔馬はすうっと怒りがおさまり笑顔を見せた。慰謝料を支払う気でいたアンドリューは「え?」という反応になり、翔馬の気の利いた対応にまるで友を見るような視線になった。
「昔の俺はな、このぐらいしょっちゅうだったさ〜」
気さくな態度でアンドリューに話かける翔馬、だが緊張が解けるほどに、頭から血がだらだらと流れて、体がフラフラし始めた。
「あらやだ!流血しながら笑う人、はじめて見たわよ」
「うん!やっぱり変人ね」
そう囁き合う礼子と幸恵である。
「お前達!この者を早く手当てするのだ!くれぐれも丁重にだ」
アンドリューは連れの者たちに翔馬の手当てを命じた。その一方でレクサスの車内では、
「あああ、パパに買ってもらったレクサスが……」
サングラス男は車内で散乱したサイドガラスの破片を見つめ、全身に浴びた破片を浴びたマミがワナワナと震えている。
「あんたねぇ!私より車が大事なわけ!」
サングラスの男はマミの言葉に「へ?」という表情となり、マミは怒り心頭して車から出ていった。サングラスの男は気落ちしたままその後ろ姿を見つめた。
そんな一部始終を離れた場所に駐車中の高級車から見つめる男達がいた。
「英国貴族の名門『グロブナー家』との邂逅を引き寄せるとは血は争えんな」
車内では高級紳士服や高級腕時計を身に付けた男達らが座っている。
「しかしまともに馬の蹴りを受けて軽傷だとは…」
「わからんか?馬が蹴るほんの一瞬、後方へ飛んで衝撃を和らげたのだ」
「道理で。あの咄嗟の判断力…清河財閥の息子は伊達ではあるまい」
「政財界に影響力があるという清河財閥の…」
「いや、血縁関係だが腹違い息子だという事だ。母方の姓を名乗り、財閥を拒んでいるという」
「どうやら実の父親に対抗して起業する気らしいが見ものだな」
「うむ、しかし起業を果たし世間の脚光を浴びれば、財界の重鎮方も放っておかなくなるだろう…」
翔馬は手当てを終え一団は大学に入った。それを見届けたかのように高級車は都心のビル群へ走り出した。
太陽が西の空へ傾き、辺りの街並みを茜色に染めている。
その街の中に一棟だけ高いビルが建ち、赤茶色のレンガ外壁で通称ビルと命名され、三軒酒屋のシンボルとなって久しい。三軒酒屋には地下鉄が通り、その改札口から旅のずた袋を背負った翔馬が出てきた。
外へ出た翔馬がまず見たものは、不動明王の石像と頭上に連なる国道246の橋梁である。三軒酒屋は人や車の往来が激しく、商業施設がありながらも、その界隈は神社仏閣が残り、昔ながらの風情をとどめている。
翔馬はポケットから二つに折のメモ用紙を取り出した。開くと素っ気なく住所のみが書かれており、スマホのナビを頼りに歩き始めた。上京し入学式の出た翔馬にとっては残る行き先は下宿先である。
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