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株式会社システムツーワンは、築年数の浅い比較的綺麗な雑居ビル内のワンフロアに位置する。
メンバーは総数二十名とまだ小規模ながら、大きなプロジェクトも担っている会社である。つまり、業績右肩上がりの将来有望な会社といえる。常に仕事は忙しく、人手不足だ。なので、採用活動は常時行っていた。
「こ、こんにちはっ。はじめまして、三時にお約束をしておりました、かっ、香川と申しますっ」
「こんにちは、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
美青は緊張している彼に対し、にこやかな笑顔で対応する。香川と名乗った男性は、ホッとしたようにその表情を緩めた。
香川はシステム構築を専門としているということで、書類選考とシステム開発部の担当者・五十嵐の面接は通り、今日が最終面接なのだ。
最終面接で対応するのは幹部三人、社長の小畑、副社長の一颯、幹部である四谷だ。
四谷は制作部に所属をしているが部長ではなく、それは一颯が兼任している。四谷は副部長という体ではあるが、実質一颯との役職の上下はない。むしろ小畑の補佐をすることの多い一颯に代わって、彼女が制作部を率いているといっても過言ではない。
小さな会社なので専務、常務などの役職はつけていないが、そのようなものだ。というか、この三人にとっては役職云々はあまり意味をなさない。対外的に必要だからそういった役職名をつけたという感じだった。
仕切りなしのワンフロアになっているので、誰かが来ると社内にいる全員の目に入る。営業以外のメンバーは社内にいることがほとんどなので、その全員が香川を見ることになる。
社員たちの視線を感じ、香川が再び固くなる。
「緊張しますよね」
美青が笑いながら応接室のドアを開けると、香川は少々引き攣った笑みを見せながらそそくさと中へ入っていく。早く視線から逃れたいのだろう。
席を勧め、美青は一颯たちに彼の来訪を伝えに、そしてお茶の用意をするために応接室を出ようとする。その時、香川が美青を呼び止めた。
「あ、あのっ」
「はい?」
「あ、ありがとうございます」
若干頬を染め、もじもじとしながら頭を下げる香川を見て、美青は穏やかに微笑む。
中途採用ではあるが、香川はまだ二十代の青年だ。どこか初々しさが残っている。美青は微笑ましい気持ちになり、彼を安心させるように笑顔で声をかけた。
「緊張しなくても大丈夫ですよ。頑張ってくださいね」
「は、はいっ」
パタンとドアを閉じると、幹部の三人が美青をじっと見ている。なんだろうと思いながら彼らに近づいていくと、四谷がクイと腕を引いてきた。
「海鈴さん?」
「美青さん、魔性の女!」
「はぁ?」
「どーする一颯? 彼、結構使えるって真治さんからは言われてるけど?」
「今から面接して、俺たちがどうするか決めるんだろうが。でもまぁ……真治さんが使えるって言うなら優秀なんだろうけどな」
一颯が少し不機嫌な顔をしている。そんな一颯とは対照的に、小畑は楽しそうにニヤニヤと笑っている。四谷もまたしかりだ。
「……彼、緊張してるみたいなので、お手柔らかにしてあげてくださいね」
一颯はともかく、小畑は面白がりそうなので、あとの二人にストッパーになってくれるようにという意味でそう言ったのだが、一颯が益々不機嫌になる。
小畑と四谷は必死に笑いを堪えている。美青だけが首を傾げていると、興味津々な谷山がいつの間にか側に来ていて、美青に耳打ちした。
「ダメですよぉ、美青さん! 香川さん、せっかく可愛いイケメンなのに、採用の道を閉ざさないでください」
「え!?」
「美青さんが香川さんの味方をするようなこと言うから、一颯さんの顔がめちゃくちゃ怖くなってます!」
「なってない!」
すぐさま一颯が反論するが、小畑と四谷はたまらずぶはっと噴き出し、周りにいた社員もクスクスと笑みを漏らしている。
一颯はムッとした顔をするが、自覚があるのか自分の手で髪をグシャグシャと掻き乱す。
「あぁ、今から面接なのに」
条件反射で美青が手を伸ばし、乱れた一颯の髪を整える。手櫛で何とか整え終わって周りを見ると、全員が困ったように視線を逸らしていた。
「あ……」
しまった、と思った。つい家にいるような感覚で手を出してしまったが、一颯と美青の関係を知っている社員たちからすると、ちょっと目のやり場に困ってしまうだろう。
「すみません……」
小声で美青が謝ると、四谷と谷山が声を揃えて「可愛い」とポツリと呟いた。小畑はクスクスと笑い続けている。一颯はというと──。
「美青が謝る必要なんてないだろ? ……ありがとう」
ポゥと思わず見惚れてしまうような蕩ける笑顔を見せ、一颯はその後、小畑と四谷を応接室へと促す。
三人が応接室に入るのを見届け、美青は給湯室へ足を向ける。とその時、再び谷山がこそっと美青の耳元で囁いた。
「一颯さんの溺愛っぷり、すごいですね」
「……っ! な、七瀬さんっ」
「香川さん、美青さんのことじっと見てたし、顔がちょっと赤かったし、妬いちゃったんでしょうね。可愛いとこありますよねー」
二ッと笑って自席へ去っていく谷山の後ろ姿を眺めながら、先ほどの一颯を思い出す。
最初に不機嫌そうな顔をしていたのは……ヤキモチを妬いたからだったのか。
「うわ……」
美青の頬が上気する。それを他の人に見られたくなくて、美青は慌てて給湯室へと足を速めた。
「なに誤解してるんだか」
給湯室へ着いてから小さく声に出す。すると、先ほどの一颯の笑顔が頭を過った。嬉しそうで、それでいて甘さのともなった優しい笑み。
美青はパタパタと手で頬を扇ぐ。これくらいで赤味がすぐに収まるとも思えないが、そうでもしないと益々熱くなっていきそうだ。
「は、早く持っていかないと!」
多少ぎくしゃくしながら、美青はカップに人数分のお湯を入れて、コーヒーマシンにカプセルをセットし、砂糖とミルクを用意する。カップのお湯を捨ててマシンにセットし、ボタンを押して一息つく。
「でも……嬉しいかも」
他愛のないささやかなことでも、こうして独占欲を示されることは嫌ではない。それは、他の誰でもない一颯だからだろう。
美青の顔には、次から次へと笑みが零れてくるのだった。
了
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