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ボロアパートから大学まで、ゲコゲコと蛙の鳴き声のする田んぼを横目に自転車を漕いでいると、家を出た瞬間からどんよりと垂れこめていた鉛空から、ポツリと一粒の水滴が辻川聖弥の頭を軽く叩いた。 「あ、雨。」  家を出る前から雲行きは怪しかったものの、傘を持たずとも大丈夫だろうとたかをくくり、そのまま自転車に乗ってしまっていた。 「くっそー、どうしよ。このまま突っ切るかな。」  黒いサドルの上で立ちこぎをして、少しでも早く大学に着くように急いだ。今日の授業は午後からだったが、バイトの夜勤明けで、ギリギリに目を覚ました。傘を取りに帰れない距離ではなかったが、そうすると授業にはおそらく間に合わないであろう。なにより、下宿から大学まで続く坂道を引き返すのは、普段面倒臭がり屋の聖哉でなくても億劫であっただろう。  自転車のギアを5に入れ、ペダルの回転数をぐんと上げて早く漕ぎ出したが、容赦なしに雨足が強まっていく。洋服の繊維に水滴が浸透して、聖哉の体にまとわりついてくる。早く先を急ごうとしたところ、ちょうどタイミング悪く、黄色の点滅から赤信号に変わったばかりの交差点で止まった。 傘ぐらい持ってくるべきだった、と聖弥は心の中で毒づく。雨に降られることは子供の頃から良くあった。一番最初の記憶は幼稚園の日の遠足だ。天気予報でも間違いなく晴れると言われていた当日、いざ出発という時になって土砂降りの雨が降り始めた。その時はまだ、雨男という言葉も知らなかったが、なぜか今でも鮮明にその時のことが思い出せる。その時見ていた風景、弾丸のようにはげしく地面を打ち付ける雨。遠足の代わりに皆でお絵かき大会をしようと言った先生の困った笑顔。茶髪に染めた髪を二つに結んでいる先生のことが、幼稚園の子はみんな大好きだった。大好きな先生と本来行くはずだった、太陽のさんさんと輝く山の絵を描く友達、泣きじゃくりながら、暴れまわっている友達もいた。その中で、聖弥はただ雨をじっと見つめていた。そして、割れるような頭の痛みと、その時の人生で経験したことの無いだるさ、家に帰ってから泥のように眠りこけたときのことを今でも思い出せる。思えば、それが全ての始まりだったとは、その時、思いもしていなかった。
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