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シャワーを浴びて出てきた弘海に、既に着替えてベッドに腰掛けていた若い男が粘着質な視線を絡ませて話しかけた。
「弘海……次はいつ会えるの?」
「…ん~…時間出来たら連絡する」
「そんなこと言って、連絡くれたためしないじゃん」
「…そうだっけ?」
身体の関係のためだけに1ヶ月ほど前から会っている男は、20代前半の、華奢で目の大きな可愛い系。
面倒だ、と思いながら弘海は愛想笑いをして彼の額にキスをする。
「ごめん、最近忙しくて……ちゃんと連絡するよ」
もうないな、と思いながら髪を撫でると、上目遣いにすり寄ってくる。
(見た目が似てるってだけで選ぶんじゃなかった……)
ホテルを出ると朝日が輝いていた。午前6時、弘海は腕を伸ばして思いっきり伸びをした。
今日は週に2回のランチ営業の日。
試しにやってみたところ、近くで店をやる同業者に好評で、もう2ヶ月続いていた。
寝不足だが、そのくらいのほうが余計なことを考えなくて済む。そんな理由で弘海はたまに、ホテルから店に直行する。
店のソファで小一時間仮眠を取ったらすぐ仕込みに入ろう、と考えて、ふらふらと店に向かって歩いた。
店の裏口に周り、ポケットから鍵を出す。
鍵穴に差し込もうとして、ドアノブに何かが掛けられているのに気づく。
小さな紙袋に、青い薔薇が一輪。
弘海は首を傾げた。
今時こんなベタな方法を遣う奴がいるとは。それもここは新宿2丁目。
とち狂った男もいるものだ。
ひょいと紙袋を取り上げると、挟んであった小さなカードがひらりと落ちた。
それを拾いあげて、書かれている文字を呼んで、途端に弘海の顔が曇る。
「あのクソノンケ……!」
「弘海ちゃん、プレゼント受け取ってくれた?」
「……出禁のはずだけど」
「あの薔薇、きれいな青やろ?珍しい…」
「だから!」
どん、と弘海は両手でカウンターを殴った。新は驚いて身体をそらせた。
弘海はひときわドスの利いた声で言った。
「もう来るなって言ったはずよね…?」
「だから書いたやん、堪忍なって」
「…そんなんで許されると思ってるわけ?」
「許されへんと思ってるから、こうやって直接謝りに来たんやん…」
「許される方法がひとつあるわよ」
「え、なになに?」
「今すぐ出てって。そして今度こそもう来ないで」
「そんな怖い顔せんとって、美人が台無しやで」
「……おい」
弘海はカウンター越しに、新の襟首を掴んだ。それでもまだ新は笑っている。鼻と鼻がぶつかるほどの距離で弘海は睨みを効かせた。
「今回はビール浴びるくらいじゃすまねえぞ」
「オネエもええけど、素の弘海ちゃんも色っぽいなあ」
「うるさい、いいから出……っ…」
新は襟首を捕まれたまま、いきなり弘海の唇にキスをした。
合わせる、というよりは吸いつく勢いで、弘海は何が起きたのかもわからず機能停止した。
数秒後、我に返った弘海は目の前の新の額を力一杯押し返した。
「てめえ何しやがるっっ!!!」
「唇やわらか…」
言い掛けた新は弘海のビンタで椅子から転げ落ちた。
口の周りを拭い、弘海は中指を立てて怒鳴った。
「グーで殴らなかっただけいいと思え!」
ひっくり返ったまま新は、弘海の中指を見てさらに嬉しそうな声を出す。
「あ、弘海ちゃん、挿れたいほう?俺もなんだよね…困ったな、じゃんけんする?」
「おっ…、お前の頭は沸いてんのか?!」
殴られても怒鳴られても全くめげない新に、周りの常連客はあきれるのを通り越してげらげら笑った。
ほぼ一日置きに店にやってくる新は、他の客たちともいつのまにか仲良くなり、弘海との毎回の取っ組み合いを楽しむようになっていた。
新はそれからも、店に来る度に弘海に青い薔薇を送り、最初は口だけだったアピールは次第にスキンシップにまで発展した。
その都度殴り飛ばされていた新を見ていた樹が、ある日弘海に言った。
「青戸さんさ…あれ、わざとだよな」
「…わざとって何が」
「弘海に殴られてるの。多分あの人やろうと思えば簡単に弘海を押さえ込めると思うよ」
「……それがなんだっていうのよ」
「わざと殴られて、警戒を解こうとしてるんじゃない?」
「何したって無駄よ。いい加減に諦めてくれないかしら」
樹は弘海を上目遣いにじっと見て、にやりとした。
「……何よ」
「最近、楽しそうだよね?」
「は?」
「ちゃんともらった花も飾ってるしさ~」
「花に罪はないもの。嫌な奴に貰ったって粗末になんかしないわよ」
「そういう優しいところが好きだってさ、ね、青戸さん」
「……え?」
カウンターで飲んでいた樹の足下から、にゅっと新が顔を出した。
気を抜いていた弘海は、新の突然の登場に立ち尽くし声を失った。
その隙に新は上半身をぐーんと伸ばして弘海にキスをした。
「ちょっと…っ!」
押しのけようと伸ばした手は、樹が言った通り、新にしっかり捕らえられ弘海は身動きがとれなくなった。
「離しなさいよっ」
「俺の話、ちゃんと聞いてくれる?」
「あんたの話なんか聞くわけ…」
「じゃあ離さへん。このまま引っ張り出してホテルに連れ込む」
「は?!馬鹿じゃないの?!」
「今日は俺本気やから」
新は笑っていなかった。代わりに樹がにんまり笑って手をひらひらさせて席を立った。
(はめやがったな…)
閉店間際、樹は弘海と新を残して店を出て行った。
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