礼拝堂の悪魔(6)

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 礼拝堂の中へ入った七春は、音を立てないよう、後ろ手でそっと扉を閉めた。息を殺してあたりを見回したが、人の姿はなかった。もうここには誰もいないのだろうか、そんなことを思った矢先、頭上から人の声がした。 「……今、天道さんが取りかかってらっしゃることに関しては、直接的な利益や成功は望めないようです。ですが、そこでできた人脈から、新たな可能性が掴める、という暗示が出ています」  風花という少女の声だった。それに応えて、男の声が聞こえた。 「そうですか……。この話には、初めからどこか気が乗らなくてね。やはり……」  その後も、二人は長い間話し込んでいた。聞こえてくる内容から、少なくとも、いかがわしいことをしてるわけではないことは察せられた。それどころか、十代そこそこの少女が、その何倍も歳上の男の相談に、大真面目にアドバイスをしている。  何が何だかわからないまま、息を殺して成り行きを聞いていると、やがて少女が言った。 「それでは、もう時間も随分経ちましたし、これで終わりにさせていただきます。もしまたいらっしゃるときは、正門ではなくて、先程お伝えした裏口からお入りになってください」 「もう、こんな時間か。ありがとう。お蔭で、すっきりしましたよ。あいつから君のことをきいてここへ来たときは半信半疑だったが、ほんとうに、来てよかった」  さも満足そうにそう言った男に、少女は興味なさそうに応えた。 「そうですか」 「それで、見料は……」 「ツキシマさんからお聞きとは思いますが、お気持ちで頂戴しております。もしお持ち合わせがなければ、後日こちらへお振り込みになってください」 「そうですか。……では、こちらで」  しばらくの沈黙の後、少女が言った。 「それでは、確かに」 「いや、ありがとう。また、困ったことがあったらよろしくお願いしますよ、西王寺先生」  その言葉に対する少女の返答はなかった。続いて、頭上を人が歩く物音がした。どうやら男は帰るらしい。  七春は慌てて、入口を挟んで螺旋階段と反対の方にある物書き台の裏に隠れた。男が階段を下り、出入り口の方へと歩いて行く。そして扉を開け、出て行った。  七春はほっとして、それから、もう少し待ってから自分も事務室へ帰ろう、と考えた。わざとではなかったが、盗み聴きをした後ろめたさから、まだ残っている少女に気付かれないうちに帰らなければならない、とも感じた。  やがて、頭上から大きな溜息と少女の声が聞えてきた。 「今日も無事、お勤め終了。ああ、お腹空いた。……ハガネ、ごめんね、今日は遅くなって。さっさと片付けて、早く帰ろう」  一体誰を相手に話しているのだろう、内心首を傾げた。 「ハガネ、どうしたの? ……ハガネ?」  少女の言葉に続いて、螺旋階段を何かが駆け下りるような音が聞こえてきた。人のものにしては、やけに軽い音だった。  次の瞬間、物書き台の陰から黒いものが現れた。思わず叫び声を上げて後ずさりした七春は、足元にあった分厚い本に躓き派手に転んでしまった。  仰向けに倒れ込んだ七春の上に、その黒いものが覆いかぶさってくる。よく見ると、黒くて大きな犬だった。犬種は恐らくグレーハウンドか、それの交じった雑種だろう。湿って熱っぽい鼻先を突き出して、熱心ににおいを嗅いでいる。その犬の後を追いかけて下りてきたらしい少女が、七春の姿を見止めて声を上げた。 「あなた……」  礼拝堂の中を、しばらく気まずい沈黙が支配した。そのうち、犬は気が済んだらしく七春から離れ、少女の傍らへと駆け寄った。少女はなおも七春の方を呆れた様子で凝視していたが、やがて口を開いた。 「あなた、どうしてここへ?」  立ち上がって身体についた埃を払い落しながら応える。 「天道さんがなかなか事務室に戻って来なかったら、探しに来たんだよ。もしかしたらと思ってこの中も覗いてみたら、君と天道さんの話し声が聞えてきて……」 「どこから聞いてたの?」 「え?」 「天道さんと私との会話。どこから聞いてたの?」 「ええと……。確か、『天道さんが取りかかってらっしゃることからは、利益や成功は望めない』とかなんとか、君が言ってたあたりから……」  溜め息を吐きながら、少女は言った。「今ここで見聞きしたことを口外したら、この学校での居場所はなくなるからね」 「一体、何をしてたんだ?」  七春が尋ねると、少女は不快感を露わにして言った。 「あなたに話す義理なんて……」  しかしそこまで言い掛け、少女はふいに黒犬を見やった。そして視線を七春の方へ戻し、今度は吟味するように、頭の天辺から爪先まで七春を眺め回した。やがて踵を返すと、上の方へ上がっていった。 「こっち」  何が何だかわからないまま、恐る恐る軋む螺旋階段を登った。バルコニーのような所へ上がってみると、そこにも何列かの座席が階段状に並んでいた。その一番後ろの、窓際の空間に丸いテーブルが置かれている。テーブルの向こう側へと回り込んだ少女が、テーブルの上を指し示しながら言った。 「これ」  テーブルの上には黒い布が敷かれ、その上に、何枚かのカードが並んでいる。以前、七春がこの少女に投げつけられたのと同じもののようだった。 「これは?」  驚いたように目を円くして少女が言った。 「タロットカード。知らない?」 「話には聞いたことがあるけど……確か、占い師が使うものだろう」 「ご名答。これが私の仕事道具。私、ここで毎日お昼ごろだけ、占いやってるの。あなたもみてあげましょうか?」  今度は七春が目を円くする番だった。
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