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12
新は当時を懐かしむように天井を見上げた。
「急に言い当てられて…当時俺はまだ、弘海と挨拶くらいしかしたことがなかったから、驚いた」
「史が……」
「俺はその時思わず取り繕って…それ以上話はしなかったけどな」
弘海の左手の薬指には、プラチナの指輪がはまっている。
誰かに聞かれると必ず、取れなくなってしまったんだ、と言うのも新は知っていた。
時折まだ切ない表情でその指輪を撫でることも。
弘海の中から、史という大きな存在が消えることはないと、新は思っていた。
「弘海……少しだけ、俺の気持ちを聞いてくれ」
唯一無事だったソファに、新は弘海の手を引いて誘った。無言で弘海は腰を下ろし、前を見たままで尋ねた。
「……で?」
「俺は…今まで男を好きになったこともない。だから勝手が解らなくていろいろ怒らせた…しまいにこの始末で、迷惑しかかけてない。出禁はもちろん、警察に引き渡されても文句は言えない。…でも」
新は、床に寝かせたほうきを見た。
「こうやって一緒に掃除したり、傷の心配してくれたり……側にいることを許してくれたり…するのは、どうしてなんだ?」
「……んなの、普通だろ」
「普通、だったら俺は今ここにいないだろうな。拘置所の中だ」
「そんなに通報されたいのか?」
「その覚悟で来た。でも……弘海が優しいから、ちょっと揺らいでる」
「……さっきから弘海弘海って、馴れ馴れしいんだよ」
「弘海」
「だから慣れ慣れし…」
新は隣に座る弘海に距離を詰めた。弘海はなんだよ、と言って上半身を引いた。
「俺は、弘海と史くんのことをよく見てた。今も弘海が彼を大事に思っていることも知ってる」
弘海は新から視線を背けた。
新は弘海の左手を握った。そしてその手を顔の前に持ち上げた。目の高さでプラチナのリングが輝く。
「俺は彼の代わりになれるなんて思っちゃいない。二番目にもなれないことだってわかった。だって俺は、史くんを誰よりも愛してる弘海に惚れたんだから」
「………」
「でもどうしても諦めきれない。矛盾してるのもわかってる。弘海に嫌われたくなくてヤクザも辞めたのにこのザマだし…」
「…確かに説得力ねえな」
新はいきなり弘海を抱き寄せた。
「…おい」
「本気になれば…俺はこのまま弘海をどうにでも出来る」
「…それで?」
「でも、無理強いは嫌だ」
弘海の耳元で新は、とてつもなく優しい声を出した。
「これ以上弘海に嫌われたら生きていけない」
「…既にこれ以上嫌うのは難しいくらいのレベルだけどな」
「……デスヨネ」
情けない新の声に弘海がくすっと笑った。
新も一緒に笑った。
しがらく笑ったのち、あ、そうだ、と言って弘海はいたずらっぽい表情で新に尋ねた。
「そういえばさ」
「何?」
「刺青、入ってんの?」
弘海は自分の背中を親指で指しながら尋ねた。新は戸惑い気味に答えた。
「……ああ…まあ…あるけど」
「へえ…」
「いずれは消すつもりだけど……っていうか、何、その顔…見たい、とか?」
「そ。この間、ヤった時あんたシャツ着てたから」
「……そりゃ隠してたからね」
「見たい」
「えぇ…」
「何でやなんだよ?」
「だってこれからカタギになろうとしてるのに…」
「それはわかってるって。消す前に見せてくれてもいいじゃん?」
「……でも…」
「この店こんなになった原因は?」
「……どうぞご覧ください」
新は観念して、ネクタイを解き、血のついたワイシャツの前を開け上半身を晒した。
背中を向ける前に、少し逡巡する。
「……笑うなよ?」
「笑う?」
首を傾げた弘海に、新は筋肉質の背中を披露した。
そこには、一面に銀色に輝く登り竜と大輪の青い花。
薔薇だった。
いかにもな和風の彫り物ではなかった。
言葉を失った弘海に、新は背中を向けたまま言った。
「俺はもともと墨は入れるつもりなかった。それが、親父に勧められて断れなくて、仕方なく……半年前に仕上がって、柄を見て言語道断だってずいぶんどやされた。ファッションじゃねえんだぞって」
「青い…薔薇…」
新が来る度に持ってきた青い薔薇。
どこの花屋でも珍しいもので、いつも店先にあるとは限らない。しかし新は欠かすことなく一輪ずつ毎回持ってきた。
弘海は一度、持ってきたブーケを無下に払い落としたことがある。思い出して心の奥が痛む。花に罪はない。
「いいだろ?この銀の龍と青い薔薇の組み合わせ」
新は振り向いた。
「この龍は…あんただ、弘海」
瞬きを忘れて弘海は立ち尽くした。弘海のトレードマークのシルバーに染めた髪。深見に切られた瞬間、新は虎のように襲いかかった。
いつになく真剣な面もちで新は一歩近づいた。
「弘海に会って、俺は人生が変わったんだ。全ての繋がりを絶って、これからは真面目に生きていく。……だから…また店に来てもいいか」
「……その前に直してもらわなきゃ困る」
「……そうだった」
「直ったら好きにしろ。そのかわりボトル入れろよ」
弘海はぷいと新に背中を向けた。弘海、と新が呼ぶ。
「いいのか、来て」
「だから好きにしろって言ってんだろ」
「弘海…」
「馴れ馴れしいっつーの…」
「弘海!」
新は弘海を背後からもう一度抱きしめた。首筋にキスをする。
「……新」
初めて名前を呼ばれた新は、弘海の首に口づけしたまま固まった。
「弘海!今、名前呼ん…っ」
「うるせーよっ、耳元で大声出すな!」
新はあわてて弘海を離した。ごめん、と小さな声で謝る新に、腰に手を当てて仁王立ちした弘海はあきれ顔で言い放った。
「名前呼んだくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐな!本当に元ヤクザか?ガキじゃあるまいし、もう少しどんと構えてられねーのかよ!」
「俺はもともと極道に向いてないんだよ…」
「でも若頭だったんだろ?」
「な、何で知ってる?!」
「あの小汚いチンピラが大声で言ってたわ!」
「あら…」
「…っとに…別人だな」
弘海はにやりと笑った。
「あいつらぶちのめしてる時は、少しだけいい男だと思ったんだけどな……あれは錯覚か~、そうか、残念だなぁ」
「えっ」
「…ふん」
一瞬の間。
新は弘海の顔をがしっと挟み、乱暴なキスをした。
一心不乱に舌を絡ませていた新は、弘海が抵抗していないことに気づいた。
唇を離して、弘海の目をのぞき込み改めて確認する。
「弘海…いいのか?」
「……だから…んなこといちいち聞くなっつーのに…本気出せば、俺くらいどうにでも出来るんだろ?」
次の瞬間、新は弘海の身体をソファに押し倒した。
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