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「聖弥!だ、大介が・・・」 聖弥と由衣子で大介の手を片方ずつ握る。 「大介、死ぬな。頑張れよ!!」 大介がううとうめく。心なしか、顔色がもとに戻ってきたような気がする。 「な、なんで大介がこんなことになっちゃったの・・・?」 「大介の心の闇に、入り込まれたんだ。井出教授を襲ったのと同じ。自分を見失ってしまいそうになった時、心の中に乾きが入り込んでくる。雨が地面に浸み込んでいくように、死が蝕まれていくんだ。」 「・・・そんな。私、大介がそんなこと考えてたなんて・・・。」 「言ってたろ。あいつも、一人ぼっちだったんだ。俺たちは、何も言わなくても分かりあってた。同じ孤独を抱えていたから、俺たちは惹かれ合ったんだ。」 由衣子が唇を噛んで舌を向く。その姿に聖弥はどうしようもない、やり切れなさを覚えた。そう、俺も分かっていた。一人ぼっちだった俺たちの中で、大介は一番一人ぼっちだった。俺や樺沢と違って、大介には、本当に俺たちしかいなかった。三人の中で、この三人を一番必要としていたのが大介だった。  「聖弥。」 大介が力を振り絞って、聖弥にささやく。 「終わらせてくれ。」 聖弥は大介の肩を抱いて、そっと寝かせる。由衣子が心配そうに、声をかける。 「聖弥・・・大介は?」 「うん、落ち着いてるみたいだ。回復に時間がかかるかもしれないけど、もうこれ以上奴らに心の中を侵食されることはないだろう。大介はきっと、最後まで俺たちと一緒にいることに対しても不安を感じていた。樺沢も、きっとそうだろ?」 そうだ、誰かと一緒にいながら、自分の存在に不安を感じていた。そんな由衣子に大介は共鳴して、時に惹かれ、時に憎んだ。それでも一番近くにいる友達だ。 「終わらせる。俺たちを傷つけたやつらを、俺たちは絶対に許さない。」 聖弥は立ち上がって、井戸のそばへ近づく。その黒さ、乾きと死の匂いに聖弥は負けそうになる。それは、年月をかけて積みあがった数々の人々の怨念と無念だった。 聖弥は、井戸の淵をのぞき込んで手をつく。目を閉じ、意識を研ぎ澄ませる。この時のために、今まで生きてきた。この瞬間のために俺は生まれてきた。 「樺沢、大介。」 二人は聖弥の言葉に反応して、何とか近づこうとする。 「・・・ごめん。聖弥。」 大介も足元がおぼつかず、由衣子も聖弥ほど井戸に近づけるわけではない。井戸から出る毒気に当てられて、吐き気がこみあげる。 「すまない。俺の手を握っててくれ。」 大介と由衣子は手を差し伸べて、聖弥の左の手のひらにそっと触れる。聖弥の手のひらを通じて、二人の力が流れ込んでくる。二人の体温を感じる。二人の心臓のリズム、脈打つ鼓動が聖弥の手のひらから流れ込み、聖弥に力を与えた。 しかし、井戸からあふれ出る毒気も三人のリズムに呼応して、どんどん強さと禍々しさを増してくる。 「頑張れ、聖弥。お前ならできる。」 大介がかすれる声で聖弥に語り掛けた。 「・・・ああ、もうちょっとだ。」 聖弥は二人の力を吸収して、自分の力に変えようとする。雨の力。悪しきものを全て洗い流す聖なる雨の力。正義を全うする偉大な力を。聖弥は押し負けそうになる。聖弥が力でねじ伏せようとすればするほど、より強大な力で聖弥をどす黒いオーラが飲み込もうとする。 (・・・くそっ) ここで、終わりなのか。俺は結局ここで死んでしまうのか。樺沢と大介を救えなかったまま、終わっていくのか。勝たなければいけない。何としてもこいつを完膚なきまでに叩きのめし、この世から抹殺せねばならない。だが、積年の怨霊は、聖弥の息の根を止めようと、圧倒的な力を見せてくる。それは、何の実体も無かった。それは、何十年、何百年にわたる曖昧模糊とした悪意の積み重ねであった。聖弥はその捉えどころのなさ、見えない怨念に負けそうになった。大介と由衣子を遠くに感じた。その時、聖弥はその輪郭の無く、黒い空気の中に一筋の貫くような鋭い意志を感じ取った。 (聖弥・・・聖弥・・・。ひどいよ。俺のことも知らずに、今まで生きてきたなんて。ずるいよ、お前だけ幸せになるなんて。) 一度も聞いたことが無くても、聖弥には即時に分かった。 ―聖弥、お前にはお兄ちゃんがいたのよ。  ごめんね、本当に、ごめんね。- そう、だから十年前から火事が多発するようになった。死んだ人たちを傀儡のように操ることができたのだ。聖弥の兄もまた、母の胎内にいながらこの地に捧げられた生贄だったのだ。神を祀る辻川家の長男だったからこそ、この地が最も欲しがった魂であり、そして聖弥の兄光輝が死してなお、この地に縛り付けられたからこそ、強い災いがもたらされた。聖弥は絶望した。人を、絶望のどん底に突き落とすのは、赤ん坊のように無垢な残酷さと、生まれたての、野生そのものに近い純粋で真っすぐな意志だと確信した。一番の敵は自分の魂の片割れだった。その事実に聖弥は最後の希望の光をもかき消された。自分の兄を滅することなど聖弥にできるはずも無かった。そしてその力は大きく、強く、そして途方もない暗闇だった。
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