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「え~っ、マジで?!」
「声がでかいっ!」
「ご、ごめん……で、どうだった?」
「……どうって……別に」
「はは~ん……良かったんだ?」
樹はにやにやして弘海の顔をのぞき込んだ。
弘海は煙草の煙を樹の顔に向かって吹き付け、樹はむせこみながらも楽しそうに言った。
「青戸さん、ガタイいいしね。そちらのほうもさぞかし…って、あれ?そういえば弘海、しばらくネコやってないんじゃ…」
「…5年ぶりよ」
「マジか!え、ケツ大丈夫?」
「あんたね!デリカシーってもんはないの?」
弘海のでこピンに飛ばされて、樹は仰け反った。
「……そんな予定じゃなかったのよ。あんまりしつこいから、一回ヤってやれば諦めるんじゃないかと思って…」
「それ逆」
「えっ」
「考えてもみろって。好きな相手と先に関係持っちゃったら余計本気になっちゃうでしょーが」
「そ…んなもん?」
「みんながみんな割り切り希望だと思うなよ?おまけに相手はノンケなんだから」
弘海と関係を持った新は、確かに諦めるどころか翌日もその翌日も店にやってきた。
熱を帯びた新の視線は、どうにもむず痒い。
「そんなこと言ったって、その気にならないもんは仕方ないじゃない…あたしはもう、特定の誰かとつき合うつもりないの」
「もったいないと思うけどなあ」
「…ほっといて」
弘海は水割りを勢いよく煽った。空になったグラスをどん、と置くと、カウンターが振動でかすかに揺れ、白い一輪挿しの中の青い薔薇も揺れた。
ドアノブに掛けられ続ける薔薇の花を、弘海は毎日律儀に店のカウンターに活ける。純粋に綺麗なものが好きだった。送り主が誰であっても、命あるものを粗末にはしなかった。
時刻はまもなく23時。いつもならとっくに来ている新が来ない。
ちらりと腕時計を見た弘海に、樹が楽しそうに話しかけた。
「弘海」
「…なによ」
「気になる?」
「何が」
「青戸さん、いつもならもう来てるよな」
「…来ないならその方が静かでいいわよ」
「弘海がいじめすぎて、来づらくなったんじゃないの?」
「いじめてないし!ま、それならそれでせいせいするわ」
「本当?そろそろ素直になれば?」
「樹……いいかげんにしないとグーで殴るわよ」
「暴力反対!」
樹が両手を顔の前にかざした瞬間だった。
店の外から聞こえる怒号と、物が割れる音。人が人を殴る、鈍い音もかすかに聞こえてくる。
「え、何?」
店の中の客も、入り口のすぐ外から聞こえる音に集中していた。
弘海は念のため傘を一本持って、そっとドアを開けた。
「きゃあっ」
ドアを開けたそこにあった光景に、うっかりオネエモードのまま弘海は叫んだ。
人が転がっていた。
明らかに殴られた顔の痕と、口の端から流れ出している血。その不憫な人物は、新だった。殴ったらしい相手の姿は見当たらない。
絶句している弘海の後からひょこっと樹が顔を出し、うわっと大声を出した。
「え、青戸さん?!どうしたのこれ!」
「わ…わかんないけど、ちょっと!あんた、しっかりしなさいよ!」
そして、うう、と唸る新を弘海と樹、常連の客が手伝って店の中に引きずり入れた。
☆
「あいたたたたたた」
「ちょっと動かないで!」
「優しく頼むわ…あたたっ」
「文句言うなら自分でやんなさいよ」
バックヤードに運び込まれた新は、傷の手当てをされ顔中に絆創膏を貼られながらあっけらかんと笑った。
「弘海ちゃん、優しいなあ」
「勘違いしないで。店の前でぼこぼこにされたままにしておくと、お客さん怖がって入れないでしょ。商売の邪魔なのよ」
「へえ…ふふふ…」
「…気持ち悪い」
最後の絆創膏を張り終わると弘海は立ち上がった。
「どこ行くん?」
「店に戻るの。あんたもう帰れば?」
「まだ…動けへん」
「…じゃあ寝てれば。閉店までならいいわよ」
「やっぱ優しいなあ」
新の言葉を無視して店に繋がるドアに向かった弘海は、新の小さな「ありがとう」を聞きながら仕事に戻った。
「なあ」
「…うん」
「あれ…やばいよ」
「…そうね」
カウンターに座った樹と、グラスの水滴を拭き取りながら弘海は小声で会話していた。
話題は、新に怪我をさせた相手のことだった。
「青戸さんさ…やばい人と関わってない?」
「知らないわよ。あいつは…カタギだと思うけど、多分」
「俺もそう思うけど…あの殴られかた、尋常じゃなくない?借金?」
「不動産持ってるんじゃなかった?」
「本人はそう言ってたけど。弘海、気をつけた方がいいかも」
「は?なんであたしが?」
「つき合ってるんじゃないの?」
「つき合ってません!」
「それにしては優しい…」
「あたしは誰にでも優しいの!」
弘海はビールを煽り、樹のそばを離れた。
新はまだバックヤードで眠っていた。
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