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高等部での用事を済ませ、中等部の事務室へと帰ってきた。中に入ると、辰美と居縫、そして北倉も自席に着き、七春を待ち構えていた。辰美が満面の笑みを浮かべながら言った。
「お帰り、ぶっちー。いやー、悪いねえ」
「いいえ……」
そう言いながら、自分の席に着いた。そのとき、ふと先程の男性のことを思い出した。業者の営業、といった風でもないし、一体何者だったのだろう。
「そうだ。俺が出ていった後、学外のお客さん、いらっしゃいませんでした?」
居縫が珍しく、パソコンのディスプレーから七春の方へ視線を移して応えた。
「うん、いたよ。いかにもお金持ちそうなおじさま。それがどうかしたの?」
「さっき、外でその人に道を訊かれたんです。業者の人でもなさそうだし、どんな用件だったのかな、と思って」
居縫が興味なさそうに、ふうん、と呟いた 。辰美が、すかさず割って入ってくる。
「外資系企業の重役さんみたいだよ。身分証データに、○○商事勤務ってあったから」
「へえ」
「身分証」とは、数年前から全国的に導入された、カード式の身分証のことだ。これを専用の端末にかざすと、政府の管理するセンターから、そのとき必要なその人の情報を即座に照合することができる。
ただし、ある機関がそれによる身分照合を行うためにはいくつかの制約を課され、それをクリアしなければならなかった。そのため、まだ公立の機関や教育機関、医療福祉施設で普及し始めたばかりだ。
「そんな人が、一体何の用で?」
「うちの小礼拝堂を見学したいってさ。ほら、立ち入り禁止になってる古い方。かなり貴重な資材と建築技法が使われてるらしくて、月に何人か来るんだよね。見学希望者」
七春は面食らって思わず言った。
「え、いいんですか、見学許可して。だって、あそこには……」
不登校の、理事長の孫がいるのに……。そう言いかけた瞬間、辰美と居縫との背後にいる北倉と目が合った。北倉はひどく狼狽えた様子で手を振りながら、首を横に振ってみせた。
「あそこには?」
キョトンとした様子で自分を見つめる二人に、慌てて言った。
「か、階段の上り口にロープが張ってあるじゃありませんか。かなり古い建物らしいし、近づいたら危ないんじゃありません?」
すると、辰美と居縫とが目を見交わした後、揃って困ったような笑顔を七春に向けた。
「ああ、あれね。違うの。老朽化なんて嘘。聞いてないの?」
「えっ……どういうことですか?」
横目で北倉の顔色を伺いつつ、居縫にきき返した。
「あの礼拝堂、ほんとはまだ使えるんだよ。専門家によれば、よっぽどの大地震でも来ない限り、あと百年は保つんだって」
「それじゃ、どうして立ち入り禁止なんかに」
「……幽霊が出るんだって。うちの学園の制服を着た、女の子の幽霊」
「……え?」
思わず間の抜けた声を上げて、七春は北倉を見やった。北倉は引き結んだ唇に人差し指をあて、『黙っていなさい』の合図をしている。
「誰が言い始めたのかわからないけれど。私が入る少し前から、あの礼拝堂の、正面から見える窓の辺りに女の子の姿を見たって人が何人も現れてね。その前にも一度、理事長のお孫さんが行方不明になったとき、あそこで見つかったなんてことがあったらしくて。気味が悪いからって、PTAからの要請もあって立ち入り禁止になったの。今どき幽霊で立ち入り禁止なんて、びっくりだよね」
「へ、へえ……」
十中八九あの少女のことだろう。しかし、北倉の鋭い眼差しを前にしては何も言えず、知らないふりをするほかなかった。
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