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(・・・もうダメか・・・。) 何百年も積もった暗闇に当てられ、聖弥は生まれて初めて自分の死を覚悟した。もう終わりだ。ここで死ぬんだ。守ってあげたかったけど、もう一度祖母ちゃんに会いたかったけど、ごめん。ごめん。聖弥の意識の周辺を徐々に暗闇が侵食していく。そしてその暗闇は、想像していたよりもずっと穏やかだった。このまま、闇に身をゆだねるのも悪くないのかもしれない。 その時、翼を暗闇が切り裂くような気配がした。井戸の中に埋没しそうな聖弥の意識を閃光が走った。 キエエエエエエエエ!! 夕立がしなやかな体を鞭打つように、聖弥のところへと飛んできた。闇を切り裂いた夕立の翼が聖弥を包み込むと、聖弥の頭に直接語り掛ける雨の王の声が聞こえた。 (何をしている。私が与えたのは、そんなものではない。) (・・・・!) (良く頑張った。もう少しだ。聖弥。) 聖弥は直感で感じ取った。その声を聴くのが、これが最後になるだろうと。 その瞬間、聖弥の手に由衣子と大介の手の温かさが蘇ってきた。そうだ、俺が持っているもの。孤独を埋め合わすことのできること。友人を信じることができること。友人を信じさせることができること。 「くそっ!くっそ!何なんだよ一体!?」 聖弥が絶叫する。大介と由衣子は驚いたが、いっそう聖弥の手をしっかりと握りしめる。 「何で俺がこんなことに巻き込まれなきゃならないんだよ!俺は、俺は生まれてからずっと迷惑ばかりかけてきた!あんたが変な力を俺に与えたせいで俺の人生はメチャメチャだよ!!」 (・・・お前は、不幸だったか。聖弥・・・) 「ああ、不幸だとも!俺にばかり責任が押し付けられる。俺のせいで兄貴が死んだ。雨を降らせて皆の子供時代の思い出、青春を少しばかり奪ってしまった。そして俺がこの大学を選んだせいで、町はメチャクチャだ!!」 (私は・・・・お前を祝福した。) 「祝福だと!?自分勝手な理由で俺を操ってただけだろ!ああもう・・・」 聖弥はガクンとうなだれる。 「そうだ、そうなんだよ。本当は俺も分かってた。でも・・・祝福と災いは表裏一体だから・・・。」 (そのことに気づける人間は少ない。) 「俺の家族が幸せに包まれている時、どこかで俺たちの苦しみを誰かが引き受けてた。そして、母さんたちはこれまでのことを無かったようにふるまった・・・・。そしてこの土地は、俺がここに来ることを恐れた。だから兄貴はここにとらわれたんだな。」 (時間がないぞ、聖弥・・・) 聖弥はふっと微笑んだ。 「ああ、俺が変えてやる。」 聖弥は大介と由衣子の方を振り向くと、喉が張り裂けるほど大きな声で叫んだ。 「・・・大介、樺沢!!すまない!!後、もうちょっとだけ付き合ってくれ!!」 大介は、最後の力を振り絞って答える。 「聖弥、お前には二度助けられたな!初めて出会った時。そして今も!!」 「聖弥!死んでも離さないわよ!!私も、大介も、あなたに会えて良かった!!」 「・・・・馬鹿、当たり前だろ。友達なんだから。」 「俺を離さないでいてくれて、ありがとう。聖弥。」 (・・・聖弥、ずるいよ。俺は、ずうっと一人で漂っていたんだよ。乾いた空気の中をずうっと、ずうっと浮かんでいるんだよ。苦しかったよ、聖弥。) 「・・・ああ、ごめんな。兄ちゃん。」 聖弥は、目を閉じる。聖弥の体の隅々まで温かさとと安らぎが流れ込んでくる。乾いた空気の中に、一粒の冷たい空気が凝縮して、聖弥たちの周りの染みわたっていく。そして、一滴の雨粒が聖弥の頬を叩く。 ポツ、ポツ、ザアアアア 雨が温かさを持って、空気の塵と毒と粒子を洗い流していく。地面に染みわたり、命を供給する。 (・・・ううう。聖弥。止めてくれよ。俺にそんなことしないでくれよ。) 兄の力と聖弥の力が混ざり合い、境界線を無くしていく。黒の領域と雨の領域は互いに輪郭をぼかし合い、中和し、お互いの力を拡散させていく。 (うう・・うう・・・) 聖弥は雨に混ざって、自分の涙が頬を伝っているのに気付いた。なぜ、兄が死ななければならなかったのか。なぜ、俺の家系だけが呪われなければならなかったのか。俺に与えられたこの力はなんなのか。この苦しみと温かさはなんなのだろうか。 (・・・さよなら、光輝兄ちゃん。) 聖弥の雨は井戸の水を完全にあふれさせた。ヘドロ混じりの汚物、何百年分の毒と呪いの混じった死の水が地面に流れ出ていく。大介の顔と体から、膿が洗い流され、もとのふくよかで健康な体を取り戻していく。 「由衣子!大介!俺のそばにいろ!」 二人は、すぐさま聖弥の近くまで駆け寄り、ぴったりと寄り添う。聖弥は三人の周りに篠突く雨の防壁を張って、死の水に襲われるのを防ぐ。 「もっと・・もっとたくさんの雨を。」 聖弥は、自分の残された力の続く限り、大量の雨を降らせた。聖弥の心から悲しみが止めどなく溢れてくるように、雨は時間がたつごとに勢いを増していく。 (怖い・・・怖いよう、聖弥。) 井戸の水は雨水の濁流と混じり、町中へと流れていくようだ。そして、余計なものがそぎ落とされ、井戸の中では光輝の存在だけが、際立ってくる。 「私たちも溺れちゃうわよ、聖弥。」 「大丈夫だ。」 聖弥の雨は勢いを弱め、兄を包むように穏やかな雨へと変わっていく。 (うう・・・ううう・・・) 聖弥の呼吸がゆっくりとしてくるにつれて、光輝の苦しみに満ちた声が次第に和らいでいく。井戸から出た水は大量の雨水によって、聖弥たちを避けるようにしながら、神社の外へと運ばれていく。 (・・さよなら、聖弥。) 最後は、とても安らかな声だった。聖弥の唯一の兄弟、長年の毒を吸い取り、肥大化していった怪物は、最後に弟に看取られて、雨の中に溶け込んでいった。 彼らの頭上の雲が割れ、陽の光が天上と下界をつなぐ道となって降り注いでくる。きめ細かい雨粒が光をキラキラと反射させていく。光輝の憎しみも、聖弥の苦しみも、大介と由衣子の孤独も、雨は全てを洗い流していく。聖弥は泣いた。生まれて初めて、心の底から泣いた。 「大介、樺沢。・・・ありがとう。」 聖弥は、温かい雨に打たれながら、大介と由衣子を腕に抱き、いつまでも抱擁し合っていた。
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