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礼拝堂の悪魔(7)
「占い。……君が?」
不信感を隠しきれないまま訊き返した。少女がこともなげに返事をする。
「そう。私が。……こう見えても、半年先まで予約で一杯の売れっ子ですよ」
初めて出合ったときのことを思い返して、ようやく合点した。
ふと、先程の彼女と天道とのやりとりを思い出した。見料だとか、お気持ちだとか、そんな単語が飛び交っていた。
「毎日やってて、お金、取ってるの?」
「ええ」
「月にいくらぐらい稼いでるの?」
少女が明らさまに、軽蔑したような眼差しを向けた。しかし黙って左手で円を作ると、右手の指を数本立てて見せた。単位は、と尋ねると、少女は小さな声で答えた。
その返答に目を剥いた。少女が示した額は、一流企業の大卒の月給を軽く超えている。すると、少女は居心地悪そうに視線を泳がせながら、弁解し始めた。
「別に、お金のためにやってるんじゃないの。子どもの頃からこういうことが好きで、よくお祖母様やお母様のお仕事のことなんか占ってたの。そしたら、よく当たるから、お友だちもみて欲しいっていらっしゃって。そうしてるうちに、そのお友だちのご紹介で、次から次へとみて欲しいって方が現れて。そのうち、お礼にってお小遣いくださるようになって……」
言葉を失ったまま、少女を見つめるばかりだった。もともとオカルトの類いに興味のない七春には、とても信じられない話だった。しかし、彼女の身内が彼女の不登校に目を瞑っている理由が、わかったような気がした。
「そんなに当たるのか」
「多分。しばらくしてから、改めてお礼にいらっしゃる方や、何度もいらっしゃる方、あとは誰それさんの紹介で……って方もいるし、当たるんじゃないかしら」
少女の口振りは、まるで他人事のようだった。むしろそれが、真実味を感じさせた。まだ半信半疑のまま、七春は重ねて尋ねた。
「ほんとに、視えるのか。人の未来が」
少し考えこむ素振りを見せた後、少女は応えた。
「はっきり未来がみえるってわけじゃないの。ただ、相手がどういう人間で、どんな過去と背景とを持っていて、そこからどんな結末を引き寄せそうか、ってことが、なんとなくわかるの。カードを媒介にして」
思わず溜め息を吐きながら、七春は言った。
「それがほんとなら、まるで『ラプラスの悪魔』だな」
「何、それ」
怪訝な顔で尋ねる少女に、七春は説明した。
「ラプラスっていう数学者が想像した、架空の存在のことだよ。もっとも、ラプラス本人は『悪魔』じゃなくて『知性』って呼んでたけど。『ある瞬間の全ての物質の、あらゆる状態を把握して、その情報を正確に解析できる知性が存在するなら、そいつは全てを見透かすことができるだろう』ってね」
「数学者……? 変なこと知ってるのね、あなた」
「俺、大学で物理学専攻してたんだ。子どもの頃から理科や数学が好きで、科学者の伝記なんかも読み漁っててさ」
入退院を繰り返していて、友人たちと思い切り外で遊ぶことのできなかった七春にとって、数少ない興味の対象だった。ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン……特異な才能と鍛え抜かれた知力、根気とで、他の誰にも真似のできないことを成した科学者たちの物語に、幼い七春は夢中になったものだ。そしてそれに対する興味は、今も続いている。
「ふーん。……友だちいなかったの?」
「失礼なヤツだな。いたよ。……多分」
そう言い返しながら、友人と呼べる人間が、鹿野をはじめとして数えるほどしかいないことに気がついた。人生で唯一の恋人すら、彼の紹介で知り合った相手で、彼がキューピッドも同然だった。今ではその恋人も、その当人に奪われてしまったのだと思い至り、密かに落ち込んだ。
そんな七春を尻目に、少女はテーブルの前に座った。黒犬がその後に続き、少女の足元に寝そべる。少女が、テーブルの上に広げられたカードを手早く掻き集め始めた。
「あなたのご友人の有無はともかく。因果関係のはっきりした現実だけをひたすら相手にしてるイメージの科学者が、そんな空想するなんて、ちょっと意外」
「そうかなあ」
七春が言い返すと、少女が一瞬手を止めて、七春を見た。窓から差し込む夕日が、少しいたずらっぽい微笑みを浮かべた少女の顔を、くっきりと照らし出した。
七春はそのとき初めて、彼女がかなり整った顔立ちをしていることに気がついた。まだはっきりと残るあどけなさに紛れて気づかなかったが、あと数年経てば、誰もが振り返るような美人になるだろう。
そこで、今更ながらに二人きりであることを意識してしまった。子ども相手に自分は何を緊張しているのかと動揺しながら、思わず視線を逸らして咳払いをした。それまで少女の足元で目を瞑り寝そべっていた黒犬がふいに目を開け、琥珀色の瞳を七春の方へ向けた。
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