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礼拝堂の悪魔(4)
北倉に別れを告げ、七春は事務室を後にした。からりと晴れ上がった空を見上げながら、先ほどの少女を想い起こす。
――不登校、か――
七春にも、「不登校」や「引き籠り」とまではいかなかったけれど、学校へ行くことが億劫に感じられた時期があった。
もともと病弱で、幼い頃から入退院を繰り返していた。そして高校一年生のときに、丸々一年休学をし手術とリハビリとを受け、やがて復帰。
問題はそこからだった。一年遅れで入ったクラスに馴染めず、新学期からしばしば仮病を使ってズル休みをするようになった。きっかけは、今ではもう思い出せないほどほんの些細なことだった。しかし、当時の七春にとっては重大なできごとだった、ということだけが、しっかりと記憶に刻まれている。
そこから立ち直るきっかけを与えてくれたのは、ある臨時講師の男性だ。よくある青春ドラマの熱血教師や人情派教師とは程遠い、冷淡そうな、陰気な印象の人物。しかし、ある日の家庭訪問の際、彼が何気なく口にしたある一言が、七春の目を開かせたのだ。七春がズル休みを止める頃には学校を去っていて、もう顔も名前も思い出せない。けれども彼に対する感謝の念は忘れることがなかった。
七春が教師を志した一番の動機は、もしかしたら彼にあったのかもしれない。決して人気者にはなれないし、輪の中心に置かれることもない。でも、本人の知らないところで、ある種の子どもにとって、とても大切な救いを与えてくれる存在。
いつからか、そういう存在に自分もなりたいと思うようになっていた。それ以来、七春はずっと教師を夢見て邁進し続けた。同じ業界にいればいずれまた彼に会うことができるかもしれない、という思いもあった。
そして肝心の大勝負の日に、戦わずして敗けてしまったのだ。病院で目覚めて自分の「敗北」を知ったときは、あまりのショックに涙も出なかった。
大きく溜め息をついて、運動場の方を目をやった。ジャージ姿の生徒たちが、白い息を吐きながら走り込みをやっている。
その内の一人が転びそうになった。すると傍を走っていた生徒たちが、笑いながらその生徒にからかいの言葉をかけた。転びそうになった生徒は照れ隠しらしい笑いを顔に浮かべながら、相手の生徒たちに何か言い返している。
あの礼拝堂にいる少女は、あの輪の中に入ることはないのだ。そしてあの薄暗くて埃っぽい礼拝堂の中で、日がな一日暇をもて余しているのだろう。
昔の自分と重なって、一瞬七春は胸が締め付けられるような心地がした。しかし、すぐに先ほどの彼女の言動を想い起こして、その気持ちを打ち消した。
彼女の様子からは、七春が味わったような罪悪感や後ろめたさ、同級生に置いて行かれる不安といったものは全く感じられなかった。
大学で受けた、教育心理の講義で見聞きした様々な単語や事例を数え上げた。しかしそのいずれも、彼女の状態には当てはまらないような気がした。
そのとき不意に、彼女がひどく気味の悪い存在に思えて、背筋に悪寒が走るのを感じた。
――触らぬ神にたたりなし、だ。とにかく、今後はあそこへ近付かないように気を付けよう――
固く心に誓い、家路を急ぐ。
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