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「え、」
明の口が、彼にそぐわぬ間の抜けた形になった。
錆びたドアの向こうでは、廃ビルが優雅に両手を広げて待ち構えていた。
廃ビルの悪魔のように大きく長い両腕が、広斗と蓮司の眼前に向かって降りてくる。十本の折れ曲がった指が、巨大な蜘蛛を思わせる、不気味な影を作った。廃ビルは広斗と蓮司をむんずと掴んだ。二人の体が軽々と宙に浮く。広斗の両足が溺れたように、激しく暴れまわった。
明の足首に何かがぶつかったが、あまりの恐怖に身がすくんで、指先一つ、動かせない。両手に構えたままのスマホ画面に、二人の友達が錆びたドアの向こうに引き込まれていく様子がはっきりと映った。
廃ビルは、大きな口を開いて、広斗と蓮司を丸飲みにしてしまった。
明の足元に、広斗が飛ばした白いスニーカーが、ポツンと転がっている。
次は、明の番だった。
久しぶりのお食事に、廃ビルは、満足気に一息ついた。普段は誰も来やしないのに、何故か蒸し暑い夏になると人間たちが、それも美味しそうな若い肉の人間たちが、自ら廃ビルの胎内に入ってきてくれる。廃ビルはただ、ガラス扉を開けて待ち伏せていればいいのだ。なんて簡単な狩りなのだろうか。歯の間に挟まった食べカスを取って、廃ビルは、にたにたとほくそ笑んだ。
――お食事の季節は、まだ、始まったばかり。
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