それぞれの思惑

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──**  目の前で頬を染めながら微笑む女性を見て、一颯も笑む。だが、心の中では先ほどから溜息づくしだ。  大切な取引先と打ち合わせとはいえ、どうして二人きりなのだ。しかも女性と。本当なら、ここには男性の担当者もいるはずだし、こちら側には四谷もいたはずなのだ。だが──。 『あ、加藤さんは今日来れないって連絡があったの。で、私は急遽お仕事が入りましたー。システムにバグだって。だから、一颯一人でお願いね!』  加藤とは、取引先の男性担当者だ。彼が来れないなら取りやめでもよかったはずだ。何故なら、彼がメインの担当者であり、女性はアシスタントなのだから。 『瀬尾さん、一颯に気があるみたい。仕事が一段落ついたらガンガン攻めてきそうだし、今のうちに何とかしとけば?』  四谷の言葉が頭を掠め、ムッとする。だが、一颯もれっきとした社会人だ。しかも副社長という役職までついている。相手はアシスタントであろうと大事な仕事の取引相手、それを思い出してなんとか笑顔を作る。楽しくもないのに笑みを浮かべることの、なんと苦痛なことか。こんな時、小畑はすごいとつくづく感じる。  小畑はどんな時であろうとニコニコとしている。本人はそれがもう癖になっていると言っているが、それでもすごいと思う。どんなに嫌だろうが、面倒に思っていようが、小畑は決してそれを顔に出さない。どんな仕事でも、どんな要求でも呑み、相手先の期待に応えていった。それはもちろん社員全員で力を合わせて頑張ったのだが、やると決めて仕事を取ってきたのは小畑だ。その技術と、コミュニケーション能力の高さをフル活用して。  起業してまだ実績の少なかったシステムツーワンが様々な企業と取引ができるようになったのは、小畑の功績と言って差し支えない。そんな小畑が社長であることは至極当然のことだ。常々そう言っていても、本人は社長業を押し付けられたと思っているようだが。 「細谷さん?」 「あ、はい」  いけない、また思考が別のところへ飛んでいた。一颯は慌てて目の前の女性、瀬尾に視線を合わせる。途端に瀬尾の顔は赤くなる。  仕事の打ち合わせという割りにはやけに胸元の開いた服装で、メイクも少々派手だ。気合が入っているのが丸わかりというか。日中の仕事で、社内の男たちはさぞや目の毒だっただろうと、一颯は心の中で合掌する。 「細谷さん、お酒はお好きですか?」 「そうですね、好きな方ですよ」 「そうなんですね! ここのホテルのバー、かなり雰囲気がよくてお酒も美味しいって聞いたんです。バーテンダーの腕がいいんですって。賞とかたくさんもらってるみたいですよ」  瞳をキラキラさせてそう言ってくる瀬尾は、明らかに誘われ待ちといった顔をしている。バーでアルコールを入れて、その気にさせようというのか。  瀬尾は自分の容姿に自信を持っている。そうでないと、これほどあからさまに男を誘うようなメイクや服装などはできないだろう。相手を捕食するために自らを美しく飾る、それは別に嫌なことではない。ただ、一颯にとっては興味のないことだった。魅力を感じないとは言わないが、どこか他人事なのだ。綺麗だとは思っても、それを手に入れたいと思うかはまた別の話だ。 「そうなんですね。知りませんでした」 「あのっ……」 「あっと……失礼します。会社から連絡が。すみません」 「いえ」  一颯は申し訳なさそうに一礼し、一旦席を立つ。携帯を片手に一度店の外に出た。  時間を確認すると、ここへ来てから約一時間。もう限界だった。仕事の話ならともかく、ただの世間話でこれ以上は耐えられない。 「ったく、海鈴がいればこんなことはなかったのに」  四谷も瀬尾は苦手だろうが、一颯よりはまだ話を盛り上げることはできるだろう。  四谷の言ったとおり、瀬尾は一颯に気がある。一颯本人にもバレバレだ。それなら、この一時間の間に瀬尾がもっとグイグイと迫ってくれば、いなすこともできた。だがどれもこれも中途半端で、こちらとしてもきっぱりとした態度が取れない。気があるならさっさと告白でもなんでもしてくれればいいのに。そうしたら、すっぱりと断れるのに。  瀬尾は自分が告白するのではなく、一颯にさせようとしている。それを察せられるから、よけいに面倒くさく思えてくるのだ。 「一生かかっても無理だし」  これ以上不毛な時間は過ごしたくない。もうさっさと帰りたい。美青の待つ自宅へ──。  一颯は携帯を握りしめながら、なんとか理由をつけてこの辺りで切り上げようと意を決し、再度店の中へ入っていった。 ──**
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