弟? それとも…

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 ***    バタンという音で、一颯が帰ってきたのだとわかる。美青は時計を見て、今日は早い方だなと思った。 「おかえり」 「ただいま」  一颯がスーツのジャケットを脱ぎそのままソファで寛ごうとするので、美青は間一髪でそれを止める。どうせ寛ぐなら楽な姿勢がいいに決まっているのだが、スーツを着たままでは皺になってしまう。 「ストップ! その前に着替え、あと手洗いとうがいは済ませた?」 「……オカンか」 「なんか言った?」  ジロリと睨むと、一颯はどことなく嬉しそうな顔をして洗面所へと退散する。その後ろ姿を見ながら、実は美青の顔もふにゃりと緩んでいるのだ。  口では文句を言っていても、実は嬉しかったりする。家にいる時しか一颯の世話は焼けない。会社での立場の違いを痛感する度、家でその立場が逆転することにホッとしている。会社の立場そのままがスライドされてしまうと、美青はコンプレックスだらけになってしまう。 「お、生姜焼きか。やった」 「うわっ」  いきなり背後から声がしたので驚いてしまう。いつの間にやら一颯は部屋着に着替えて、美青の後ろに立っていたのだ。 「もう、ビックリするでしょ!」 「美味そう」 「ほら、ご飯よそうから座って」  美青と一颯は帰宅時間が違う。一颯は帰りが遅くなることが多く先に夕食を取るようにと言われていて、美青はすでに食べた後だった。連絡をくれたらこれくらいの時間なら待ったのに、と思いつつご飯をよそう。それを一颯の前に置くと、一颯は手を合わせて食べ始めた。  今日は豚の生姜焼きだ。昔からの一颯の好物で、スーパーで買い物をしている時にこれにしようと思い立った。その甲斐あって、一颯は黙々と食べている。その表情は子どものようだ。 「一颯、生姜焼き好きだよね」 「あぁ」 「美味しそうに食べるね」 「美味いからな」  幸せそうな笑顔で食べてくれるのは、美青としても嬉しい。無意識に表情が緩んでいたのか、一颯が美青の方を見て小さく噴き出す。 「え、なに?」 「嬉しそうに見てるなと思って」 「だって嬉しいから」 「そうか」  一颯は一旦箸を置いて腕を伸ばし、美青の頭をポンポンと撫でた。そしてまた食事を始める。  美青はドギマギしているのを一颯に悟られないよう、さりげなく背を向けてあれこれ片付けてるフリをする。  これまでも、一颯に触れられるとドキドキはした。だが、今まで以上に鼓動が速くて心臓が破裂しそうだ。  一颯を意識している。それが自覚できるだけに、美青は気が気ではない。意識していることを知られてしまえば、一颯はどういう行動に出るのだろうか。それがたまらなく恐ろしく、それでいて、期待してしまう気持ちもあって。  ガタン、という音の後、再び背後から声がした。 「美青」 「え……」  ふわりと背中が温かくなる。大きな腕に包み込まれ、美青は振り仰ぐ。 「ごちそうさま」 「……っ」  軽くコツンと額を合わされ、美青は硬直してしまう。その甘い仕草に眩暈がしそうだ。 「あ、あのっ……」  一颯の腕から逃れようとするが、一颯は美青を離そうとしない。赤くなった美青の顔を見つめながら、フッと蕩けるような笑みを見せた。 「コーヒー飲むけど、美青は?」  美青は黙ったままコクコクと頷く。喉が一気に干上がったみたいに声が出ない。  一颯はようやく美青を解放し、ソファで待っているように促す。美青はそそくさとリビングへ退散する。心臓はこれでもかというほど暴れていた。  こういったことも初めてではない。家での一颯は突然甘くなることがあり、心臓に悪い。しかもそれが段々とエスカレートしているというか、甘さが増量されているような気がするのだ。
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