弟? それとも…

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「真面目で熱心に取り組んでくれるから、任せ甲斐があるとも言ってたなぁ。これからどんどん仕事が増えていくと思うけど、頑張って。でも無理はしなくていいから。尋さんに限ってないとは思うけど、許容量を超えてると思ったら遠慮なく言ってくれていいからね」 「はい、ありがとうございます」  小畑の言うとおり、八坂に限ってそれはないと思う。八坂は美青の理解度やスピードなどを把握しながら仕事を頼んでいることがわかるからだ。そのおかげで、美青は定時に帰ることができている。それは谷山も同じだ。  今や八坂の仕事量も把握しているので、八坂の帰りが遅いだろうことは容易に考えつく。今は早く帰らせてもらっているが、もっと仕事を覚えて八坂の助けにならなければと思っているのだが。 「許容量を超えてても、美青は言わないだろうけどな。尋さんをもっと助けたいみたいだし」  美青の考えていることをそのまま口にした一颯にギクリとする。そんなことは一言だって言ったことがないのに。  美青の両隣りは四谷と小畑が占領しているので、一颯はちょうど美青の真向かいにいる。一颯は余裕のある笑みを見せ、言った。 「やりたいようにやれよ。無理したいならすればいい。倒れても俺がいるしな」  ぶわっと顔が火照るのがわかった。思わず顔を俯けると、美青の身体に細い腕が巻き付く。 「うわー、美青さんが可愛いっ」 「どさくさに紛れてくっつくな、海鈴!」 「いや、これはしょうがなくない? 僕も抱きしめたくなっちゃうなぁ」 「やめろっ」 「一颯が悪いんだよ? 倒れても俺がいるし、なんてさー。どんな介抱をするつもりやら」 「ねー、やらしーっ」 「うるさい、お前らっ!」  小畑と四谷に揶揄われ、一颯がムキになる。こんな一颯の顔は初めて見る。大人びているとばかり思っていたが、こういった年相応の一面もちゃんとあるんだな、と心が温かくなった。  この二人は一颯が誰よりも信頼を置く人物だ。それに足ると美青も思っている。そんな二人と力を合わせて起業し、業績を上げ結果を出してきた一颯をすごいと思う。とても自分の弟とは思えない。 「ん……?」  自分の弟? いや、違う。一颯とは血が繋がっていない。繋がっているなら、おそらく起業なんてしないだろう。例え出来がよかったとしても、普通に就職し、人を使う側ではなく使われる側として働いていた。大多数の人間がそうであるように。 「美青?」  正面を向くと、一颯と目が合う。その瞬間、ドクンと胸が高鳴った。  目の前にいる男は、弟じゃない──。 「あのっ……そろそろ仕事に戻りますね」  美青はバッと立ち上がり一礼すると、慌てて休憩スペースを飛び出していく。  心臓がドキドキとうるさいまでに鼓動を主張していた。急に一颯が知らない人間のように思えて、激しく動揺する。 「なに……変だよ、こんなの」  血が繋がっていないことなんて最初からわかっている。しかしすぐにそんなことを意識しないくらいに仲のよい姉弟になれた。だが、一颯は思春期に入るとすぐに姉を意識し始めるようになり、家を出て美青との連絡も断った。そして再び美青の目の前に現れた時、一颯はすでに以前の一颯ではなかった。  今の一颯は弟じゃない。1mmたりとも美青を姉だとは思っていない。一人の女として、手に入れたいと願っている。  それを何度も告げられているにもかかわらず、美青はまだそれをきちんと理解できていなかった。それが自分でもよくわかったのだ。だが今は──。 「美青さーん、ちょっと手伝ってもらえますか?」  書類を抱えてデスクに戻る谷山に駆け寄り、美青はぎこちない笑みを浮かべる。  ──やっと、今頃理解するなんて。  自分に呆れながら、美青は谷山の持っている書類の半分を引き受け、その書類の陰でそっと溜息を零した。
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