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               (しん)は当時を懐かしむように天井を見上げた。 「急に言い当てられて…当時俺はまだ、弘海(ひろみ)と挨拶くらいしかしたことがなかったから、驚いた」 「(ちかし)が……」 「俺はその時思わず取り繕って…それ以上話はしなかったけどな」 弘海の左手の薬指には、プラチナの指輪がはまっている。 誰かに聞かれると必ず、取れなくなってしまったんだ、と言うのも新は知っていた。 時折まだ切ない表情でその指輪を撫でることも。 弘海の中から、(ちかし)という大きな存在が消えることはないと、新は思っていた。 「弘海……少しだけ、俺の気持ちを聞いてくれ」 唯一無事だったソファに、新は弘海の手を引いて誘った。無言で弘海は腰を下ろし、前を見たままで尋ねた。 「……で?」 「俺は…今まで男を好きになったこともない。だから勝手が解らなくていろいろ怒らせた…しまいにこの始末で、迷惑しかかけてない。出禁はもちろん、警察に引き渡されても文句は言えない。…でも」 新は、床に寝かせたほうきを見た。 「こうやって一緒に掃除したり、傷の心配してくれたり……側にいることを許してくれたり…するのは、どうしてなんだ?」 「……んなの、普通だろ」 「普通、だったら俺は今ここにいないだろうな。拘置所の中だ」 「そんなに通報されたいのか?」 「その覚悟で来た。でも……弘海が優しいから、ちょっと揺らいでる」 「……さっきから弘海弘海って、馴れ馴れしいんだよ」 「弘海」 「だから慣れ慣れし…」 新は隣に座る弘海に距離を詰めた。弘海はなんだよ、と言って上半身を引いた。 「俺は、弘海と史くんのことをよく見てた。今も弘海が彼を大事に思っていることも知ってる」 弘海は新から視線を背けた。 新は弘海の左手を握った。そしてその手を顔の前に持ち上げた。目の高さでプラチナのリングが輝く。 「俺は彼の代わりになれるなんて思っちゃいない。二番目にもなれないことだってわかった。だって俺は、史くんを誰よりも愛してる弘海に惚れたんだから」 「………」 「でもどうしても諦めきれない。矛盾してるのもわかってる。弘海に嫌われたくなくてヤクザも辞めたのにこのザマだし…」 「…確かに説得力ねえな」 新はいきなり弘海を抱き寄せた。 「…おい」 「本気になれば…俺はこのまま弘海をどうにでも出来る」 「…それで?」 「でも、無理強いは嫌だ」 弘海の耳元で新は、とてつもなく優しい声を出した。 「これ以上弘海に嫌われたら生きていけない」 「…既にこれ以上嫌うのは難しいくらいのレベルだけどな」 「……デスヨネ」 情けない新の声に弘海がくすっと笑った。 新も一緒に笑った。 しがらく笑ったのち、あ、そうだ、と言って弘海はいたずらっぽい表情で新に尋ねた。 「そういえばさ」 「何?」 「刺青、入ってんの?」 弘海は自分の背中を親指で指しながら尋ねた。新は戸惑い気味に答えた。 「……ああ…まあ…あるけど」 「へえ…」 「いずれは消すつもりだけど……っていうか、何、その顔…見たい、とか?」 「そ。この間、ヤった時あんたシャツ着てたから」 「……そりゃ隠してたからね」 「見たい」 「えぇ…」 「何でやなんだよ?」 「だってこれからカタギになろうとしてるのに…」 「それはわかってるって。消す前に見せてくれてもいいじゃん?」 「……でも…」 「この店こんなになった原因は?」 「……どうぞご覧ください」 新は観念して、ネクタイを解き、血のついたワイシャツの前を開け上半身を晒した。 背中を向ける前に、少し逡巡する。 「……笑うなよ?」 「笑う?」 首を傾げた弘海に、新は筋肉質の背中を披露した。 そこには、一面に銀色に輝く登り竜と大輪の青い花。 薔薇だった。 いかにもな和風の彫り物ではなかった。 言葉を失った弘海に、新は背中を向けたまま言った。 「俺はもともと墨は入れるつもりなかった。それが、親父に勧められて断れなくて、仕方なく……半年前に仕上がって、柄を見て言語道断だってずいぶんどやされた。ファッションじゃねえんだぞって」 「青い…薔薇…」 新が来る度に持ってきた青い薔薇。 どこの花屋でも珍しいもので、いつも店先にあるとは限らない。しかし新は欠かすことなく一輪ずつ毎回持ってきた。 弘海は一度、持ってきたブーケを無下に払い落としたことがある。思い出して心の奥が痛む。花に罪はない。 「いいだろ?この銀の龍と青い薔薇の組み合わせ」 新は振り向いた。 「この龍は…あんただ、弘海」 瞬きを忘れて弘海は立ち尽くした。弘海のトレードマークのシルバーに染めた髪。深見に切られた瞬間、新は虎のように襲いかかった。 いつになく真剣な面もちで新は一歩近づいた。 「弘海に会って、俺は人生が変わったんだ。全ての繋がりを絶って、これからは真面目に生きていく。……だから…また店に来てもいいか」 「……その前に直してもらわなきゃ困る」 「……そうだった」 「直ったら好きにしろ。そのかわりボトル入れろよ」 弘海はぷいと新に背中を向けた。弘海、と新が呼ぶ。 「いいのか、来て」 「だから好きにしろって言ってんだろ」 「弘海…」 「馴れ馴れしいっつーの…」 「弘海!」 新は弘海を背後からもう一度抱きしめた。首筋にキスをする。 「……新」 初めて名前を呼ばれた新は、弘海の首に口づけしたまま固まった。 「弘海!今、名前呼ん…っ」 「うるせーよっ、耳元で大声出すな!」 新はあわてて弘海を離した。ごめん、と小さな声で謝る新に、腰に手を当てて仁王立ちした弘海はあきれ顔で言い放った。 「名前呼んだくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐな!本当に元ヤクザか?ガキじゃあるまいし、もう少しどんと構えてられねーのかよ!」 「俺はもともと極道に向いてないんだよ…」 「でも若頭だったんだろ?」 「な、何で知ってる?!」 「あの小汚いチンピラが大声で言ってたわ!」 「あら…」 「…っとに…別人だな」 弘海はにやりと笑った。 「あいつらぶちのめしてる時は、少しだけいい男だと思ったんだけどな……あれは錯覚か~、そうか、残念だなぁ」 「えっ」 「…ふん」 一瞬の間。 新は弘海の顔をがしっと挟み、乱暴なキスをした。 一心不乱に舌を絡ませていた新は、弘海が抵抗していないことに気づいた。 唇を離して、弘海の目をのぞき込み改めて確認する。 「弘海…いいのか?」 「……だから…んなこといちいち聞くなっつーのに…本気出せば、俺くらいどうにでも出来るんだろ?」 次の瞬間、新は弘海の身体をソファに押し倒した。
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