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そこは、静謐な空間だった。
木の温もりに溢れていて、ステンドグラスから優しい光が降り注ぐ──。
ここに来るのは実は初めてではない。十数年前にも一度訪れていた。
「やっぱり素敵だよね」
「あぁ」
「細谷様のご両親もこちらで式を挙げられたということでしたね。ありがとうございます」
案内をしてくれているスタッフの言葉に、美青と一颯は笑みを向ける。
そう、この場所は美青の母親と一颯の父親が結婚式を挙げたチャペルだった。再婚同士ということで身内だけのほんのささやかな式だったが、とても温かく幸せに満ちていたことをよく覚えている。
両親から式は挙げないのかとせっつかれ決めたのは、やはりここだった。美青も一颯もここしか考えられなかった。
「念のためと思ってもう一度見させていただいたんですけど、やっぱり素敵です」
「そう言っていただけると、私どもも本当に嬉しく存じます」
「美青、決めるか?」
「うん」
美青は二つ返事でOKする。バージンロードを静かに歩き、祭壇へと進む。辺りを見渡しながらゆっくりと。
一颯はそんな美青を見つめながら、優しい笑みを零した。
「こちらで決めたいと思います。後で申し込みなど手続きをさせていただきたいのですが、しばらく二人でこちらのチャペルをじっくり見てもいいでしょうか?」
一颯の申し出に、スタッフはもちろんとばかりに笑顔で対応する。
「もちろんでございます。それでは私は一旦受付の方へ戻り、お手続きの準備をさせていただきます。こちらの見学が終わられ次第、チャペルを出たところでお待ちいただいてよろしいでしょうか? お迎えにあがります」
「わかりました。ありがとうございます」
スタッフは丁寧に頭を下げ、チャペルを後にした。
美青はチャペルに夢中になっているようで、それには気付いていないようだ。一颯は小さく苦笑し、美青の後を静かについて歩く。美青はそれにも気付かず、あちらこちらをじっくりと眺めている。あれこれと想像しながら歩いているのか、その歩みは途轍もなく緩やかだ。
キラキラとした瞳でチャペルを眺めている美青は、まるで子どものようだ。無邪気で、それでいて可愛らしくて、つい腕を伸ばしそうになってしまう。その細い腕を掴み、引き寄せ、この腕の中に閉じ込めてしまいたい。一颯はそんな自分の欲望と戦っていた。すると──。
「きゃあっ」
「っと、危ない」
いつの間にか祭壇の手前に辿り着いており、そこには段差があった。美青は見事に躓いてしまったのだ。
一颯は難なく美青を抱きとめる。腕の中にすっぽりと収まった美青を見て、軽く溜息をつく。
「子どもか」
「だって、あんまり素敵だから……」
恥ずかしそうに俯く美青に、一颯はわざとらしく大きな溜息を聞かせた。美青はすぐさま顔を上げ、ムッと眉を顰める。
「そんなに呆れなくてもいいじゃない」
「呆れる」
「……ヒドイ」
「違う。呆れてるのは自分にだ」
「え?」
一颯の表情がたちまち甘く変化し、美青は一颯の腕から逃れようとするが思い通りにいくわけもなく、益々強く抱き込まれてしまった。
「なんで逃げようとするんだよ」
「な、なんとなく?」
「なんだ、それ」
クッと声を出す一颯の喉仏が上下するのを見て、美青の体温が一気に上昇する。一颯の左手が美青の髪に触れ、梳かれる。一颯の一挙手一投足に目を奪われ、その艶めかしさに心臓が破裂しそうになる。一颯と再会してからずっとそうだ。ずっと翻弄されている気がする。
「ずるい……」
唐突に呟かれ、一颯は首を傾げる。どこでどう繋がっているのか全くわからないその一言に、一颯は困ったような顔で笑った。
「何がずるいんだよ?」
「ずるいよ。私……一颯と再会してからずっと一颯に振り回されてる」
いじけたように再びそう呟く美青に、一颯はこれまた最大限ともいえる溜息で返す。
「はぁーーーーーっ」
すでに溜息ではない。
「なによ! さっきから呆れてばっかり!」
「今のは美青に、でもさっきのは自分にって言っただろ?」
「自分にってなによ」
「子どもみたいに目をキラキラさせてる美青から目が離せない。ずっと見ていられる。飽きない。何してても可愛い。もうこのままどっかに閉じ込めたい」
「えぇっ! ……それは危険」
「引くな! マジで監禁するぞ」
「やだ、それはやめて」
そう言いながらも、美青はクスクスと笑っている。冗談だと思っているようだが、それこそ冗談じゃない。一颯としては大真面目だ。だが、さすがに本気だと主張するのもどうかと思うので、これはこのまま流すことにする。それよりも、もう一つの方が聞き捨てならない。
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