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『あの時もお父さんと私とで返事をしたけど、もう一度美青の前でも返事をしておくわね』
母の言葉に美青は首を傾げる。しかし一颯は母が何を言わんとするのかを察し、口角を上げた。
『一颯、美青のこと、よろしくお願いします。これから先の人生、二人で一緒に幸せになりなさい』
言われた瞬間、涙が込み上げた。零れ落ちる雫を止めようと手を当てたが間に合わない。そうこうしている間にも涙は頬を濡らしていく。
「あーあ、美青泣いちゃったじゃんか」
『泣かそうと思って言ったんだから大成功。どうせ後で甘やかすんでしょ? それじゃ、そろそろ夕飯の支度をしなきゃいけないから切るわ』
母親は悪戯っぽくそう言って、まばたきのような下手くそなウインクを寄越す。できもしないのに、偶にこんな風に悪ノリをする根っから明るい母が好きだ。
たった一人で必死に頑張る母の姿を見て美青は育った。母は美青に精一杯の愛情を注ぎ、父親のいない寂しさを埋めてくれた。そんな母の再婚が決まった時、美青は心の底から喜んだ。
新しくできた父親も弟も、思い遣りがあって頼もしくて、おまけに人が羨むくらい格好よくて。
父亡き後、美青たちに新たな幸せを運んでくれたのは、父親として惜しみない愛情を注いでくれた今の父と、一颯だった。
「お母さん……ありがとう」
『よかったわね、美青』
幸せそうな母の笑顔を見て、ますます涙が止まらなくなる。そんな美青を見て笑いながら、母親は手を振って通話を切った。
画面がブラックアウトした後、一颯にきつく抱きしめられる。
「幸せにする、美青」
「私も……一颯のこと、いっぱい大事にする。幸せに……するから」
一颯の唇が触れる。柔く唇を食まれ、ふと緩んだ隙に舌が差し込まれた。口内のあちこちを舐められたりトントンと突かれたり、舌を絡められ、強く吸い上げられ、あっという間に美青の身体からクタリと力が抜けていく。最初は優しかったキスも段々と激しさを増し、一瞬離れてもすぐに重ねられる一颯の唇に好きなように蹂躙される。
「は……ぁ……」
気怠げにようやっと瞳を開くと、熱を帯びた一颯の視線が飛び込んできた。その熱が乗り移ったかのように、美青の身体も熱くなる。
「美青、結婚してほしい」
目を見開く。真剣で強い力を放つ一颯の瞳に吸い込まれそうになった。息を呑んだ美青の瞳からまた涙が溢れ出る。
一颯はそれを唇で掬い、そのまま柔い肌に押し当てた。美青の目尻に一颯の熱が移る。美青は一颯の背に腕を回し、何度も何度も大きく頷いた。
「はい……。一颯……好き」
「愛している、美青。もう絶対離してなんかやらない」
一颯を見上げ、美青は幸福に満たされたように微笑む。
「離れない。……愛してる、一颯」
再び強い力で引き寄せられ、抱きしめられる。そろりと上を向くと、一颯がまるで子どものような無邪気な笑みを浮かべていた。それは、初めて出会った頃を思い起こさせるような。
『美青です。よろしくね、一颯君』
『一颯です。美青ってどういう字書くの?』
『うつくしいあおって書くんだよ』
『「美青」って美しい青って書くんだ。今日の空みたい』
あの頃は、未だ恋じゃなかった。
小さく幼い想いは年を経るごとに強さを増し、運命の赤い糸のように二人を結びつける。
未だ恋じゃなかった。
何年もの年月が二人を変えていき。そして──
その想いは、未来へ繋がる恋になった。
了
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