沙悟浄の娘

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 竜宮は毎日が穏やかでした。  そんな中、私は竜王様に呼び出されました。直々に呼ばれることなど滅多に無いことですので、一体何事かと恐れました。 「ふむ。そなたの父君のことで知らせがあった」 「それは、一体どのようなことでしょうか」  下界に落とされ、妖怪となったと聞いている父の、さらなる悪い知らせかと私は震え上がりました。  「いや、吉報じゃ。どうやら父君は仏門に入って帰依をしたそうな。法名は沙悟浄。そして西天(天竺)へ真経を取りに行く、西方取経者のお供をすることになったと聞いた。その間は剣が飛んでくることも無い。そしてその任を成し遂げた暁には、もとの職に復することが約束されているとのことじゃ」 「まことでございますか」  私は袖で隠した顔を上げると、涙を拭うのも忘れて喜びました。 「うむ。沙悟浄殿のことは私も気にかけておったでな。天帝陛下にもそれとなく申し上げていたのじゃが、とにかく祝着。それにしても、奇遇なことにその取経者の供の中には、以前乙姫と縁談が上がったあの敖閏(西海竜王)の息子玉龍がいるそうな。あやつも罪を犯しての経緯と聞いているが、そう考えると、やはり乙姫の相手は浦島殿で間違いは分かったわけだな。いやはや」  竜王様は膝を叩いて豪快に笑いましたが、私は気分が一気に塞いでしまいました。 「どうした。もしや、乙姫は浦島殿とうまく行ってはいないのか?」 「それは・・・」  私はありのままを報告しました。  この五百年、乙姫様と浦島様は一度も喧嘩したことなどございません。乙姫様が「どうでしょう?」と聞くと浦島様は何でも「それで良い」「その通りだ」と微笑んで話は終わりますし、毎日浦島様は乙姫様を褒め、何事にしても嫌とは言いません。浦島様は毎日乙姫様に一日の出来事を告げ、少し中庭に出るにしても、全て乙姫様に報告します。 二人の間に秘密は一つありませんでした。 浦島様はなんでも乙姫様の求めるものを与え、決して求めることはしませんでした。 「なんだ。睦まじいのではないか」  竜王様は安堵していましたが、この方はどうやら気づいていない様子でした。乙姫様の表情が、年々まるで豊玉姫様のようになっていることに。  そのお姿は変わらず真珠のような美しさですのに、日々、肉体では無い何かが疲れているようなご様子でした。食事の量も少しずつ減っていました。  私は竜王様に、乙姫様の気晴らしに外出の許可をと願い出ました。  その願いは聞き届けられ、私は乙姫様とともにあの、浦島様と出会った砂浜へと赴いたのでした。  それは月光の射す夜でした。  普段は暗闇の海面が、微かに白く光っています。  夜のしじまの中で、波の音だけが繰り返し響いていました。  私たちは浜辺で波に足首を濡らし、月光を受けて立っていました。あちらこちらで夜光虫が青白く輝きだしています。 美しくも寂しい夜でした。    乙姫様は絞るような声で、袖を顔に当て、呟かれました。  「私は一体何を間違えてしまったのだろう。竜宮の公主として生まれ、浦島様という立派な方と一緒になれたというのに、どうしてこんな寂しいのだろう。どうしてこんなに虚しいのだろうか」   一体どうしてこんな事になったのか、二人とも分かっていました。けれどなぜ間違っていたのか、それは言葉で表現できるものではありませんでした。 「この気持ちは、この孤独は、一生消えずに私の中に残るのだろうか」  私は思わず、乙姫様を抱きしめました。乙姫様の香りと吐息と、鼓動が感じられ、また乙姫様も私の香りと吐息と鼓動を感じていました。  深い呼吸を何度かして、私は言いました。 「もう、ここまでにいたしましょう。浦島様の魂をお返しするのです。浦島様とは良い縁を築くことは出来ませんでしたが、全てを終わらせて、また始めること出来ます。浦島様に全てを告白して許しを請いましょう」 「許してくれるだろうか。私はあの方に酷いことをしてしまったわ」  乙姫様の嗚咽が、夜の波音の中に消えていきました。
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