帽子の時代

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 ――部屋の棚卸しにも疲れてきたところだし、休憩がてら見せてもらおうかな。  角の揃っていない写真どうしの向きを両手で軽く整えつつ、箱の隣で尻をつく。  何の変哲もない一世代前の家族写真だが、写っているのが幼い母と思えば興味が湧かないこともなかった。  礼香が物心つくかつかないかという頃に鬼籍に入ったために朧気にしか記憶のない祖父、孫の誕生どころか娘の結婚さえ待たず若くして亡くなったという祖母。  母の隣に少年らしいふざけた顔つきで立っているのは、交通事故で早逝した母の兄だろう。  車が走り出して間もない時代には今よりずっと事故が多かったらしく、写真の姿から推測するに、この時点から一年足らずで現世を後にすることになるはずだ。  一家の長男を唐突に喪失するという悲劇は、当時の社会としてはそう珍しいことではなかったとはいえ、この家に何とも言えぬ負の余韻を今も残しているように思える。  今はだれも住んでいないこの空き家に、日が暮れてから鍵を開けて入っていくことを母はいつも嫌がった。  手入れの行き届かない荒れた家だからだろうと理解していたが、久しぶりに同行して足を踏み入れた今日、この家屋に沈殿する(おり)のようなものを礼香でさえ感じ取っていた。  この空気は、人が住まなくなってから時間をかけて出来上がったものではなく、少年を失い三人家族となった往時に既に流れていたものなのではないか。  いや、幼い母に至ってはまだ存命の兄にまとわりついているツーショットでさえ、どこか含みのある表情をしている。  どの写真を手に取ってもこちらに視線を投げかける少女は、年相応の万能感や自己肯定感といったものをいっさい感じさせず、どこか厭世の色さえ見せる。  今の母の面影を探すのにも苦労するぐらいだ。  そのような現代とは途方もなくかけ離れた印象を放つ写真は、礼香の生きる時代と地続きではない断絶した世界のものにも思えた。
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