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「じゃあ……分かっているだろうが、他言無用で」
「…そっちこそうっかり喋んないでくださいよ」
早朝6時の新宿2丁目。
スーツに身を包んだ二人の男が向かい合っているのは、ラブホテルの前。
ひとりはシルバーフレームの眼鏡、髪をオールバックに上げた、いかにもエリートな男。
もうひとりはスタイルの良い中性的な顔立ちの、サラリーマンには見えにくい華やかな男。
同じくらいの体格と身長のふたりは、不機嫌な顔でにらみ合っている。
眼鏡の男が歩きだそうと一歩足を出すと、まったく同じタイミングでもうひとりが足を出した。
「おい」
「なんすか」
「道を塞ぐな」
「塞いでんのはそっちじゃないすか」
至近距離で額を合わせ、ふたりの男は再びにらみ合う。
じりじりと近づき、キス直前で互いに反対側に避ける。
風を切って早朝のホテル街を、背中を向けてそれぞれの家に向かって歩き出す男ふたり。
上司、辻 美哉、バツイチ。
部下、淵上樹、独身、ゲイ。
犬猿の中のふたりは、うっかり一夜を共にした。
飽くまでも、うっかりだ。
☆
マンションに向かった美哉は、早足で横断歩道を渡りながら、心の中で呟く。
(なんでこんなことに!想定外すぎる!)
昨晩行われた親睦会と言う名の飲み会。
滅多に顔を出さない美哉が出席したのは、本当に、たまたまだった。
軽く飲んでさっさと帰るはずだったのに。
(記憶があやふやで思い出せん…たしかあれは、あいつが…)
見た目が派手で、女受けが良く、男にも人気がある部下、淵上 樹。
「いつき」と読むのだとばかり思っていたら、「じゅり」。
理由は、ハーフだかららしい。
10歳以上年下の生意気な部下は、良くない酔い方をして絡んできた。
『辻主任ってバツイチなんすか』
『ん?ああ…そうだが』
最初の会話は多分こんな言葉だった。
そこから、離婚の原因やら、元妻やらの話を、周りの人間の制止も聞かず樹は根ほり葉ほり聞いてきた。
いい加減に辟易してきた頃、樹は美哉の耳元に顔を近づけ爆弾を投下した。
『主任って……男もイケるクチじゃないすか』
樹は、美哉のグラスに残っていたハイボールを頭から浴びることとなった。
美哉はそこで席を立った。
部下たちは大わらわで美哉を追いかけ平謝りしたが、樹は追ってこなかった。
なのに、ひとりになって夜の街を苛々しながら歩いていた美哉の腕を、いつから着いてきていたのか樹が掴んで止めたのだ。
(それで道の真ん中で揉めに揉めて…それから…)
美哉は無意識に口を片手で覆った。
おぼろげな記憶が蘇る。
(なんで…ああなった?!それも……まさかあんなに……あり得ん…)
気がつけば美哉はベッドの上で、獣のように樹を抱いていた。
道ばたでつかみ合い寸前まで揉めたあと、もつれこむようにホテルに入ったような気がする。
気に入らないはずの部下はスーツを脱ぐと別人だった。
(あいつが…淵上があんなことを言うから……)
美哉は、ゲイであることを隠し結婚した。
妻は美哉に、子供が出来ないのはあなたのせいよ、と罵った。
それは真実だった。
☆
樹は携帯をいじりながらのらりくらりと歩いていた。
が、途中で自動販売機に立ち寄り、缶コーヒーががしゃんと落ちてきたのを取りもせず、ごつんと機械に頭を打ち付けて停止した。
(やっちゃったよ……っていうか、やってもらっちゃった…)
淵上 樹は、ゲイである。
会社の飲み会で、主任の辻 美哉がバツイチと聞いてうっかりスイッチが入った。
入社以来ずっと目で追っていた。
好みの顔、好みの声。スーツに隠れた体つきはちょうど良い肉付き。
仕事以外で直接話すチャンスを伺っていたら、たまたま親睦会で近くに座れた。離婚したと聞いて、気がついたら食い気味に質問責めにしてしまった。
(つーか…あの人絶対ゴリゴリのゲイだろ…)
照れ隠しでつっけんどんな口調で話しているうち、樹は何かを感じて美哉の耳元でまたまたうっかりささやいてしまった。
『主任……男もイケるクチじゃないすか』
目を見開いて唇を震わせながら、美哉はハイボールを樹の頭から注いだ。
周りの同僚に謝ってこい、と急かされて美哉を追いかけ、見つけて咄嗟に腕を掴んだ。
振り返った美哉は明らかに動揺した顔をしていて、ぴんと来た樹は強引に路地に引っ張り込みキスをした。
そこからは、正直何がなんだか分からなかった。
夢なんじゃないかと思った。
(かっこいいし…セックスうまいし…もう、なんなのあの人…)
しかし朝目が覚めると、いつもの「辻主任」に戻っていて、「他言無用」と言われた。
寝る暇もないだけ回数を重ねたくせに、スーツを着た瞬間そんなことに興味はない、みたいな顔をして。
(今日のことは忘れろ、職場では話しかけるな、ぐらい覚悟してたけど…意外と……嫌がってなかった気がする!)
何度も自動販売機に頭を打ち付ける樹を、不思議そうな顔で酒の抜けないサラリーマンがちら見しながら通り過ぎて行く。
樹は、取り出し口から缶コーヒーを取り出した。
ホットを買ったつもりだったのに、缶は冷たかった。
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