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裏の裏
飛島爽達は、古い文書の入った引き出しを開け、妙だと気になった。
1番下の引き出しだけは深いはずなのに、中の文書を取り出すと他の引き出しと深さがさほど変わらないのだ。
古く弱くなった底板が割れ、一部分だけ押すと下に沈み込む。その隙間から古い紙が見えていた。
慎重に底板を外すと、中から神社の系統図と古い地図が現れた。二重底になっていたようだ。
爽達はこの日、二度驚くことになる。
系統図によると、飛島神社は御泊の雙星神社から分社されたと記されている。
分社(分家)後の家系図もある。奥宮と書かれたその家系図は室町時代に始まり明治で終わっている。
明治になって、奥宮家の家系から飛島家へと変わってもおかしくはない。明治後半から神職の世襲制が廃止されたからだ。
それならば飛島家の家系図は明治に始まっているはずだが、いつの間にか奥宮の家系図と合わさり室町時代から飛島家が続いていることになっていた。
今日見つかった家系図が本物であるなら、現在伝わっている家系図は間違いということになる。
爽達は、家系図が間違いとは信じたくなかった。どの観光パンフレットにも“室町時代から続く飛島家”と書いてあるではないか。
この家系図の真偽はともかく、誰にも見られたくない代物だった。だから先祖の誰かが隠したのかもしれない。
もう一つの古い地図を、折り目で破けないように慎重に開いた。
そこには巨石遺跡の位置が記されていた。その巨石の位置に合わせ鳥が描かれていて『大鳥岩図』と題名が付いている。
ーーこれか!!
政治家は電話で白鳥座の巨石について聞いてきた。
この遺跡の配置に意味があるのかもしれない。奥宮と稗田も地図を作っていた。“何か”を知っていて地図を作ったのだろうか?
地図の足窪池の位置に三つ巴紋が描いてある。
地図の下には、紋と文字も記されていた。
『(三つ巴紋)寛弘七年八月七日 彼岸 一千年ノチ』
この地図が書かれた年代も、記された文字の意味もわからない。
しかし爽達は、大事な鍵を手に入れたような気がしていた。自分の知らない裏で動いている“何か”の、さらに裏をかくための鍵だ。
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