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ひっそりとした路地裏に、そのバーはあった。
路地裏といってもガラが悪く、衛生上もよろしくないといった、そういった場所ではない。大通りから少し外れているだけで、ひとけの少ない細い通りといった体だ。
年季の入った木製のドアが洒落ていて、そのドアの向こうには日常から切り離された空間が広がっている。
本来、今日は定休日のはずだった。だがバーカウンターの中にはこの店のオーナーである梶浦繁樹がいつものようにシェーカーを振っており、カウンターには二人の客がいる。否、客ではない。彼らはオーナーの学生時代の悪友たちだ。
「ほんと、世話の焼ける二人だったね」
「とか言いながら、結構楽しんでたくせに。いつもは一颯に世話を焼かれてるのに、ここぞとばかりにねぇ……。どう思う? 繁樹」
「えー、偶にはいいじゃん、大きな顔したって!」
「ほんっと相変わらずだな、お前たちは」
呆れながら、梶浦は四谷の前にカクテルを置く。レモンの爽やかな香りがふわりと漂う。
「なに、海鈴はまたマルガリータ?」
「そうよ」
「海鈴はほぼ一択だよな」
「好きなんだからいいでしょ」
四谷がクイとグラスを傾ける。そこそこアルコール度数は高いが、酒に強い四谷は何ということはない。
「二希は気まぐれよね」
「だな。二希は逆に、いつも違うものを頼む気がする」
「せっかくだから、いろんなものを飲みたいじゃん」
カクテルの選び方一つでも各々の性格が出るらしい。
好奇心旺盛な小畑は、いつも違う種類のものを気まぐれにオーダーするし、堅実な四谷はいつもマルガリータと決まっている。そして──。
「一颯もほぼ決まってるけど、偶に違うもの頼んだりするよな。二希の飲んでるものを見て興味が引かれるのか、同じものを頼んでみたり」
思い出すように梶浦が呟くと、小畑と四谷がプッと噴き出した。
「そうだねー。一颯は僕と海鈴の間って感じか」
「こうと決めたら一直線なのに、時々フッと揺らぐのよね。仕事にしたって、一見強引に突き進んでいるようで、意外と周りを気にしてるというか。どっちかというと、二希の方が強引よね」
「海鈴に言われたくないなー」
「私のどこが強引なのよ?」
「二人ともどっちもどっちだな。だから、一颯が間に入るとちょうどいいんだよ」
「……そうだね。緩和材にもなってるし、まとめ役ともいえるかな」
「まとめ役は繁樹じゃない? 一颯も調整はしてくれるけどさ。まとまらない話も繁樹の一言でパッとまとまったりするし」
四谷の言葉に梶浦が照れたように笑う。その笑みは、店の営業中には出ないようなものだ。
「違うよ。まとめてるのは一颯だ。僕はそれに追随しているだけ」
「でも、それが結局決め手みたいになるんだよなー。繁樹って達観してる感じがあって、安心感があるんだよね」
「なんだよ、それ」
梶浦は自分用のカクテルを作り終え、一口含む。そして満足そうに微笑んだ。
「繁樹の飲んでるのって?」
四谷の問いに、梶浦はカクテルグラスをひょいと持ち上げる。
「フローズンブルーマルガリータ」
「あ! それ、美青さんが飲んでたやつ!」
「そう」
小畑が嬉々として声をあげるのを横目に、梶浦は残りを一気に飲み干した。
「え、大丈夫?」
心配そうな四谷に梶浦は笑ってみせる。
「大丈夫だよ。これ、アルコール度数低いから」
「美青さんに薦めるくらいだよ?」
「美青さんって、お酒弱いのかしら? 歓迎会ではそこそこ飲んでた気もするけど」
「さぁ、弱いんじゃない? だって、行き倒れ事件から一颯は美青さんにあんまりアルコール飲ませたがらないしなぁ」
「行き倒れ事件!?」
眉を顰める梶浦に、小畑は美青が家に帰る前の路上でへたりこんでいたことを、多少大げさにして話す。すると梶浦はぶはっと噴き出し、ゲラゲラと声をあげて笑い出した。
「なんだそれ! 美青さんって意外とぶっ飛んでんな! ヤバイわ、それ」
「そこまで帰ってきたのに、もうすぐ家ってとこで倒れないわよねぇ……。その危機感のなさが危ういというか。一颯が過保護になるのもわかるわ」
「だな」
梶浦の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。そういえば、この男は一度笑い出すと止まらない笑い上戸だったことを二人は思い出した。
「あー、こんなに笑ったの久々だわ」
「店じゃ、そんな風には笑えないもんね」
「繁樹のそんな姿見たら、客は全員引いて帰っちゃうかもねー」
「ひどいなぁ、二希」
肩を竦める小畑を軽く睨み、梶浦は四谷に向かって尋ねる。
「で、結局うまくまとまったんだよな? あの二人」
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